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威風堂々

晴れ晴れと、伸びやかに日々を過ごすために。
「心」と向き合うことで、日々の健康を大切にしましょう!

アイデンティティー

2019年10月19日 | 第四章 愛とゆるし

アイデンティティーの確立

これは、未だに実感はない。なりたい自分になれていないのかもしれない。しかし、人の一生は一度しかない。確かな自分を摑み取るのは並大抵のことではないだろう。

確かな自分。私にはこれが、よく分からない。まだ摑み取ってはいない感じだ。

50歳を過ぎて
仕事のこと、夫婦関係のこと、子供達のこと、老後の資金のこと、など
考えることも多い。

自分のアイデンティティーなど、まぁ、今生きている自分の姿、生き方がもうアイデンティティーそのものである気がする。

東洋人だからだろうか、「天命を知る」ということの方がよく理解ができる。過去を悔やんだりしてももう将来に繋がらない気がするし、将来に強い大きな夢を思い描いていももはや手は届かない気もする。やりたいことを諦めるのは、悔しいから、できる限りのことは実現させてやろうと努力はする。そこに「自分らしさ」が見えてくるのであろう。









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親密性

2019年08月23日 | 第四章 愛とゆるし
親密性

・理想の力の存在を直感的に確信している
・その理想の力が日常に自然と継続している感覚、その支配に身を任せている
・自己中心性がなくなり喜びと自由を表している
・感情がNoからYesへと、愛の調和へとしふとしている


ウィリアム・ジェームズの表した、「愛」の定義の一部である。

世の中は、対立が利益を生み出すという古来からの教えが根強いようだ。また、対立している横でその対立を利用して利益を得る。古来より「漁夫の利」として学校でも学習している。

 自分が大切だと思っている人を喜ばせたいという気持ちが愛である。人間集団を円滑に運営するには互恵的利他行動、つまり「持ちつ持たれつ」(道徳の基本)の関係が絶対必要である。相手の立場に立つことからしか共感は発生しないし、競争原理の中では利他行動は進化しない。基本的信頼感はお互いの親密関係性から発生する。他者を傷つけた時の後悔の念は罪悪感を生み出すし、自分ではこうあるべき、理想と比べて現実の自分はそうではないし、自分が大切だと思っている人から褒められもしない、と思うと恥辱感が生まれる。罪悪感や恥辱感に苛まれると「孤立感」が深まってゆき、お互いの間には「不信感」しか生まれなくなってしまうというわけである。日本も今外交でこの様なジレンマに陥ってる気がしてならない。政治は政治の世界の話なのだが、私たちの生活に直結してくるので油断がならない。







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不信感

2019年07月20日 | 第四章 愛とゆるし


不信感


私の高校時代の友人のこと。
あるときA君から急に懐かしい電話があった。久しぶりに飲んで楽しいひとときを過ごした。暫くしてまた電話があり、もう一人の友B君と一緒に3人で飲んだ。すると二人とも離婚していたことが判明した。というか、A君は離婚するかどうかの瀬戸際だった。離婚経験者のB君と私で相談に乗ったという次第。A君の場合は、浮気がばれたらしい。

・パートナーの態度がよそよそしい。敬語などを使って話をする
・専業主婦だったが、俄に働き出した
・子供達の態度にも変化かが

こういう条件が揃っているので、離婚したくないのなら、一度自分の方から謝罪してみたらどうか、と浅はかな知恵を私は披瀝してみた。離婚経験者のB君は見透かしたように「いずれにせよ駄目じゃないか」と。

結果は離婚に至ったようだが、離婚とは結構な感じでお金がかかるし、面倒くさいものなのだそうである。人生の決断にいたる過程は千差万別。だが、離婚の根底には「不信感」が横たわっている気がする。結婚生活の将来に希望が抱けないほどの不信感をどちらかが抱いてしまったら、関係性の修復は困難が付きまとうようである。皆様も気をつけあそばせ。





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あったことをなかったことに

2018年12月31日 | 第四章 愛とゆるし


2018年の最後。私の選ぶキーワードは

「あったことをなかったことにはできない」です。非常に嘲笑的な皮肉的なまた今の日本を象徴する言葉です。これは、「あったことをなかったことにする」風潮を悪いものとして捉えるから出てくる言葉です。
が、この「あったことをなかったことにする」風潮、これは日本人が選択した民族延命策のもっとも古くから存在する形であり、そして、重要で無意識下に平然と行われてきた慣習でもあります。特に仲間内ではこの慣習は最後の最後での決めごとであるようです。しかも、権力的上司が下のものに対して「分かったな」これはなかったことだぞ、と目を見つめて部下の両肩を手で掴みながら呟くわけです。身内の結束は固まるし、理屈で正当性をあれこれと論理で思考する必要もなくなるから、究極の必殺技のように作用します。
また、「じつはあったことをなかったことにされてしまったんです」、と暴露しようものなら、逆に裏切り者扱いをされてしまうわけです。困ったことです。
でも、未だに「裏口入学」や「仮想敵を作ってその敵に、憎しみ、不満を持つ層を取り込み、全体をヘイトへと駆り立てる」ナチスの戦術などが復活してまかり通る現実を見ると、暗澹たる気分を通り越してこういった現実を肯定しようと思うようになるのです。でも、それを選んでいるのも我々なのです。
さて、こういった現実を受け入れつつ、あたらしい希望を見つけようと思います。元号なんて古くさい象徴、面倒なものに固執する日本人。それも受け入れつつ、世界に羽ばたく人材を産み出しましょう。





秋とはいえ寒くなってきた。

2018年10月29日 | 第四章 愛とゆるし

物言へば唇寒し秋の風

芭蕉の有名な句である。

最近の世界的風潮のような気がしている。勇ましい自己本位な物言いが幅を効かせる今日この頃となっている。日本だけの風潮かと思っていたが、世界的な風潮となっているのが気がかりである。私のような気が小さい人間には「とかく世間は住みにくい」と感じる日々である。

中東で拘束されていたジャーナリストが解放されても、「奴らの勝手じゃん」っていう論調には呆れてものが言えない。時代に対する失望感しかない。

THE WORLD WITHOUT LOVE

さて、寒くなってきた。久しぶりに家内とスーパーマーケットへ出かけた。しかし、冷凍食品の品数の多さに改めて驚いた。何でもあるなぁと思った。確かに便利だし。僕らの老後は毎日こういった食品を食べることになりそうだと痛感した。僕は、風呂掃除、食事の準備とか余りしないので家内の信用がない。ま、あと10年地道に信用を増していこうとは思う、今日この頃である。

少なくとも、我らが夫婦の間には愛があって欲しい。ものだ。








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