漱石先生が過ごした十代。かれはまず漢文の学校に通うが、将来漢文はそんなに役には立たぬと思って大学予備門、後の第一高等学校へ入って勉学にいそしむわけだが、当然彼の漢文に対する造詣の深さは二松学舎時代に培われた。明治15年に早稲田大学が発足。東京大学の在り方が批判されて早稲田が出来ている。
若者の皆さん。
東大と京大のありかたや、慶応の出来方。果ては関西大学、同志社、中央など大学の設立のきっかけやその後の日本国との関わりなどを研究して志望大学を選ぶのもよいと思う。
『天皇と東大』とおいう本は読み応えがあり、依然として130頁そこそこしか読み進んでいないのだが、戦後、終戦前まで人は皆帝国軍人を尊崇の念で見ていたのに、マッカーサー来日以後手のひらを返したように蔑む。また、ちょっと前まで特攻隊に賛美を送っていた皇国教師が、手のひらを返して民主主義万歳の教科書を教える。全員が全員そうではないのだが、旧幕臣が新政府の中枢に就く等人間の世の中はそういったもの。一体どんな意識変化があってこう振る舞えるのか?現状の世界の政治家、実業家を見ているとよくいらっしゃるし、ものすごい「自己肯定感」である。
漱石先生はこういうのをものすごく嫌っていたように推察する。故に漱石先生は、国民の独立、個人主義を内面から培おうと、東大教授職を擲って新聞小説作家を目指したと思いたい。特に東大は学問の自由のためにあるのではなく国家のためにある(今も)点に漱石先生は抵抗していたようである。博士号辞退もそれなりの理由をへそ曲がりに伝えているが、先生の面目躍如である。
