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威風堂々

晴れ晴れと、伸びやかに日々を過ごすために。
「心」と向き合うことで、日々の健康を大切にしましょう!

漱石先生 11

2015年08月03日 | 文学・評論(現代・近代)

朝日新聞入社の辞より、前半一部抜粋  青空文庫より


 「大学を辞して朝日新聞に這入ったら逢う人が皆驚いた顔をして居る。中には何故だと聞くものがある。大決断だと褒めるものがある。大学をやめて新聞屋になる事が左程に不思議な現象とは思わなかった。余が新聞屋として成功するかせぬかは固より疑問である。成功せぬ事を予期して十余年の径路を一朝に転じたのを無謀だと云って驚くなら尤もである。かく申す本人すら其の点に就ては驚いて居る。然しながら大学の様な栄誉ある位置を抛って、新聞屋になったから驚くと云うならば、やめて貰いたい。大学は名誉ある学者の巣を喰っている所かも知れない。尊敬に価する教授や博士が穴籠りをしている所かも知れない。二三十年辛抱すれば勅任官になれる所かも知れない。其他色々便宜のある所かも知れない。成程そう考えて見ると結構な所である。赤門を潜り込んで、講座へ這い上ろうとする候補者は――勘定して見ないから、幾人あるか分らないが、一々聞いて歩いたら余程ひまを潰す位に多いだろう。大学の結構な事は夫でも分る。余も至極御同意である。然し御同意と云うのは大学が結構な所であると云う事に御同意を表したのみで、新聞屋が不結構な職業であると云う事に賛成の意を表したんだと早合点をしてはいけない。
 新聞屋が商売ならば、大学屋も商売である。商売でなければ、教授や博士になりたがる必要はなかろう。月俸を上げてもらう必要はなかろう。勅任官になる必要はなかろう。新聞が商売である如く大学も商売である。新聞が下卑た商売であれば大学も下卑た商売である。只個人として営業しているのと、御上で御営業になるのとの差だけである。」

漱石はおそらく東大の教授給料で400万円ぐらいはあったんだろうと推察する。で、他に早稲田とか、外大とか師範学校とかまぁ、講師をして年収は600万円ぐらいかな、と思っているがどうであろうか。私はかれが、公務員体質、それは制度的にも組織的にもなのだが、性に合わないこと。年収。自分がやりたかったこと。おそらく時の大阪朝日主筆池辺三山と意見が合い、新聞社も部数を伸ばしたかったし、漱石も月給制で収入の安定した、作家になる道を選んだんだと思う。勿論実績と将来性がないとこんな安定した作家の道は開けては来ないわけだが。

長い引用となったが、いろんな評論家を通すよりも直接漱石の文に親しんでもらいたかったからだ。果たして漱石先生はその生涯と作品、講演を通して我々日本人に何を伝えたかったのか?それを正しく探ることは今後の我々の指針となること宜なるかな、なのである。




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漱石先生 10

2015年07月31日 | 文学・評論(現代・近代)


ユーモア小説

英国文学のジャンルにありますが、漱石先生は『我が輩は猫である』というユーモア小説の金字塔を打ち立てています。もともとあった諧謔趣味に起因はしていると思いますが、俳諧というか俳句というか、本来の諧謔的趣味の俳諧が好きであったような気がします。それは、友人正岡子規との出会いは大きかったと思います。私は、漱石が東京外大だったか、師範学校だったかの教職の職を擲って松山中学に入ったというのは、正岡子規の影響だったと思っています。多分肺病を患っていた正岡子規、その友人と語り合う機会を持ちたかったのではないかと思っています。(勝手な独断ですが)

「糸瓜咲て痰のつまりし仏かな」これは正岡子規の辞世ですが、死に及んでも、この句が生み出せる子規の感性。受け取り方は人様々ですが、これは漱石の気持ちをつかんだことだと思います。子規と軍人との結びつきを小説にしてベストセラーになったりしていますが、果たして子規が日清戦争で従軍記者をして得たこととはどんなことだったのでしょう。おっと、脱線、、、。私は松山まで行った漱石はいろんな意味で東京から親友のいる松山へと勤め先を変えたと思っています。まだ、30歳前ですからね。

と、「ホトトギス」に我が輩は猫であるを掲載して、好評を得てゆくわけですが、彼のユーモアセンスは、正岡子規の楽天的かつ地方的感覚から大きな影響を受けていると思われます。





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漱石先生 9

2015年07月30日 | 文学・評論(現代・近代)
 
『こころ』のKはなぜKなのか。調べていますが分かりません。Kは非常に真面目な生き方をする青年として登場し、自分の意気地なさに自死してしまうのですが、それを後押ししてしまったと思う「先生」は重い罪の意識にさいなまれて生涯を送ります。

