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威風堂々

晴れ晴れと、伸びやかに日々を過ごすために。
「心」と向き合うことで、日々の健康を大切にしましょう!

漱石先生 6

2012年12月23日 | 文学・評論(現代・近代)
アメリカの銃乱射

これは、大変深い問題だ。

・この世から武器がなくなるのが良い
・核兵器がなくなれば良い
・死刑制度はなくすべきである

一方で

・武器によってお互いが武装することで抑止力が働く
・みんなが核兵器を持つ事でお互いが抑止される
・死刑があるから犯罪は抑止される

さて、どうだろう。

「人類は決して進歩はしない。変化するだけである」

第一に自己の個性の発展を仕遂げようと思うならば、同時に他人の個性も尊重しなければならないという事。
第二に自己の所有している権力を使用しようと思うならば、それに附随している義務というものを心得なければならないという事。
第三に自己の金力を示そうと願うなら、それに伴ともなう責任を重んじなければならないという事。

これは、漱石の『私の個人主義』の一節であるが、いつも私はこれこそが、教育を受けたもの。ある程度の経済状態で生活をしているもの。マネジメントに携わるもの。が肝に銘じる必要がある名言だと思っている。

日本の選挙も、脱原発よりは経済対策が重視されたようだ。活断層の上の放射能と我々はどうつきあうのか。私も含めて、所詮70年程度の生涯で「未来を論議」することの無駄さ加減はご理解頂けよう。しかし、人類が進歩する気があるならば、「再生医療」よりも放射能をどうコントロールするかの方が、重大な命題であるはずだ。

あるドラマで、こんなシーンがあった。時の監視人という全ての時の流れを監視している何者かがいるのだが、

「私はいろんな世界で、いろんな未来をみてきた。君もいつか死ぬのだ」

と自分も傷つきながら呟く。

さて、皆さん。クリスマスです。救世主はどうやって誕生したのか。そして、その歩みはどうだったのか。そして、何を感じ、考え、どんな行動をとって最後には十字架に掛けられたのか。

クリスマスの意義をちょっと考えてみませんか?





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藤本義一

2012年12月09日 | 文学・評論(現代・近代)

藤本義一さんの死も僕には残念である。

・イレブンPM
・虎キチ(阪神タイガースファン)
・井原西鶴・織田作之助
を始めとする上方文芸、演芸
・煙草と酒と恋
・ロマンスグレー

ま、いろいろある。僕はテレビ、ラジオ、雑誌を通じていろいろ勉強させて頂いた。

本当の大坂人には、「東京よりこっちの方が上だっさぁ」という秘めた気概がある。

うーん。 長嶋茂雄と村山実の対決のような、、、。

西鶴の小説の、現実主義は、色恋も、町人物でも、非常にシビアでリアルだ。一方で近松門左衛門の心中ものにみられる情緒は?
これも、人間の虚実を巧みに捉えて芸術に昇華している。





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「義」とはなんでしょうねぇ。

2012年12月02日 | 文学・評論(現代・近代)

マイケル・サンデル氏の

これからの「正義」の話をしよう という本を読んでいる。
帯には

「1人を殺せば5人が助かる状況があったとしよう。あなたはその1人を殺すべき?」

このテーマは、僕が高校生の時、ドストエフスキーの『罪と罰』に出会った時からずっと自問自答しているテーマである。例えば、

「正義のためには暴力の使用は当然なのか」など。

『罪と罰』のラスコーリニコフは、人を助けるための暴力は赦されると結論を下して、金貸しの老婆を殺害するわけだ。アメリカのテレビ番組のヒット作品のテーマはこういったことを扱っているものが多い。

こういう事柄は「倫理」問題に集約できるかも知れない。日本人はあまり、倫理とか正義とか語るお父さんが少ない。と感じる。

消費税でも、原発でも、そうなのだが、あまり目先のことだけで情緒的に判断していると将来を踏み誤る気がしてしょうがない。でも、「どう踏み誤るねん?」と聞き返されて、はっきり論じ立てられないところが僕の弱いところだ。




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いじめと「ドラえもん」

2012年08月20日 | 文学・評論(現代・近代)


