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威風堂々

晴れ晴れと、伸びやかに日々を過ごすために。
「心」と向き合うことで、日々の健康を大切にしましょう!

漱石先生16

2015年09月06日 | 文学・評論(現代・近代)


 漱石先生が過ごした十代。かれはまず漢文の学校に通うが、将来漢文はそんなに役には立たぬと思って大学予備門、後の第一高等学校へ入って勉学にいそしむわけだが、当然彼の漢文に対する造詣の深さは二松学舎時代に培われた。明治15年に早稲田大学が発足。東京大学の在り方が批判されて早稲田が出来ている。

 若者の皆さん。

 東大と京大のありかたや、慶応の出来方。果ては関西大学、同志社、中央など大学の設立のきっかけやその後の日本国との関わりなどを研究して志望大学を選ぶのもよいと思う。

『天皇と東大』とおいう本は読み応えがあり、依然として130頁そこそこしか読み進んでいないのだが、戦後、終戦前まで人は皆帝国軍人を尊崇の念で見ていたのに、マッカーサー来日以後手のひらを返したように蔑む。また、ちょっと前まで特攻隊に賛美を送っていた皇国教師が、手のひらを返して民主主義万歳の教科書を教える。全員が全員そうではないのだが、旧幕臣が新政府の中枢に就く等人間の世の中はそういったもの。一体どんな意識変化があってこう振る舞えるのか?現状の世界の政治家、実業家を見ているとよくいらっしゃるし、ものすごい「自己肯定感」である。

漱石先生はこういうのをものすごく嫌っていたように推察する。故に漱石先生は、国民の独立、個人主義を内面から培おうと、東大教授職を擲って新聞小説作家を目指したと思いたい。特に東大は学問の自由のためにあるのではなく国家のためにある(今も)点に漱石先生は抵抗していたようである。博士号辞退もそれなりの理由をへそ曲がりに伝えているが、先生の面目躍如である。




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漱石先生 15

2015年08月29日 | 文学・評論(現代・近代)



 「新聞の方では社へ出る必要はないと云う。毎日書斎で用事をすれば夫で済むのである。余の居宅の近所にも犬は大分居る、図書館員の様に騒ぐものも出て来るに相違ない。然しそれは朝日新聞とは何等の関係もない事だ。いくら不愉快でも、妨害になっても、新聞に対しては面白く仕事が出来る。雇人が雇主に対して面白く仕事が出来れば、是が真正の結構と云うものである。
 大学では講師として年俸八百円を頂戴していた。子供が多くて、家賃が高くて八百円では到底暮せない。仕方がないから他に二三軒の学校を馳あるいて、漸く其日を送って居た。いかな漱石もこう奔命につかれては神経衰弱になる。其上多少の述作はやらなければならない。酔興に述作をするからだと云うなら云わせて置くが、近来の漱石は何か書かないと生きている気がしないのである。夫丈けではない。教える為め、又は修養の為め書物も読まなければ世間へ対して面目がない。漱石は以上の事情によって神経衰弱に陥ったのである。
 新聞社の方では教師としてかせぐ事を禁じられた。其代り米塩の資に窮せぬ位の給料をくれる。食ってさえ行かれれば何を苦しんでザットのイットのを振り廻す必要があろう。やめるとなと云ってもやめて仕舞う。休めた翌日から急に脊中が軽くなって、肺臓に未曾有の多量な空気が這入って来た。
 学校をやめてから、京都へ遊びに行った。其地で故旧と会して、野に山に寺に社に、いずれも教場よりは愉快であった。鶯は身を逆まにして初音を張る。余は心を空にして四年来の塵を肺の奥から吐き出した。是も新聞屋になった御蔭である。
 人生意気に感ずとか何とか云う。変り物の余を変り物に適する様な境遇に置いてくれた朝日新聞の為めに、変り物として出来得る限りを尽すは余の嬉しき義務である。」


「朝日新聞」
   1907(明治40)年5月3日

青空文庫より引用させていただきました。



 漱石は自分で自分のことを「偏屈者」と自覚していた。長くこの入社の辞を引用してきましたが、人生において、転職、退職、昇進なんて事は実に決断のいることで、当に、アイデンティティー統合・現実吟味力が試される。人との出会いが大きいが、自分の「思考」よりも「感情」(好き・嫌い)を優先して決断した例ではないかと僕には感じられるので載せました。成功、失敗は分からない。でも、自分がやりたい道で「生き抜く」事がもっとも幸福に近づく道ではないかと思うのです。

ちなみに、ここに出てきた京都旅行で、大山崎山荘を漱石は訪れています。





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漱石先生14

2015年08月25日 | 文学・評論(現代・近代)

