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威風堂々

晴れ晴れと、伸びやかに日々を過ごすために。
「心」と向き合うことで、日々の健康を大切にしましょう!

確かな明日を保障して下さい

2017年04月12日 | 第九章 愛
最近は「イースター」もイベント化しているので驚いている。きっと莫大な売り上げが期待できるからであろう。卵、うさぎ、イベントで人手が町や百貨店、遊園地に繰り出すと言うわけだ。だが、日本人は本当の意味を正しく把握はしようとしない。そこに日本人の特性があるのだが、また悲しみもある。最近の森友学園を初めとする風潮を深く憂える私は、本当に日本国を愛してやまないのである。だから敢えていつも言っている。


 私は民族国家や人間(私と同じレベルの個体としての)を絶対的献身の対象とはしたくない。人類はこの手の誤りを何度となく繰り返している。我が民族とか、我が師とかを仰ぐのは愚の骨頂である。この問題は『愛』を捉えるのに実に深い研究対象になる。人は献身の対象を自分自身以外に広め出すことで、他人を愛し、他者に恋をし、誰かと結ばれる。さて、この献身の対象を自己以外に求めようとするとき『幻想』が生じてしまう。危険である。きっと神仏、サムシンググレートというものを作り出す心理作用の謎もここに秘められている気がする。従って、正しい宗教に救いを求めるという決着点が見いだされるわけだ。ミクロの視点で私の場合はどうかというと、自分自身が定年退職後にどんな人生を歩むのか?また、金銭的に今の消費と将来への備えのバランスをどうやって保つか。この2点のイメージが何とか描けていると安心できるような気がしている。
 理想とすることが現実に追いつかない場合、理想をいったん引き下げるしか無いとよく言われる。確かに自分の心を安定させるにはそれしかないし、体験の解釈を明るく保って低い理想の世界で幸福を見つける努力をするしかない。そうしないと発病するだけであろう。自分の心の安定を保つ方法は、自身が「鬱病」を経験したおかげで体得は出来ているのだが、怒りの感情を和らげるコツがまだ分からない。特にすぐに怒りを収めて日常の平安な心理に戻す方法が会得できていない。また、自分は制御できても、周囲に状況が「自分」を苦しめ出す場合がある。とりあえずは逃げ出すしか無いのだが、それが出来ないときの対処方法を今後編み出すことが私に課せられている。






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落ち着いて勉強がしたい

2017年03月13日 | 第九章 愛


今日の朝刊に前田吟さんの「私と学校」という記事があった。実に心が清清しくなった。前田さんは実に苦労を背負った幼少期で、学校の帰りも、牛乳配達や新聞配達と、ゆっくり落ち着いて学校で勉強が出来なかったそうである。それでも、俳優になって活躍されている。

『だから、今の子ども達にはのびのびと勉強して、友達作って、遊んで、自由にして欲しいよね。それだけだね。』

僕も同じ意見なので、本当に清清しかった。




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マザー・テレサ

2016年09月03日 | 第九章 愛


マザー・テレサが聖人になられました。

「貧しい人たちがいるのはインドだけではありません。東京にもたくさんいらっしゃる」と言う言葉を来日時に聞いた世代である。

「貧しい人は幸い」なぜ? 僕はテレサのような人間には遠く及ばないのだけれど、思いだけは、「近づきたい」と思っている。なぜだろう?

人の役に立ちたいと思っているから
神様を身近に感じたいと思っているから
愛を実践したいから

なんか、すべてきれい事じみていてどうも嫌だし、素直になれない。
でも、率直に「皆が平和で笑って暮らせる世の中になるために、僕は何が出来るか?」を思い描いて仕事はしている。だから、同僚にこれを言うと、必ず最後になぜか笑われてしまうのだが。

テレサの歩んだ道を知れば知るほど、自分の生き甲斐というものがうっすらと見えて来るんじゃないだろうか、皆さんはどう思われますか?







