朝日新聞入社の辞より、前半一部抜粋 青空文庫より
「大学を辞して朝日新聞に這入ったら逢う人が皆驚いた顔をして居る。中には何故だと聞くものがある。大決断だと褒めるものがある。大学をやめて新聞屋になる事が左程に不思議な現象とは思わなかった。余が新聞屋として成功するかせぬかは固より疑問である。成功せぬ事を予期して十余年の径路を一朝に転じたのを無謀だと云って驚くなら尤もである。かく申す本人すら其の点に就ては驚いて居る。然しながら大学の様な栄誉ある位置を抛って、新聞屋になったから驚くと云うならば、やめて貰いたい。大学は名誉ある学者の巣を喰っている所かも知れない。尊敬に価する教授や博士が穴籠りをしている所かも知れない。二三十年辛抱すれば勅任官になれる所かも知れない。其他色々便宜のある所かも知れない。成程そう考えて見ると結構な所である。赤門を潜り込んで、講座へ這い上ろうとする候補者は――勘定して見ないから、幾人あるか分らないが、一々聞いて歩いたら余程ひまを潰す位に多いだろう。大学の結構な事は夫でも分る。余も至極御同意である。然し御同意と云うのは大学が結構な所であると云う事に御同意を表したのみで、新聞屋が不結構な職業であると云う事に賛成の意を表したんだと早合点をしてはいけない。
新聞屋が商売ならば、大学屋も商売である。商売でなければ、教授や博士になりたがる必要はなかろう。月俸を上げてもらう必要はなかろう。勅任官になる必要はなかろう。新聞が商売である如く大学も商売である。新聞が下卑た商売であれば大学も下卑た商売である。只個人として営業しているのと、御上で御営業になるのとの差だけである。」
漱石はおそらく東大の教授給料で400万円ぐらいはあったんだろうと推察する。で、他に早稲田とか、外大とか師範学校とかまぁ、講師をして年収は600万円ぐらいかな、と思っているがどうであろうか。私はかれが、公務員体質、それは制度的にも組織的にもなのだが、性に合わないこと。年収。自分がやりたかったこと。おそらく時の大阪朝日主筆池辺三山と意見が合い、新聞社も部数を伸ばしたかったし、漱石も月給制で収入の安定した、作家になる道を選んだんだと思う。勿論実績と将来性がないとこんな安定した作家の道は開けては来ないわけだが。
長い引用となったが、いろんな評論家を通すよりも直接漱石の文に親しんでもらいたかったからだ。果たして漱石先生はその生涯と作品、講演を通して我々日本人に何を伝えたかったのか?それを正しく探ることは今後の我々の指針となること宜なるかな、なのである。