漱石先生が天職を決意した時の文であるが、どうであろう。彼の人となりが滲み出ている気がする。

 「大学で講義をするときは、いつでも犬が吠えて不愉快であった。余の講義のまずかったのも半分は此犬の為めである。学力が足らないからだ抔とは決して思わない。学生には御気の毒であるが、全く犬の所為だから、不平は其方へ持って行って頂きたい。
 大学で一番心持ちの善かったのは図書館の閲覧室で新着の雑誌抔を見る時であった。然し多忙で思う様に之を利用する事が出来なかったのは残念至極である。しかも余が閲覧室へ這入ると隣室に居る館員が、無暗に大きな声で話をする、笑う、ふざける。清興を妨げる事は莫大であった。ある時余は坪井学長に書面を奉て、恐れながら御成敗を願った。学長は取り合われなかった。余の講義のまずかったのは半分は是が為めである。学生には御気の毒だが、図書館と学長がわるいのだから、不平があるなら其方へ持って行って貰いたい。余の学力が足らんのだと思われては甚だ迷惑である」


癇癪持ちと神経衰弱といってしまうとそれまでであるが、要するにデリカシーのない輩が嫌いなのである。僕もそういう所があるからよく分かる。こっちの集中力を削いでいてもお構いがない人間。いますよね。悪気はないのだが、その悪気のなさがまた悪いのです。咳をしたり、貧乏揺すりをしたりゲップしたり、食べながら無様な顔をこっちに向けてしゃべったり(^_^)






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漱石先生 13

2015年08月07日 | 文学・評論(現代・近代)


 「大学では四年間講義をした。特別の恩命を以て洋行を仰つけられた二年の倍を義務年限とすると此四月で丁度年期はあける訳になる。年期はあけても食えなければ、いつ迄も噛り付き、獅噛みつき、死んでも離れない積でもあった。所へ突然朝日新聞から入社せぬかと云う相談を受けた。担任の仕事はと聞くと只文芸に関する作物を適宜の量に適宜の時に供給すればよいとの事である。文芸上の述作を生命とする余にとって是程難有い事はない、是程心持ちのよい待遇はない、是程名誉な職業はない、成功するか、しないか抔と考えて居られるものじゃない。博士や教授や勅任官抔の事を念頭にかけて、うんうん、きゅうきゅう云っていられるものじゃない。」


ここには漱石が天職を得た感じが読み取れていて面白い。『生き甲斐の心理学』139頁で説明すると、アイデンティティーがしっかり確立してきた、というところであろうか。留学をして自己混乱感も経験した漱石。一体自分は何をしにこの世に生まれてきたのか?を問い続けた人生であったようだ。『私の個人主義』についてもまた後にコメントするつもりだが、この講演でも漱石は「私はこの世に生まれた以上何かしなければならん、と云って何をして好いか少しも見当が付かない」時期があると云っている。人はずっとそうかも知れない。ふと自分を振り返ってみると絶えず、生きる目的は?俺の生き甲斐は?と自己実現に向けた問を発して生きている気がする。
 漱石は学習院で大正3年に行った講演会で「自己本位」と言う四字を自分のものにしてから強くなった、と言っている。この自己本位とは何か。これが、私の卒業論文のテーマだったことを思い出して慙死に耐えない。







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漱石先生12

2015年08月04日 | 文学・評論(現代・近代)

近代的になったとはどういうことをいうのだろうか。

漱石先生のことを通して、人間の成長、特に近代的自我の確立について考えてみると『生き甲斐の心理学』139頁の表が興味深い。

漱石先生は不信感、恥辱、疑惑、罪悪感、劣等感 といった暗いものを幼少期から青年期にかけてものすごく培われたようだ。作品にもそれが投影されている。明治時代高等学校まで進学できる階層は地方名士の子息、旗本の子弟といった経済的に恵まれていた者が大半である。また、卒業まで出来た者も少ない。やはり、旧幕藩、長州、薩摩を中心にした有力藩を支えてきた人達が新政府を支えてゆくわけだ。私のような者も戦後民主主義教育のおかげでこうやってブログなど書ける身分となったと感じている。漱石の人格形成には暗い面の育ちが影響し、一方で友人、弟子に恵まれていることからも分かるように、日本の将来に対して希望を持ったことから来る「信頼」や次世代日本人への希望、日本を良くしたいという目的を「自発的」に発揮したいという思いに駆られて、三四郎・それから・門 と書き継がれたように感じている。「意思力」に目覚めた青年として「それから」の男主人公はようやく描かれているが、この自由意思。是こそが日本人が遅れて手に入れた「日本」として独り立ちするのには一番必要な精神力動領域ではないかと感じているが、いかがか?

 「自由意志」の存在に目覚めた人間の歴史ってまだ浅い。世の中は「こうなっている」とか、古いしきたりや親子関係など、自分の意思なんて自由にならない場合はかつてそこら中に制度的に存在していた。

 自由意思こそが現代人を正々堂々と積極的に前へ前へと押しやる原動力であろうと断ずる。

 若い人よ! 恐れるな。自由意思を持って溌剌と生き抜いてもらいたい。







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