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威風堂々

晴れ晴れと、伸びやかに日々を過ごすために。
「心」と向き合うことで、日々の健康を大切にしましょう!

日本人に迫る 5

2015年09月19日 | 第九章 愛



『天皇と東大』を未だに読んでいる最中で、そういえば「ゆとり教育」という言葉はどこかへ行ってしまったようだ。国民の祝日休日法なるものでは土曜日は休日になっている。だからゆとり教育で論理的思考を身につけさせよう。多様なもののとらえ方、多方面から考えよう、という教育が模索されたわけだが、結局「学力が落ちた」「教師はさぼっている」などという声に押され、週休二日のまま教える内容はどんどん増やされていく。
娘はゆとり教育で育った。息子は娘の使っていた教科書より分厚い教科書になっている。で、娘の方がバカかというとそうでもない。どっちもバカだ。はっきり言えることは、教育が子どもを宥め賺して褒めそやして育てているので、打たれ強い子どもなど育めない。「何でもクレーム社会」を改めないといけない。子どもが悪いことをしても「それは先生に怒られたから」というと、正面切って戦うのも疲れるので校長サイドが「なかったこと」にして、「次からなんとかしようね」となるわけだ。こっちのの方がいけない。

ゆとり教育は大歓迎である。教育システムより経済優先の大人の在り方が問われているはずだ。

明治10年代から洋学から国学、儒教へと逆シフトした近代日本の教育は、今でもそうだが、またぞろ「戦後民主主義教育」から「復古的教育勅語教育」へと逆進しているようだ。そもそも、国学は江戸後期、はたして幕府を援護しようとしたか、幕府の政策を批判する所から広まっていったか、とにかく、桜=日本を決定ずけた。江戸幕府の儒教は、朱子学である。国家が個人より先にある儒教で、「論語」とは趣が違う。

私は「戦後民主主義教育」の落胤だ。学生自治、主権在民、立憲君主制、平和外交、のびのび教育 が好きだ。両親は「復古的教育勅語教育」を受けている。勅語も暗記していたし、戦陣訓も暗記していた。だから私の中にも「天皇陛下、万歳!」という気持ちがないわけではない。そう言って死んでいった人達の一員だという意味で。

私は今上天皇にたいし尊崇の念を持っている。日本国憲法はすばらしいと思っている。日本国を愛している。

明治10年代に洋学でゆこうとしたものが、「幼学綱領」・・・一の国教を建立する 方向へと流れ「教育勅語」となり結実し、なぜ米国に占領されるまで日本の教育界に燦然と輝けたのかが不思議でならない。所謂天皇の神格化である。どうして人間が神になれたのか。西洋的、天賦人権論、物理生物学的に考えると人間を「神」にして形而上学も俗世間での通用も果たしてしまうことは不可能なので、国学と朱子学が登場するのだろうか。

今を知るには昔を学べ。

温故知新である。






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カリタスカウンセリング 76

2015年09月05日 | 第九章 愛



 仕事でミスをしたときなど非常に落ち来む。取引先とのトラブル、クレーム、秘密情報の漏洩、その他に色々と困難が自分を襲う。そんなときなかなか「俺のせいじゃねいや」とは思えないのが私なのだ。『生き甲斐の心理学』116頁

「どんな人生を歩んできても自己肯定の思想を持つよう努力訓練をして下さい」とあります。

 単に無責任に仕事をしているわけでなかったら何とかして「自己肯定」に努める必要があるようです。真面目に責任感を持って他者と協力して誠実に生き抜くタイプの人は特にこの事を念頭に置いて欲しいのです。

私はこの前、大変なミスをしでかしました。最初に来る気持ちが「皆に迷惑をかけてごめんなさい」「不名誉なことをしてしまった」「俺はなぜこんなバカなんだ」と。そしてズシーンと気分は落ち込むわけです。依然私の課題は気持ちの切り替えにあります。尾を引いてしまいます。気分が立ち上がるのも結局そのミスは「無かったことにする」と上司に言われることでしか為し遂げられませんでした。家内から「それも自分よ。そんな自分を認めようよ」と言われることも心強かった。他人に自分の気持ちを話し、共感してもらって、肯定してもらうと随分気持ちが楽になります。

