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威風堂々

晴れ晴れと、伸びやかに日々を過ごすために。
「心」と向き合うことで、日々の健康を大切にしましょう!

現実的になろう

2017年01月03日 | 第四章 愛とゆるし


 マルティン・ブーバーの本を読んでいると、自分がもっと現実主義者にならないといけないんだなぁ、と思うことしきりである。短い人生である。理想的なことばかり言っていても誰にも受け入れられないし、鼻で笑われるのが落ちであるとよく分かる。

「政治本位の考え方に従うと、共同体の仲間達の、何を目的としどんな活動のために成果を上げたかということだけが重要なのである」
「集団内部の生活に、少しでもその理想を実践しようとすると危険視される」
「オアシスでひととき旅人として過ごす人は、サハラ砂漠の灌漑計画について無意味に思うのは当然なのだ」

なるほどそうだよなぁって思う。私は結構壮大な理想を思い描いてしまうところがあって、いつも笑われておしまいになる。自分にも一瞬だけ「金持ちになりたい」っていう願望があるくせに、そういう人たちを馬鹿にするところがあるのだ。しかし、人間は自分が生きている間だけ贅沢に、その間の快楽を追求してしまうものなのだ。当たり前といえば当たり前過ぎるほど当然であった。

今年は現実的な事柄にに自分の思考の方向をシフトして、現実を思うようにしてゆこうと思った。そうすることで自分も他人も許しあえることが可能にはなる気がする。





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母と私

2016年12月10日 | 第四章 愛とゆるし

 実に長い期間にわたって、『生き甲斐の心理学』という本を、私なりに読み解いてきた。そのシリーズが、【カリタスカウンセリング】という表題がついたブログシリーズである。キュールカリタスカウンセリングとの出会いは、1998年頃だと思う。教会にあった【カトリック新聞】の広告でその存在を初めて知った。母が精神的におかしくなり出す頃である。

 実母は元々社会のことに明るくない人であった。かといって自ら勉強しようという努力もしない人であった。別に母を悪くいうつもりではない。私が感じたままを言っているのだ。だから、趣味もなかった。ただ、テレビ等マスコミのいうことは聞いていた。だが、それはテレビだけで、NHKラジオとか聞いているときはなく、演芸や芸術には全く興味がなく、テレビの歌番組や芸能ネタ、「それは秘密です」という桂小金治が司会を務めていた番組はよく見ていた。結局私の成績にもっぱら関心があったような気がする。ま、僕が子どもだから当然か。だが、これも僕の「腎臓病」だという誤診が彼女にも影響を与えていたのかも知れない。食事療法にかける母の労力はものすごいものだった。しかしそれは全てやることがなかったことなのだ。母や父はどう振り返っているんだろうか。あの8年間。僕にとっても貴重だったが、彼らにとっても貴重だったはずだ。いや、これに今まであまり深く思いを致さなかったが、年老いた父母を漸くこんな視点で眺められる自分がいる。ようやくだ。


 親孝行したいときには親はなし、にならないようにしたいものである。


と、母のことに話しが行ってしまったが、次にはキュールカリタスカウンセリングとの出会いについて語ってみたい。







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カリタスカウンセリング 107

2016年12月03日 | 第四章 愛とゆるし
Rogers 命題19

『個人は自分の有機的経験をますます多く自分の自己構造へと知覚し受容するにつれて、自分が歪曲して象徴されていた自分の内面への投影にきわめて大きく基礎づけられた現在の価値体系を、次々と起こっている有機体的な価値付けの過程と置き換えていることに気がつくのである。』


 要するに、「~すべき」と思い込んでいる事柄が如何に多いかということに次第に自分自身が気がついてくるという事ではないか、と思っている。先にメランコリー親和型性格について書いたが、私はこの「~するべきだ」という価値体系が自己の構成概念を固めている傾向にある。程度問題ではあろうが、この傾向は強すぎると自分自身を「怒り」「不安」「不眠」に追い込み果ては、鬱病や諸々の神経症症状に追いやるようだ。最も渡しに限った事例だが。

 環境(政治、経済、宗教など)についてはいつも私のこういった傾向が私を縛っているようである。疲れてくると、一旦そういう固い構成概念を解いてやる必要があるようだ。まずはあまり固くならないようにしたいものである。





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福祉を考えません?

