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威風堂々

晴れ晴れと、伸びやかに日々を過ごすために。
「心」と向き合うことで、日々の健康を大切にしましょう!

介護16

2015年05月04日 | 第九章 愛

 母親の誕生日なのでグループホームへ家族と出かけた。
だいぶん弱っている。それは年もとっているし認知症でもあるので仕方が無い。母親との戦いはずいぶんと私を苦しめた。これからも苦しめるのであろうが、精神的にはましになっている。だが、費用がバカにならない。国民年金だけではとても入れないグループホームである。厚生年金なら可能な範囲だが、、、。しかし私の収入から負担はしないといけない。実質子どもが4人いる計算だ。父と母が20年行き続けると、、、などと考え出すと非常に気分が暗くなるので、、、。

 天国に召されるとはどういうことかを考えさせられる。一人息子に与えられる困難か幸いか。こういう運命に私はいるわけだ。体験の解釈だとはいえ、あまり前向きには捉えられない。解決策がないからだ。

 兎に角、現代日本は「死」を看取るという視点が欠けているようだ。勇ましい話よりも、安らかに不安無く文化的生活を最低限確保して天国に行けるようにするには?お金が全てなのだろうか?人に対するの哲学の問題もあるようだ。

 さて、自分もいつかは終末期の人生を送るわけだが、ただ単に「自分の子孫に迷惑をかけたくない」という思いだけではなく、老年期の幸福感についてゆっくりとした思索をする必要を感じる休日である。





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family

2014年12月26日 | 第九章 愛
 
久し振りに家族旅行である。やはり、列車の旅が楽チンだ。酒が飲める。揺れが少なく、自由に動けるからだ。
 前回、若い頃の理想と夢のことを書いた。人は本当に様々だ。社会で起きる犯罪なども、犯人の生育歴を知ると「さもありなん」と納得することが多い。カルマというか、業と言おうか。
 落語の人情噺など、因果応報、怨み妬み、騙し騙されのオンパレードだが、人間の相互扶助がなんとか人々救済してくれる。能も、歌舞伎も人形浄瑠璃も、信仰心に裏打ちされた人情が脈々と日本人の魂に流れ込んでいる。
 カトリックでは降誕祭。救い主が生まれる日だ。別に我が家も日本も立派じゃなくてよい。ささやかな日常的な幸せがあってほしい。若者達は受験の最中、色んな結果になるだろうが、人生はそこからがまだまだ長い道。独りぼっちではない。人知を超えた何かがきっと、君の側にいる。


Be with you

僕こそ難民かもしれない

2014年11月24日 | 第九章 愛

買い物難民、買い物弱者

 本当にマスコミって、名前を付けるのだけは大好きである。コピー職人が大流行。そのくせ、過去に遡って検証することはしない。これではダメである。
 政治・経済・教育・医療 と、数々物言いたい事柄は多い。普段、イオンモール等へ家族で買い物に行っての徒然草である。おつきあい下されば最高です。

 この問題は、「大店法」が改正された数十年前に予測されていたいたわけですよ。高齢化で地方での商店販売などに利潤は出ない。都市にしたって校外や市街地に車で乗り付けられる複合商業施設の一人勝ち。そりゃあね、競争原理の錦の御旗の下、市場や小規模スーパーは瓦解した。この大型店。実は僕には不便この上ない。まず第一に売り場が(食料品など)広すぎる!漬けもんがまずいのばっか。(個人のおばちゃん商人が漬けていた昔はもう帰って来ない。キャベツの漬け物が恋しい。別に京都の漬けもんやの高級品ばっかり食べたくはないねん)レジが、、、。はいぃ、セルフレジ???「ありがとう」の肉声は???どこで聞くのん???利潤追求だから、品数が限られており、かまぼこも、高級小田原蒲鉾がなーい。フードコートやゲームコーナーと映画館。まぁね。広い駐車場。コレガ、、、入り口まで遠いんだよ!

 と、まぁ、これより困るのは、やはり地元のスーパーがなくなることであった。車も運転できなくなったお年寄りは買い物に困っている。僕たちの世代が高齢化の際は、兎に角ネット通販で凌ぐしかないだろう。便利といえば便利だけど、本当に豊かになったんだろうか???

 80年代、欧州を旅をした。既に Value Added Tax ロンドンでは8%ではなかった。もっと高かった。確かにロンドンのビルには「空き家」という看板が目立っていたし、東京では、日本は世界ナンバーワン経済力!で、電信電話公社が解散、民営化し、株式を発行し、100万円が300万円になって株で儲けを実感した庶民が発生した時期である。国鉄も民営化された。ついに郵便局まで民営化された。でも、幾多の大企業が公的資金投入で再建されてきたのか?銀行が潰れるとまずいから、、、。日本航空が潰れるとまずいから?その陰で幾多の中小企業工場が潰れた?雇用は非正規が当たり前。企業を上手く経営したトップが得る報酬は、昔に比べると多い。「文藝春秋」の昭和30、40年代の経済界の重鎮のお話記事を読んでいると、はー、昔の経営論の方が「日本人として正しい」と、人として正しいと思ってしまう僕。マルクスやエンゲルスの「資本論」はもう古いと感じるが、チャップリンの「モダンタイムス」は文学の精神性を持つだけにあの展開が現在も日常繰り返されている、と僕には感じられる。