さて、自分を許す。こんな難しいことに私たちは日々挑戦し続けているのですね。





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カリタスカウンセリング 75

2015年08月12日 | 第九章 愛


『生き甲斐の心理学』116頁

「くらしの中のカウンセラーは本当に人類愛が無いと成り立たない分野」
「生涯謙遜の基本に忠実に生きていかないと成功しない難しい分野」

と書かれています。私は臨床心理士になるつもりはありませんし、医師や薬剤師にもなるつもりはありません。しかし、理科系の本を読むことは自分の為になります。専門書は無理ですが時間をかければ一般向きに書かれた理系の本は読んでおくと興味深い内容ばかりです。

 生きていますと色々と意見の対立、諍い、議論など自己主張というと聞こえは良いのですが、自己本位を貫くと言いますか、我を通すと言いますか、「えいやっ!」と一歩踏み出すときがやってきます。過去の失敗例を参考にして、いろいろと逡巡し、将来を予測して踏み出しましょうねぇ。でも、その決断の神髄が「人類愛」「他者本位」を念頭に置いたものであるならば必ずや上手く行くはず。ただ、これは決断の後でなんとでも理由付けが出来るわけですが、生涯謙遜に、人間とは何か?に忠実に行きてゆくことが必要なんだと思います。






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カリタスカウンセリング72

2015年07月22日 | 第九章 愛


『生き甲斐の心理学』  112頁


 「愛すべき親がどんなに変な人でも、子どもは天使のような美しい心を持つ場合が多いので、子どもは親のせいにしないで自分が全て悪いから、と思う傾向があります。子どもには生き抜く知恵もお金もない。頼るのは親しかいないことを子どもは本能的に知っています。食べてゆくには親に従う、と生存本能が教えてます。」

 子どもが何故親に逆らえないのか?  このことの基本原則の答えは上に書いてあるとおりで、これは「生物学の基本本能」のようです。

 幼児虐待のニュースがある度にこのことを考えます。愛着障害とかいろんな要因もあるのでしょうが、人類長い歴史の中で「遺伝」ほど大きなものはないでしょう。生物は大きなライフスタイルで動いています。地球の寒暖も、生物の存亡も、大きなダイナミズムの中で動いているわけです。 

 大きな流れの中で漂うようにあっちに行ったりこっちに来たりしているのが人間ですから日々生き甲斐なんて感じて生きるのは難しいかも知れません。また、日本人の変な美意識で、率直に感じる感情を受け入れたり、表面にわき出る感情を表すのを避ける傾向があります。例えば、幾ら旅の恥は掻き捨てといっても、店に備え付けられている水のポットから平気で自分の水筒に水を移すなんてことには抵抗感があるのですよね。ま、多分に民族性と言うよりパーソナルな問題が大きいかも知れませんが、、、。僕はこういうことを気にせず海外旅行先ではやるタイプの日本人ですが、、、。

 ま、広い視点で眺めましょう。





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強い人弱い人

2015年05月17日 | 第九章 愛


「敗北すればするだけ弱くなり、勝てば勝つだけ強くなる」
という友人がいる。企業戦士である。私は丁度ポール・トゥルニエ『強い人弱い人』を読んでいる最中なので、まさにこの言葉が文中にあったのを思い出した。

『強い人は社会的にいつも成功する。彼らにとっては全てのことが容易に思われる。自分達の勝利の代価は他人の涙であり、自分が自分自身や社会を突然破局に向かわせるかも知れない不正の主人公であることに何ら注意を払わないのである。強い人を元気づけて無鉄砲な方向に進ませるのは弱い人の弱さであり、弱い人の不安を助長するのは強い人の強い外見である。』

 さて、大阪市がなくなるか。はっきりするわけだが、いろんな論戦が繰り広げられていた。自分の主張を通すのは強い人の特徴である。人はみんな何かに縛られているので、自己主張の強い人と弱い人が生まれるわけだ。確かに敗者と勝者は生まれるわけだ。では、何が強くて何が弱いのだろうか。

「交渉途中で自分の発言の不当性や矛盾に気がつくことがたまにある。心の中で「しまった」と思っているのだが、そこはポーカーフェースで押し通す。運悪く相手方に気づかれてしまったら仕方がない。こんな時は相手方に無益で感情的な論争をわざとぶっかけるのだ 」という交渉術もあると友人は言っていた。結構「弱い奴には有効」なのだそうだ。

人は欲を持つことで自分を殺し、
財産を残すことで子孫を殺す。
政治を間違うと民を殺し、
学問教育を間違うと天下を殺す。


 僕は大阪市で育ったからその名前が消えるのは嫌だ。でも投票権はない。イメージや「とりあえずやろうぜ!」で何度も失敗を繰り返し、それを推進していた奴は出世してどっかへ行っちゃったってことがよく会社なんかではある。


険呑なるかな。






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