goo blog サービス終了のお知らせ 

威風堂々

晴れ晴れと、伸びやかに日々を過ごすために。
「心」と向き合うことで、日々の健康を大切にしましょう!

種田山頭火の俳句

2016年05月25日 | 文学・評論(現代・近代)

人生は、山頭火の「分け入っても分け入っても青い山」のようである。究めようとしても果てしがないのである。


偶にショッピングセンターのファーストフードコートで夕食を家族とすることがある。ハンバーガーやラーメンを店舗で買って真ん中のテーブルがいっぱいある場所で食べるわけだ。80年代に一人旅をしたロンドンでそんな場所を初体験した。「これは日本でも広まるなぁ」と思っていたら、今や郊外都心を問わずいっぱいある。

僕らの世代は「マクドナルド」に影響されているから、ファーストフードの店ではセルフサービズでトレイを片付ける癖がついている。80年代のイギリスで、マックに入った時、後片付けをする外国人は日本人だけだったと思うほど現地の人はテーブルの後片付けはしなかった。実はそんなものなのである。よく、日本人は礼儀正しいとされるが、まぁ、習性に過ぎない。

平日夜9時を過ぎたフードコートはガラガラである。今日は息子と2人で、ハンバーガーを食した。このバーガーという食べ物も、なんだかなぁ、、、。一人前飲み物付きで(なぜにコカコーラが多いのか)実は千円をわずかに超えてしまう。実は安くない。立ち食いそばの方が早くて安いし低カロリーだ。が、今や存在が、、、ない。ま、それは兎も角。そんな広いコートに僕ぐらいの年齢なのか、仕事帰りのお父さんが一人で座って、テーブルに缶チューハイ。なんとも言えぬ表情でちびちびやっている。

「こういうおっさんには俺なりたくなかったんだよな、、、。」と思いつつ、通勤帰りの駅の売店で缶ビールとつまみを買って、夕刊フジを読む自分になっている事に気がつく(^_^)

『後ろ姿のしぐれてゆくか』  僕は痩せていないんで様にはならないが、こんな中年男にならないといけない気がした。ギトギトしたチキンをほおばっているようではイケない。誰からも頼りにされない、やさぐれた中年男を目指ささねばならぬ。とふと思った。






人気ブログランキングへ よろしくお願いします。 お読み頂きましてありがとう存じます。

漱石先生20

2016年03月27日 | 文学・評論(現代・近代)

漱石先生の『三四郎』は司馬遼太郎先生や三島由紀夫先生から、漱石作品中随一の傑作と推挙されている。私はちょっと違うのだが、『三四郎』と言う作品には「希望」があることだけは言えると思う。『虞美人草』の藤尾さんとか、この作品の美禰子さんとか漱石の描く女性は気品があって艶っぽく、凜としているが何処か儚げである。いかにも明治大正の日本の精神史さながらの女性像なのだが、狂言回し的に青年が出てくる。『こころ』の私、と三四郎を比べると三四郎の方が三四郎自身あたふたしているので面白い。

漱石先生没後100年でシェークスピア没後400年なんだそうだ。Stratford upon Avonに僕も行ったことがあるが、漱石の小説技法はシェークスピアの技法と似ているところがある。お二方とも人の心の明暗をよく描ききった天才である。




人気ブログランキングへ よろしくお願いします。 お読み頂きましてありがとう存じます。

漱石先生 19

2016年02月07日 | 文学・評論(現代・近代)

漱石は、興味深い生育歴ではある。母親が40歳での子どもであったため、あまり望まれて生を受けたとは思われない。時代も江戸末期なので、風習も違っていただろうが、《硝子戸の中》という作品中には自分は両親のことを祖父母だと思っていた、という記述があるぐらいである。兄弟も上に大勢いたから、両親の介護とかは無縁だったと思われる。その分、「自分の好きな道」を歩めたのではなかったか、と推察する。

養家との柵みは発生はしたが、自分のやりたいようには生きることはできたと思う。

没後100年の今年、正月のドラマで「坊ちゃん」を見た。きっと漱石の教師像、日本の教育現場、を描きつつ、自分が帝大出身で「赤シャツ」並の高給取りの卒業記念の恩師時計を持って、普通はあり得ない田舎の高校教師として四国に赴任した漱石。どこでもそうだが筋を通すと必ず、曲げようとする邪魔が入る。屁理屈の応酬となってしまう。