80年代の欧州旅行から思っていることだが、

・所得倍増論
・列島改造論
・バブル経済
などに頼る先進国にはなっても仕方が無い。持続可能な開発を目指して世界をリードする、そんな日本をイメージしたものだ。

 阪神大震災と東北震災を経て、僕は「原発」に関しても思っているが、

 小さいことは美しい。
 お金は多少無くても、不便も多少は我慢して、でもって、深夜の看板照明、テレビなどは活動せず、みんな夜は寝ましょう。盆と正月も24時間コンビニで金も下ろせる、何でも買えるってのを止めましょう。

 えぇ。無理なんでしょうねぇ。

 70年代田中角栄さんはこう言ってました。
 日本列島改造論「日本にはまだまだ土地がある。新幹線、高速道路、これをみんな東京まで繋げればいい。」そうすれば、経済がどんどん豊かになる。そして日本人は豊かになる。

そして、リニアは45分で東京大阪を結ぶ。でも、隣人とさえ手を結ばない僕たちがイル?((*^O^*)








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女性は偉大である

2014年08月18日 | 第九章 愛

 炊事、洗濯、風呂掃除、トイレ、ゴミ捨て、ついでに換気扇掃除と細君娘がいない四日間、受験生の息子と家事をやった。

 頭では分かっているが、細君の日常の労働には頭が下がる。この四日間、家事をやったが自分の勉強などほぼ手つかず。仕事はお盆休みでなかったが、通常家内は仕事をしながら夕餉を作り、洗濯も、、、。掃除は私たちもやってはいるが、本当に妻には感謝している。

 世の中には「俺が稼いでいるんだぁ」とふんぞり返っているお父さんもいらっしゃるだろうが、そんな保護主義的保守主主義的家庭経営では倒産必至である。家事ははっきり言って「邪魔くさい」。お金持ちならば人を雇いたい。平安貴族ならいざ知らず、庶民の我々が男尊女卑ではいられまい。どうも、この保守主義的感覚は江戸期の儒教教育が庶民に広まったからではないかといつもの独断で思っている。

 江戸期は今の我々の感覚を本当によく形作っていると思う。宗教・政治・経済観念・家庭のあり方・他民族とのつきあい方など、現代日本人のアイデンティティー形成に役立っていると思われる。明治維新・大正デモクラシー・戦後民主主義を経てもなお、この感覚は直らないのかも。この感覚というのは、男は仕事。女は家庭。というやつね。

 生物学的な性差は認めるが、社会学的な性差は今後の我々が作っていくものであろう。社会学的に男女は平等である筈だなぁ。でも、経営者・政治家に女子は少ない。日本のような先進的な国は世界に先駆けて新しい理念を打ち立ててしかるべきだが、アメリカやヨーロッパに比べて女性の社会的リーダーは少ない。

 ヒラリー夫人。サッチャー首相。ドイツの首相。いったい何時になったら日本社会は女性総理を生み出すのだろうか。日本も、推古帝より過去10ほどの女帝もかつてはおられたわけで、、、。しかし、北条政子、日野富子といった夫の陰で、、、といった実力者像がどうしてもあるなぁ。ま、女性の教皇もいないわけだし、、、(と、いいたい放題でごめんなさい)

 独断と偏見です。これはこの四日間息子と家事を取り仕切った(家刀自)感想でござるよ。

愛って 何 ?

2014年03月06日 | 第九章 愛


人の身体は神の神殿

人にはそれぞれ「愛」が備わっています。わたしが勉強しているユースフル研究所のカウンセリング理論や所属するNPO法人では、常にこの事から立脚した勉強と活動が行われます。別の表現をすれば、性善説に立っているとか、まず人は善意を持った生き物だとか言えるでしょうか。

でも、「愛」というのは、善とは少々異なるわけで、さて、「愛」ってどんなものなのでしょうねぇ。

わたしはこんな事を頭では分かっているつもりです。

・70億人には70通りの、思考・行動・感情がある。

つまり70億通りの真善美に対する考え方や行動パターンがあり、喜怒哀楽に関しても感じ方や表現手法が違うということ。
でも、なかなか対人関係において、即座にぴったりの応対が出来ません。

「小さな事を大きな愛を持ってする」と言ったのはマザーテレサ。他にも多くの先輩達はこの様なことを仰います。

愛って? どうすれば身に付くのよ。っていつも思っています。わたしは「天の邪鬼」的な所があるので、反抗したり照れたり自尊心が高いから素直になれないのかも知れません。しかし多くの立派な宗教や哲学では、この愛の問題を模索し定義づけます。普遍的なものとして。

人の身体が神様の神殿である限り、そこに「愛」は宿っていると思うのです。

対人関係に於いて、傷ついたり傷つけられたりは繰り返されるし、私なんかいつも怒りっぱなしなわけです。(あまりアサーションしませんが)好きか嫌いか、怖いか怖くないかを大事にして愛を意識して他人に接するってのが今の自分には精一杯でしょうかね。

みなさんはいかがですか?



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