私の考えでは、自分が赦されるとき私の罪悪感は多少とも軽減される。当たり前だと言われてしまいそうだが、自分が色々と悪いことをした自覚があると実に気分が落ちこむ。まともな感覚だと思うのだが、これをあまり感じなくなるときがある。それは「馴れ」た時におこる。
人間は完璧ではないので悪いこともしてしまう。嘘をついたり、その場を誤魔化そうとしたり、それは色んなケースだ。
負けん気がもっと強いといいなぁと思うことがしばしばで、ならば「悪いことをした」という感覚も減る気がしている。自分が嫌になるときもあるのだが、神仏に祈ることで救いを求めることもある。しかし、何か行動を起こさないと変化がないので、無理矢理に行動を起こすときがある。
しかし、人生は不公平 なので善行を重ねたからといって幸せになるとは限らない。しかし、「幸福感」と「幸福」は違うので、そこの所ははき違えないように冷静になることが肝心である。神様は越えられない試練はお与えにはならない、という言葉を信じているので毎日一つ一つ積み重ねてゆくしかないのが実情である。彼岸と此岸。今は悩み多き煩悩の世に存在しているのだから。