2016年11月27日 | 第四章 愛とゆるし


私は前からそうだが、「消費税」賛成派である。付加価値税を導入せよという意見である。大平正芳首相時代から賛成なのだ。だから特に、細川(小沢)政権の「福祉目的税」の時とかね。大企業の法人税を高くするとか、今回のような「年金改革」や介護保険料の負担増とかをするんなら絶対に消費税の増税の方が公平負担になると思っている。先延ばし先延ばしで結局、高齢者とか、今の中高年とか、各層、各層で「若年層を救うため」とか格好いい理由付けで大きな損失を被っているわけだ。

財務省的には消費税を上げて、年金もカットして、医療費も負担増、介護保険料も負担増をすればよいのだろうが、年金のカットもなく、消費税も上がらない、それで今まで通り医療費国民皆保険制度を維持し、介護料も据え置くなんて素人考えでも無理なのは分かる。だから、消費税増税が一番公平だと思う。それで経済活動が冷え込もうが、これが一番普通の道なのだ。今回の年金改定と介護保険負担増は、当事者にしか「ヤバイ」ってことが絶対に分からない。日本人全体が、周囲を公平に見られなくなっているからだろうか、どうも変だ。首相が言うとおり、これでは民進党の支持率は上がるわけがない。(別に政治的に好きな党派はないが)消費税増税する代わりに今後10年は年金カットはしない。医療費も据え置かれる。介護料も負担増しませんか?という取引じみたことがあってもいいのではないか?結局、年金が下がる世帯や介護料負担が近々重くのしかかる世代は消費増税よりも痛い目をみているのでありませんか?

近視眼的に、米国追従や増税に二の足を踏む我々の集団は根本的に「内発的」変革を出来ないと言いきった明治時代の漱石先生が見抜いていた日本人像となんら変わっていないようだ。

でも、赦そう。

君子は豹変する筈だからだ。最近元首相を務めた御仁が「原発はまずい」と言い切りだしている。本当にそう思っている私は漸く首相経験者が言い出したか、と結構関心を持って推移を見直している。彼は現首相とは違ったタイプのポピュリストだが、現首相より機を見るに敏なタイプだと思う。





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メランコリー親和型性格をご存じですか

2016年11月26日 | 第四章 愛とゆるし

私は メランコリー親和型鬱病で苦しんだ人間である。
じゃ、そのメランコリー親和型なる性格は一体どんなものなのか。ネットから検索してみた。
「私達の普段の生活の中には、社会一般的なのから自分だけといったものまで様々な
「ルール」
が存在します。メランコリー親和型という性格の特徴に、こうしたルールを
『是が非でも守る』
という強い気持ちがあり、この特徴から
~しないといけない
~しなければならない
という考え方となりがちです。ですから、メランコリー親和型の人が「この仕事を、今日中に終わらせないといけない」と感じると、そこには「出来たら」というような希望的観測はなく、「(絶対に)今日中にこの仕事を終わらせないといけない」というルールが出来てしまい、会社に深夜遅くまで残ってでも、または家に持ち帰ってでもこのルールを守ろうとします。だからメランコリー親和型の人には、真面目、几帳面、責任感が強いというタイプの人が多くみられるそうです。」

と書いてあった。皆様も多かれ少なかれこういった傾向を持っておられる人もいるんじゃなだろうか。

「時には『自分を押し殺してでも』ルールを守る事を優先してしまいます。自分を押し殺してでもルールを守った時「ルールを守れた」という安堵感はありますが、その裏に「押し殺された自分」が「ストレス」に変わって蓄積され、これがやがて抑うつ症状やうつ病を患うきっかけへとなっていきます。」と続けて書いてある。

で、結局人とのトラブルを避けようとしていらぬ気を使い、神経をすり減らし、ルールを守るために他人優先になってしまうのである。


なんていい人。て感じだが、これも度が越すといけない。鬱病を発症してしまうのである。確かに~すべき という感覚はあって、ヘイトスピーチする人種や異常に革新派だったり強固な保守派だったりする御仁に出会うと許せなくなるわけだ。さて自分の性格とどう付き合うのか。これが問題である。


自分の性格の欠点を知りこれを赦し、広い気持ちで受け入れて、もっとさらなるステップへと進んでゆきたいものである。






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