goo blog サービス終了のお知らせ 

威風堂々

晴れ晴れと、伸びやかに日々を過ごすために。
「心」と向き合うことで、日々の健康を大切にしましょう!

死刑とは

2018年07月29日 | 第九章 愛


 死刑

遺族の方々の感情を傷つける意図はございません。

私は大学生の頃から死刑制度には反対です。よく死刑制度が残っている国として
アメリカがあげられていますが、あの国は州によって司法が独立していますので、
死刑制度をとらない州が多いと思います。

誤解を恐れずに云いますが、日本では、意外に政党と宗教団体の垣根が低いのにもかかわらず、こういった国家が国民を殺すという極刑がまかり通るのか不思議です。

今回はオウム真理教というカルト集団の犯罪、しかも大量殺人に関わったものの断罪です。果たして信者たちの罪や、死刑になった者たち以外の幹部はどうなのかとか、色んな問題があるわけで、たかが元号が変わるから平成のうちに国家として死刑を執行しておかなくてはならないといった狭量な判断で行われたとしたら、それはもう駄目でしょう。


死刑がいけないのは、もう言う気も起きません。極刑は「終身刑」が一番。兎に角死刑はいけないと思います。そんなの説明する必要があるのでしょうか。それを説明しないといけないところがこの国の?な所です。


悪人を社会としてどう矯正してゆくか。出来ないとしても努力する意味は無いのでしょうか。



 時代わり行水見なくなりにけり   自作









人気ブログランキングへ よろしくお願いします。 お読み頂きましてありがとう存じます。

暑い暑い夏に考えた

2018年07月25日 | 第九章 愛

親近感を抱くとどうなるか。

・興味がますます大きくなる
・ひとりじめしたくなる
・自分に合わせたり、合わせにいったりする

防衛機制でいう
摂取・同一化・置き換えが起きる。現実を正しく見分ける力が影響されず、つまり自分は自分で独立している、という心理状態が維持できていれば、何があっても、感情転移・退行・逃避といった傾向に走ることなく、健全な「愛」を貫く事が出来るかも知れない。

男女の関係に置いてだけ「愛」が介在すると考える誤謬に陥る人はいないとは思うが、「愛」の正しい概念を持っておくことが、偏らない愛の実践に繋がるので、健全な「愛」についての概念はお持ちになるべきだと思う。

昨今、保護主義、ヘイトスピーチ等に見られる、病的とも思える風潮に接すると暗澹たる思いになるが、これらの言動や行動は「愛の枯渇」以外の何者でもない。残念ながら全体を俯瞰している完全なる論理体系は、極端なポイントだけを突いてくる矮小論理に突き崩されやすいので困る。良い例が、天皇機関説が失礼だとして葬り去られ(戦後、GHPの責任追究を避けるために導入されているが)、尊皇理論の「古事記及び日本書紀の研究」まで「国体明徴運動」により排除されていった事実を忘れてはならない。

国を愛しても、夫を愛しても。神様を愛しても、どうか「孤立感」に陥るような愛し方はゆめゆめなさいませんように。









人気ブログランキングへ よろしくお願いします。 お読み頂きましてありがとう存じます。

嫉んだりして

2018年07月17日 | 第九章 愛




人間は諦めが肝心かも知れない。

加齢と共に筋力が弱まりいろいろと力尽きることが多くなってくる。


山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がなければ無に等しい。

さて、皆さん、愛とは???

今日は、愛とは嫉まない、ということを心に留めてみたい。私はよく他人のことが羨ましく思えるときがある。特に「お金持ち」。
ゴルフ会員権をいくつも持っている人。羨ましい。

出自がいい人。羨ましい。
名門コースの会員に自分の努力でもなく代々なれる人とか。

高級外車に乗り、豪邸に住んでいる人とか羨ましくてしょうがない。

皆さんは如何ですか?

いらだたず、恨みを抱かない。でも私は金持ちが羨ましい。







人気ブログランキングへ よろしくお願いします。 お読み頂きましてありがとう存じます。












愛の鞭?

2018年05月31日 | 第九章 愛

日大アメフト部の問題で
「愛」について考えた。

いってまえ! とか、潰してこい! って別にスポーツの世界では普通に言うと思う。チームを愛し、母校を愛し、後輩、先輩に同級生。それにコーチや監督を愛していればこそ敵チームよりは優秀でありたいし、勝ちたいと思うわけだ。いい就職先があるからとか、自分の自尊心のためでもあるかも知れない。

厳しい指導。分かりやすいのは「体罰」である。体罰には殴る蹴るだけではなく、暴言やいい知れぬ圧力も含まれているのが実際の所である。精神的体罰ってのもある。

「お前を愛しているからだよ」って夫婦間のDVでもよくある話だ。

経験から言うと、体罰行為はやはり「愛」しているからというのは「言い訳に過ぎない」というのが私の結論だ。防衛機制の「合理化」にあたる作用のような気がする。本当は憎たらしいのではないか。自分の要求に応えられない弟子、伴侶などを殴るのは、その瞬間は「腹を立てている」はずである。「なんでそれ位のことができないのか」って。厳しい指導。否定はしないが、そこに憎しみや自分の鬱憤晴らし、相手の服従を見取った段階でこちらの態度を改めないと「独裁者」それも極悪独裁者になってしまうと感じている。

皆さんはどうお考えだろうか?

本当の愛とは、やはり、忍従の耐える隣人愛が真実の愛だろう。だから訓練を要する。









人気ブログランキングへ よろしくお願いします。 お読み頂きましてありがとう存じます。


花曇り

2018年04月09日 | 第九章 愛



息子がこの春から大学生になり一人暮らしを始めた。タウンエースを借りて引っ越しをした。実家からはそう遠くはない。しかし、一日かかってベッドやら机やらこしらえて、布団を買いに行って、、、。しかし、母親は何かとまめだと痛感した。台所セットとかトイレセットとか、こまめに整理してまとめていた。父親の私はこういったことは苦手である。


殊勝にも後日息子から感謝のメールが届いて、「へー、こんなメールが打てるのか」とちょっと感心した。私も大学生で家を出て下宿したので、懐かしい思いであった。そして、親の気持ちとはこういうものなのかとうっすらと気が付いた。ほんのりというかうっすらというか温かい気持ちになった。


巣立ちの季節ですが、若者よどうか、自分の生きたいように羽ばたいて欲しい。親に反対されても、、、、。