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威風堂々

晴れ晴れと、伸びやかに日々を過ごすために。
「心」と向き合うことで、日々の健康を大切にしましょう!

たまきはる

2022年09月19日 | 第九章 愛


英国女王の葬儀の日である。日本では敬老の日か。

某国元首相の国葬儀と英国女王の葬儀を比較しても始まらないが、某国与党の横暴と野党の不甲斐なさ、そして国民の政治無関心が際立つ。


さて、「たまきはる」という言葉が印象に残るのです。なぜならば、本日は台風接近によりゴルフもできず、家で読書をしていて、中西進先生の『ひらかなでよめばわかる日本語』を一気読みしてしまったから。

「私達現代人は いのち とは「死ぬまで生きることが続くこと」つまり「限りあるもの」としてとらえますね。しかし、古代の人々は、そうは考えていませんでした。」

 たまきはる 命は知らず 松ヶ枝を 結ぶ情は 長くとぞ思ふ


たまとは 霊魂 のことです。日本の古代人も魂の存在を信じて、永遠不変なるものの信じていたようです。天気図で見る台風の形というか、勾玉の形に可視化していたと思われます。

血で血を洗う闘争のすえできた立憲君主制の英国と某国の国体を比べるべくもありませんが、また、歴史が違う魂への思考方法が、英国の国葬の形と某国の形を際だたせてしまいます。某国にも過去たくさんの女帝がいましたし、死んでも魂は残るという確固とした概念があったのになぁと思います。






カリタスカウンセリングの原理 116

2021年01月10日 | 第九章 愛
自発性

面倒を見るという日本語がある。世話好きというか、まめまめしいというか、実に自然体に他人の世話をしてくれる人がいる。私はこういうことが自然体に行えないタイプである。
例えば、ゴルフをしていて、打ったボールが上手く見つからないときが間々あるのだが、そんな時実に嫌味なくスムーズに一緒に探してくれる。マナー的には探すのが原則であるが、それを、実に自然体に行う人に出会うとすがすがしい気持ちになる。

子どもが、年少者の世話を素直に実行するようになるとき、自発性が芽生えたと言えるのではなかろうか。優しさの表現として解釈する向きが日本では多いようだが、実はこれが、ボランティア精神の発芽のような気がする。

強制されもしないで、滑らかに、世話をしてくれる。また、そういうことができる。そんな人になってみたいものである。






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カリタスカウンセリングの原理 110

2020年07月22日 | 第九章 愛


基本的信頼

私の場合は、父が38歳、母が30歳の時に誕生している。父親はどうも二回目の結婚だった。両親の愛を一身に受けて恵まれて育ったと思う。物質的な豊富さはなく、かといって貧乏でもない、幼少期を過ごしている。

一人っ子だったので、両親の愛をずっと受け続けた。このことは、私を

 ・生真面目
 ・人を信頼する
 ・どちらかというと甘えん坊

周囲の人との軋轢を避ける傾向になったし、情緒面でも安定したよい子だったと思う。

今でもそうだが、性善説でコミュニケーションを取っている。良い悪いではなく、基本的信頼感は両親から注がれた愛情で醸成されたと思っている。

皆さんは如何でしょうか






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母子関係 このあぶないもの

2020年04月29日 | 第九章 愛
母子一体感を私流に考える


 感動した映画のシーンのことを誰かに話すときとか思わず自分が嗚咽してしまったりすることがありませんか。また、自分のお子さんのことを話されるときに、感情移入が過ぎて泣いたりしてしまう母親像をテレビドラマなんかでよく見かけます。父親にもありますが、父親はそういう感情移入は「じっと黙って高倉健」的に抑制がきいてます。誰しも感情が没入してしまうときがあります。

 自分が感動した映画なら相手は映画なのでいいのですが、これが人間では非常にまずい。死んだ人のことを思い出す場合もあります。亡くなり方にもよるので誤解されると困るのですが、もうその無くなられた方は今後この世では生活してゆかない。しかし、相手が自分の息子さんや娘さんで、まだこれからがある方々の場合少々厄介になります。

 持統天皇と草壁皇子との関係に想像を巡らせてみて思い至ったのですが、強烈な母子一体感、共依存関係にあったのではないかと。一般に草壁親王は病弱だったとされます。私もずっと幼少期はそうでした。私の母は私を産むとき難産だったようです。二度と出産は経験したくないといっていました。私と母の関係を持統・草壁に当てはめると非常にしっくりとあるべき日本の母子関係が見えてくるのです(私にだけでしょうが)。

 日本人の母子関係の考察は、詫び寂び、穢れ、もののあはれ、甘えの構造、幽玄といった日本人独特の感性へと妄想が膨らんでゆきます。さて、皆さんはお母さんとどんな関係を築いていますか。私は思春期、絶えず母親からは逃げたいと思っていました。戦っていました。その戦いは今も続いていると思います。







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one day more

2020年04月11日 | 第九章 愛


今年のご復活ミサは教会に行けない。だが、祈りはどこででもできる。

昨晩は、『レ・ミゼラブル』DVDを鑑賞し一人で感動の涙を流しっぱなしだった。恨みや憎しみを受け止めながら、悲劇に翻弄され、報われない愛や勇気。贖罪と正義。人生は不条理である。しかし、信仰を持ちながら、過去は過去として、現在を重視して生き延び、将来に希望を見出して生きる。そこには『愛』がなければならない。そして愛の本質は「罪の許し」である。人は完全ではないので必ず罪を犯す。その時、正義の裁きは下されるのだが、許しが行われることもある。その時の許しこそが「愛」であろう。

人は生きることが長くなればそれだけ贖罪を背負うことが増えてくる。復活の聖なる喜びを迎える前にもう一度自分を振り返り、新しい希望を迎えたいと思う。人類は今、コロナウィルスとの戦いを強いられているが、生き抜くために何のをしないといけないのか、何を我慢し、辛抱して何を準備するべきなのか、想像を巡らせてみたい。






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