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介護20

2016年04月03日 | 第九章 愛


保育園の待機児童も大変である。私ももう経験したが、そりゃまあ大変である。一人目は家内が奮闘していた。二人目は僕もちょっと奮闘した。といっても、鬱病になる1年前だけ毎朝息子を保育所まで届けた。
我が地域は公立の保育所が2箇所だった。しかし、第四保育所というのと第二保育所という2箇所だったから二つの施設は減らされていたわけだ。娘の時は保育士さん一人に児童は10名程度だったと思うが、息子の頃にはそんな甘い時代にはなっていなかった。第一郵便局の「学資保険」の掛け金も違っていた。びっくりする。ま、日本経済は全くもって良くはなってはいない。僕のゴルフスコアほども良くない(^_^)
娘は、幼稚園教諭、小学校教諭、保育士と資格を取って大学を卒業した。保育所は環境に恵まれていたし、保育士さん達も公務員だったし、のどかな田舎でもあったしゆったり育った。小学校に行って幼稚園とかの子ども達に混じって凄いカルチャーショックだったようで、「あの明るい娘」はどこへ?って感じで、溌剌さが無くなった。まず、保育所問題で何が言いたいかというと、それは、社会の「余裕」のなさである。医療、教育、介護福祉の世界も、小売店よろしく「顧客満足度100%」を目指して数値目標を立てるんだそうである。馬鹿である。利益を生む業界ならいざ知らず、もう開いた口が塞がらない。社会主義でも資本主義でもイスラムでもキリストでも兎に角これはもうおかしい。兎に角、「市バスの運転手の給料が800万は高い」とかいう人が政治家だからなぁ。いやみんながそれ位の給料になる社会を目指すベきじゃないんですか?政治家だったら。そりゃ核武装も何でもありになってくるでしょうね。
僕は待機児童の問題と介護老人施設の問題はこの国が本気で明治維新から何を学んだか、という試金石だと思っています。昔、「米百俵」をえらくたたえた総理大臣がいましたが、この米百俵の話しをどう解釈しているんでしょう。

何年かぶりに、母のほほをなで、彼女の顔を見つめることが出来ました。彼女はそうですねぇもう25年ぐらい認知症というか、解離性障害とうか、彼女もしんどかったと思いますが私も一人息子でしんどかった。今漸く介護4になって特養に入所がかないました。グループホームにしか入れなかった6年前、暗澹たる気分で月20万円の費用を払う決断をしました。彼女は国民年金ですから受給額は5万円。貯金なんて500万円。私は一人っ子です。僕も子どもの教育費があるわけでね。父も国民年金ですから、今は91歳。母の貯蓄は0円。何が「一億総活躍社会」ナンでしょうか。笑いますね、、、。「上見て暮らすな下見て暮らせ」ですけどね。やっと特養に入れましたからこころから「母よ、長生きしてね」と言えるようになりました。家族の所得じゃなくて、本人の所得から介護施設には楽には入れるようになりませんか?待機児童は大切ですが、彼らの70年後を考えると消費なんて出来ますか???バンバンかねつかって経済が成長しますか?老後の安心がないのにどうして「活躍」など出来ます?うん?自己責任だって?数値目標?評価でSもらえって?ハハハ。若い奴がこういうことを平気で言っているのを見ると、どうしてこうナンだと呆れる日々です。

今日は母親をじっと優しく見つめることがやっと出来た日でした。僕だって日本人です。桜も天皇様も大好きです。世界の人々も大好きです。韓国人もエジプト人もみんなが幸せになって欲しいと思っています。






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カリタスカウンセリング78

2015年10月10日 | 第九章 愛

 自分が職場や学校で他者によって不利益を被っている場合が多々あります。
嫌いな人と付き合わなくてはならない場合です。仕方がなくチームや班になる場合があります。皆さんはどうやって乗り切っていますか。
他者を思いやる必要はありますよね。どうしてその人はそんな性格になってしまったのか。哀れむ必要性もあるかも知れませんし、逆に憎らしく思う時もあるでしょうね。特に自分に不利益が生じそうなケースはいち早くその原因をシャットアウトしておきたいですよね。最良の手は先制攻撃。これ、自分の心の平穏のためには致し方がありません。即座に相手の出方が「病的なゆらめき」を持った行動だと直感したら、逃げ出すか戦うか二つに一つです。

「自分以外は奇人変人」で、日々驚きの連続ですからね。
『生き甲斐の心理学』119頁  真剣な自己分析の必要性が説かれています。「あの時が愛された場面だ」を自分自身の経験で振り返ってみると、他者とのつきあい方がおぼろげながら見えてくる場合があります。




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