私は、ドストエフスキーの『罪と罰』と此の作品を読み比べます。漱石は、ニーチェ、キルゲゴール、ドストエフスキーは読んだらしい。英語訳でしょう。で、『罪と罰』での主問題、「自分の正義は他人を殺してまでも達成することは義なのか」という問いかけを『こころ』で行っているというのが私の仮説です。漱石の場合、自己本位を押し通す時に他人を蹴落としても構わないのか、ということになるのですが、Kの自殺にいたる過程が非常に計算されていて面白い。このテーマは僕にとっても普遍的テーマなのです。自分の目的を達成するためには他人の人生を犠牲にしても仕方がない?なぜならば自分が行うことは正義なのだから。これは、いろんな犯罪、オウム事件、宗教問題、戦争、政治、商売など様々なシーンで出てきますよね。そこで生き抜くことが出来ないKと神を信じることで復活を希望し、シベリヤ流刑を受け入れるラスコーリニコフ。クニが違い、作家の生い立ちや編集者の意図も違ったと思われますが、大変興味深いのです。皆さんももう一度『こころ』を読み直すと今の日本が見えてきますよ。きっと。これが、なぜ高校生の国語の教科書に必ず出ているのかも分かると思います。






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漱石先生8

2015年07月28日 | 文学・評論(現代・近代)


「田舎の高等学校を卒業して東京の大学に入った三四郎が新しい空気に触れる、そうして同輩だの先輩だの若い女だのに接触して色々に動いてくる、手間は此の空気のうちに是等の人間を放すだけである、あとは勝手に泳いで、自ら波瀾が出来るだらうと思ふ、さうしてゐるうちに讀者も作者も此の空気にかぶれて是等の人間を知るようになる事と信ずる、もしかぶれ甲斐のしない空気で、知り栄えのしない人間であったら御互に不運と諦めるより仕方がない、ただ尋常である、摩訶不思議はかけない。」

明治41年8月19日 『東京朝日新聞』 これは、『三四郎』の予告文。漱石が新聞連載作品について最初にコメントした記事である。


熊本、第五高等学校で英語教授をしていた漱石。その途中で英国留学を命じられた。第五高等学校時代の教え子も有名人が沢山いるが、寺田寅彦先生などは代表格。『吾輩は猫である』の水島寒月や『三四郎』の野々宮宗八のモデルとも目されているかたです。この方の文章力はたいしたものです。是非何か随筆をお読み下さい。まずは青空文庫、キンドルで無料で読める「コーヒー哲学序説」なんかは如何でしょう。

天災は忘れた頃にやってくる ってやはりこの人の言なのだろうか? 然もありなんと思えるぐらいの筆致です。




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漱石先生6 再録

2015年07月17日 | 文学・評論(現代・近代)

最近つらつら鑑みるにもう一度過去に書いた記事を載せたく思いました。


漱石の言いたかった「個人主義」とは何だろうか。

 金力、体力に勝る西欧に対等に渡り合うことを真剣に、あるときには諧謔的に思索していた漱石は徳力に力点を置いた時期があったように思う。肉体の力では負けるし、経済力で、科学技術で劣勢の日本がどうやって生き延びるのか。ま、世界史の中であるが、断っておくが私は右翼でも左翼でもない。愛国者ということは認めるが、それ以上でもそれ以下でもない。漱石は世界の中で日本が生き延びる方法は「個人が独立」した精神を持つべきであると考えたと私は思っている。

 よく、戦後日本人の精神性は「母子社会」「甘えの構造」と言われる。その通りだ。日本の古代史からずっとそうだ。漱石は明治維新を経て大正に向かう日本が、真に独立近代国家として良い国になるには、しっかりとした個人を打ち立てるべきだとかんがえたのではないだろうか。留学先のロンドンで、大英博物館の奥にある図書館で何を考えただろう。少ない官費で大学に入学することをあきらめた彼は、元大学教授を家庭教師に迎えシャークスピアを初めとする英文学者の文献を読みあさる。明治国家の意思は「英語教師」育成。漱石の意志は「英文学研究」。

 いつの時代も、国家は目先を考えて「学力」しか計らないし、多少外語ができて、理数ができると安心するようだ。だが、じつはそれでは何時まで経っても個人は独立しない幼稚な国家しか生み出せないのだ。この国は全くこの連鎖から抜けきれないようだ。大化の改新も外圧を感じて政治の刷新を試みたが、壬申の内乱後、外国から本格的に攻め込まれなかった日本。それはそれで幸せなことであるが、江戸末期は違っていたようだ。鴎外、漱石といった実に文豪と言うにふさわしい小説家も誕生している。

 これからのキーワードは個人主義だと思っている。もう組織に殉職する時代ではないと断ずるがいかが?





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