ドラえもんは非常に息の長い漫画である。日本を代表する一種の文学と言ってもよいか。少なくとも、日本文化を象徴したいくつかの性格が登場人物には表されているようだ。

 一頃、僕が大学生の頃は、

 のび太=日本 ドラえもん=USA ジャイアン=日本の仮想敵国

 といった分析が(僕の周りだけかも、、、)されていた。言い得て妙であった。困ったのび太がドラえもんに泣きつくと、ドラえもんが何とかしてくれる、といった構図。


 今はどうなのだろうか。

 児童生徒の間に、ジャイアンやスネ夫。のび太。という関係図があるだろうか。大人社会でも同様だが、ドラえもんはいないようである。

 「ドラえもん」をよくは読んでいないので、のび太が一人で難題に立ち向かう話があるのかどうかは知らないが、これからは、のび太が自分の力でジャイアンに立ち向かわないといけないのではないだろうか。ただ、ジャイアンが心の底(魂)では、人類愛という共通項が確認できる存在である事が優先されるが。

 ネット社会だろうと、アナログ社会だろうと、「悪(いじめ等、、、)」と向き合う事はあるので、「問答無用」と実力行使で解決可能なのは、20世紀の話のような気がしている。暴力や武力でねじ伏せても無意味であろう。しかし、私が大学生の頃、住んでいたアパートの近くの中学校でいじめによる自殺者が出た事件がある。私が20代であり、マスコミ、教員等が志望であったので、大変大きなテーマとして迫ってきた。

 確か、「葬式ごっこ」

 教師も色紙に心ない事を書いていたか。被害者は今生きていれば、40才ぐらいだろうか。

正しいかどうか分からないが、ネットに彼の遺書が載っていたので、、、。

「家の人へ そして友達へ

突然姿を消して申し訳ありません
(原因について)くわしい事については
・・・とか・・・とかにきけばわかると思う

俺だってまだ死にたくない。
だけどこのままじゃ「生きジゴク」になっちゃうよ。
ただ俺が死んだからって他のヤツが犠牲になったんじゃ、
いみないじゃないか。
だから、もう君達もバカな事をするのはやめてくれ、
最後のお願いだ。」

昭和六十一年二月一日
                         

本物かどうかは、分からない。ただ、大筋で間違いはないと思われる。

大人(親と教師)が「違い」を認め合って、つまり、能力差も、身体差も、性差も、いろいろ、違いを認め合って共に生きる。というあたりまえの事を実行するしかないのではないか。と確信している。



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漱石先生 5

2012年06月08日 | 文学・評論(現代・近代)

漱石の言いたかった「個人主義」とは何だろうか。

 金力、体力に勝る西欧に対等に渡り合うことを真剣に、あるときには諧謔的に思索していた漱石は徳力に力点を置いた時期があったように思う。肉体の力では負けるし、経済力で、科学技術で劣勢の日本がどうやって生き延びるのか。ま、世界史の中であるが、断っておくが私は右翼でも左翼でもない。愛国者ということは認めるが、それ以上でもそれ以下でもない。漱石は世界の中で日本が生き延びる方法は「個人が独立」した精神を持つべきであると考えたと私は思っている。

 よく、戦後日本人の精神性は「母子社会」「甘えの構造」と言われる。その通りだ。日本の古代史からずっとそうだ。漱石は明治維新を経て大正に向かう日本が、真に独立近代国家として良い国になるには、しっかりとした個人を打ち立てるべきだとかんがえたのではないだろうか。留学先のロンドンで、大英博物館の奥にある図書館で何を考えただろう。少ない官費で大学に入学することをあきらめた彼は、元大学教授を家庭教師に迎えシャークスピアを初めとする英文学者の文献を読みあさる。明治国家の意思は「英語教師」育成。漱石の意志は「英文学研究」。

 いつの時代も、国家は目先を考えて「学力」しか計らないし、多少外語ができて、理数ができると安心するようだ。だが、じつはそれでは何時まで経っても個人は独立しない幼稚な国家しか生み出せないのだ。この国は全くこの連鎖から抜けきれないようだ。大化の改新も外圧を感じて政治の刷新を試みたが、壬申の内乱後、外国から本格的に攻め込まれなかった日本。それはそれで幸せなことであるが、江戸末期は違っていたようだ。鴎外、漱石といった実に文豪と言うにふさわしい小説家も誕生している。

 これからのキーワードは個人主義だと思っている。もう組織に殉職する時代ではないと断ずるがいかが?


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