さて、英語教育の充実が声高に言われて久しい。
グローバルスタンダードだ。日本は世界に取り残されている。
で、東大など大学は「秋入試」。高校では「英語」で授業。等々。
悪くはない。
銀行に勤める友人は「大学はもっと即戦力になる人材を育成しないといかん」「教師はサボっている」
なるほど。
いつの頃からか、大学生の就活は文系でも三年生の夏頃から始まるようになってしまった。一体大学の持つ意味は?
『自分がどうしてこうなった』『自分が何なのか』『これからどうしたいのか』という自分のアイデンティティーを日本語でさえ語れないのに、どうやって英語で表現出来ようか。
まずは、我々がどうして「秋入学」が良いと思うのか?留学生を受け入れやすくするため、という理由が言われているが、そうなのか?本当は高校生が米欧州の大学に出て行くために日本も「秋入学」にするべきではないだろうか?グローバルなんだから、、、。日本の若者が外国に出てしまって帰って来なくなるのが怖いのだろうか?
大学は最高学府である。理系・文系共に勉強を深める場所であって、企業人を育てる場ではないはずだが。
やはり、日本人の日本語力が衰えている。基本語彙を知らなすぎるようだ。漢字検定一級を取れとは言わない。イギリス人だって全員がTOEFLやTOEICで満点取るとは限らない。が、「山本五十六」が読めないとか、そんなレベルで日本人の日本語能力が落ちている。これは、日本史と現代文の授業、大学入試制度等様々なところで非常に能力主義成果主義に陥っている弊害である。書店で、現代文の参考書を見るたびに思うのだが、これを買って勉強する受験生は「不幸」だ、と。「わかりやすい」のだそうである。主客が転倒している。難しい物を読解する努力をしてこそ、『自分がどうしてこうなった』『自分が何なのか』『これからどうしたいのか』が日本語で表現出来るようになるのだ。残念ながら、試験を解く技術で満載の参考書が大変売れる。遺憾である。『日本語の作文技術』本多勝一 『文章読本』三島由紀夫 などを読むべきだ。そして、新聞だ。で、自分で読解方法を編み出さないといけない。まずは、「乱読」。だが、読むべきは、現代日本語で書かれた古典的作品だ。評論、ノンフィクションがよい。残念だが、新聞を読まない、ラジオを聞かないから、「類推」「想像」って事が貧困になっている。目の前にわかりやすく提示してもらえるテレビやアニメ。パソコン、マニュアル本(参考書)に頼りすぎ。若いのだから、背伸びして食わず嫌いはやめよう。

よろしくお願いします。
お読み頂きましてありがとう存じます。