彼の小説は未だに高等学校国語の教科書には必ず取り上げられている。ご存じ《こころ》である。一流の教養小説だ。ただ、自殺という解決方法を取っていてそこが日本的な、生きる哲学の不足感が否めないのだが、若者はそこのところを結構よく理解していて、なぜ死ぬのか?という疑問を持つものが多いようだ。一方で、自分の「こころ」の闇に気がついて「生きる」ことの困難さを意識する傾向もあるようだ。

司馬遼太郎氏やサイデンステッカー氏が漱石作品中第一番に推す『三四郎』を四たび読んでみようと思う。





人気ブログランキングへ よろしくお願いします。 お読み頂きましてありがとう存じます。







漱石先生18

2015年10月15日 | 文学・評論(現代・近代)

夏目漱石「人生」(『漱石全集 第十六巻』一九九五 岩波書店)より

「二点を求め得て之を通過する直線の方向を知るとは幾何学上の事、吾人の行為は二点を知り三点を知り、重ねて百点に至るとも、人生の方向を定むるに足らず、人生は一個の理窟に纏め得るものにあらずして、小説は一個の理窟を暗示するに過ぎざる以上は、「サイン」「コサイン」を使用して三角形の高さを測ると一般なり、吾人の心中には底なき三角形あり、二辺並行せる三角形あるを奈何せん、若し人生が数学的に説明し得るならば、若し与へられたる材料より、Xなる人生が発見せらるゝならば、若し人間が人間の主宰たるを得るならば、若し詩人文人小説家が記載せる人生の外に人生なくんば、人生は余程便利にして、人間は余程ゑらきものなり、不測の変外界に起り、思ひがけぬ心は心の底より出で来る、容赦なく且乱暴に出で来る海嘯と震災は、啻(ただ)に三陸と濃尾に起るのみにあらず、亦自家三寸の丹田中にあり、険呑なる哉、」


文は人なり なのだが、僕が漱石先生の文の中で最も好きなモノだ。

「心」こそ人間の最も追究するに値するモノなのではないだろうか。





人気ブログランキングへ よろしくお願いします。 お読み頂きましてありがとう存じます。

漱石先生 17

2015年10月14日 | 文学・評論(現代・近代)
漱石は「とうとう彼を殺してしまった」と親友であり、俳句の師であった正岡子規を偲んで『吾輩は猫である』だったか、雑誌ホトトギスでであったか、書いている。漱石が遠くロンドン留学中に子規は鬼籍に入っている。子規も確か、日清戦争だったか、従軍記者として海を渡っている。生涯にわたって敬愛する友を失った漱石の悲しみは計り知れない。僕は漱石が、東京での教師の口を断ってまで松山中学に向かった理由に親友子規の存在が大きかったと思っている。この「殺してしまった」は後年の傑作『こころ』のKを殺してしまった「先生」を連想するのはちょっとうがち過ぎだろうか。

小説の登場人物はいくらフィクションとは言え、作家の思考・感情・行動の様式が表出されていると思う。絵画も音楽もそうで、一連の流れの中で作品は生まれ出る。漱石を好きになった理由の一つは人間の「こころ」を描こうとしたところだ。そこにはハッキリと作者漱石の生育歴と彼が信じて見えてくるものがある。だが、「信じて見えてくる」ものは英国留学を境に曇ってきた気がする。で、新聞社の専属小説家の道を選び、白樺派や新思潮派に影響を与えつつ現代に至っている。

『吾輩は猫である』の、迷亭、寒月、独仙、東風など、モデルがいたとしても漱石自身もかすかに含まれていて、非常に面白い。単純に愉快である。迷亭がそばを食べるところ、苦沙弥先生はうどんが好きだと言っていたり、寒月君は椎茸をかじって前歯が折れてしまったり、僕にはこのユーモアのセンスがたまらなく英国風で好きである。この作品は「落語」を聞く感覚でお読み頂きたい。実に面白い。そんなところも漱石先生の魅力である。




人気ブログランキングへ よろしくお願いします。 お読み頂きましてありがとう存じます。