日本では万葉集以来勅撰和歌集が編まれています。何故にこんなに帝の命令によって詩集が編纂されたのか。色々と説はありますが、私はこう思っています。
昨日今上陛下、皇后が鹿児島の離島を訪問されました。私は老齢のお二人が映し出されると正直涙がこみ上げてくるのです。
天皇は日本国を統治されておられる方だから
日本国憲法によって日本国の象徴となった人だから
さて、古来より、いろいろ政治的に利用されてしまうのが『天皇制』であり帝自身ですが、今上帝は学童疎開も経験され、戦後の新憲法の下で、日本国と皇族の在り方を賢明に考え抜いて実践しておられると思います。人権の保障のない中よく頑張っておられるなぁと。そこで、和歌です。
古来日本語は、神、サムシンググレート、人知を越えた存在、との交信のためのツールとして完成されていったという説に私は与します。映画「スターウォーズ」風に言えば「フォース」との通信手段とでももうしましょうか。そして天命を授かった統治者は、平和の内に領地を治めなくてはならい。
天命を授かる統治者となるまでには、残酷な戦い、汚い密告、酷い裏切りといった様々な暗黒面が展開される。そのうちに、そのカオスの中で一つの秩序が生み出されてくる訳です。そしてその秩序を制御する人間こそが預言者と呼ばれたり統治者と呼ばれたりして、政治権力と人知を越えた存在(天命を授けた存在)を祭る権利を行使する。リーダーというかボスというか、誕生するわけです。そしてリーダーの仕事はその集団が未来永劫存続するためには大事なお勤めとなるのです。日本は天災が多い。地方の反乱もあった。これらを「祟り」と解釈することで、それをどうやって慰撫するか、が課題となるわけです。
こういった、鎮魂、静めの儀礼として「詩歌」が誕生した、あるいは利用された、という説に与します。率直な感情を言葉にしてしかも、凝縮した濃厚な味わいのある言葉にして日本の場合は「短歌」によって、地名を読み込むことでその地を静かに修める。
「やまとは くにのまほろば、、、」というように。
陛下が今も各地へお出かけになるのは、日本の国土の鎮魂であり、天災が起きればそれは荒ぶる神々の祟りと解釈し、それを鎮めに祈りを捧げに参られる。(お参りという意味は自らがその場所へ身体を、魂を運び込むということ)
そんなことを思いながら私は陛下、皇后のお姿に涙するのだった。私は変わり者だろうか??? 自分では愛国者のつもりであるが。
