12月8日である
ジョンレノンが射殺された日である
高校生の時であった。ちょうどそろそろバンドでも組もうかと友人らと考えていて、ベースギターを買っていた。修学旅行の直前であった。僕はビートルズが大好きで、中でもジョンレノンには人間的魅力も感じていたし、「イマジン」「ハッピークリスマス」の歌詞なんかに陶酔していた。
僕の青春が1つしぼんだ瞬間だったと言ってイイ。僕は「平和憲法の下で」法の下の平等を学んだし、紛争解決手段としての武力行使は行わないという信念に共鳴している。イエスキリストはローマ帝国に対して、武力蜂起をせずに「神の摂理」で戦いを挑んだ「神の子」だとも信じている。
12月8日は日本が米英蘭仏中に戦争を仕掛けた日でもある。(中国とは、国民政府を相手にせず、と言っていたからこの日からと一旦言っておく)未だにUNITED NATION と言っているが、(国連は戦勝国の中心組織なのだ)ソ連とも中立条約を結んでいたので布告していないだけだ。ま、世界の大国を全部敵にまわした日である。
今世界は、組織化されないテロまでもが起き始めている。おそらく中東の一部地域を攻撃したって収まらないのは明らかだ。組織化した集団との戦いは一定のルールが見られるが、世界的な殺し合いにナルトもう歯止めは効かない。
ジョンレノンは「Power to the peaple」という詩も残しているが、「REVOLUTION」と云う歌も残している。
僕は、「当たり前の国に」というスローガンの下、大国と足並みを揃えた国際観を持つことに踏み切った姿勢には賛同はしていない。「反対だが、所属集団が決めたことだから従う」という前提に賛意は示しはするが、その事柄の是々非々は存在するので、「神風特攻隊員」を作って生きた大人、というか、教育者のようには絶対なりたくはない。勿論、その後手のひらを返したように生き延びた戦前の支配階級のような生き方も嫌いだ。
折角の平和憲法だが、使い方を僕たちは間違えている。
詩を1つ。
「僕は、いじめられっ子を知っている」
いじめられっ子は、ひ弱だが、憎まれ嫌われるようなことをするものだ
だから、いじめたくなる
我慢が出来ない
ついつい「ちび」「きっしょ!」「キモー!」って云ってしまう
いじいじすんだもん
むかつくんだもん
よわむしなんだもん
たまらなくなって
「お前らいい加減に止めろよ!」って立ち上がって喧嘩になった。でも「いじめられっ子」は僕と一緒に傍観者だ。
「恐いから」
いじめる立場の方が格好良く見えるし、尊厳を持っているように感じる
苛めはなくならないのかなぁ、、、。でも、必要悪では絶対にないと思っている。

よろしくお願いします。 お読み頂きましてありがとう存じます。