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威風堂々

晴れ晴れと、伸びやかに日々を過ごすために。
「心」と向き合うことで、日々の健康を大切にしましょう!

高校生ならわかってほしい 6 ドストエフスキーを読もう

2024年02月01日 | 第四章 愛とゆるし
東アジア抗日武装戦線 というものが昔ありました。よど号ハイジャック、テルアビブ空港銃乱射、浅間山荘、安田講堂、などいろいろなテロルのような事件は1950年以降も1970年代まで起きていました。

『罪と罰』ドストエフスキー
『地図と拳』小川哲     

まぁ、文学作品の中には、こういった正義、善悪、真偽という範疇を扱う人間ドラマを描いている傑作があります。事実は小説よりも奇なりで、最近、東アジア反日武装戦線のメンバーが見つかって、病死したというニュースがありました。

科学者のアインシュタインは『神はサイコロを振らない』といったとか。人智を超えた偉大なる存在者が、描く設計図のように人の世はなっている。偶然などない。科学はその神秘性を確かめる所業に過ぎないと言うことでしょうか。

私は、高校生の後半で、ドストエフスキーに出会いました。ラスコーリニコフの問いかけは今もずっと私の心の中にあり続けています。2月。旧暦ではまもなく新年です。罪と罰の問いかけを味わうのも乙なものかも知れません。いかがでしょうか。

カリタスカウンセリングの原理126

2023年08月05日 | 第四章 愛とゆるし


Care 世話

 人は成長して、次世代を産むような時機に来ますと、他人を世話するようになります。成長すれば、子どもは、犬や金魚といった動物。草や花といった植物。妹や後輩といった自分よりか弱いものや、自分を助けてくれるからお返しに愛を注いだり、人は何かを世話することを自然と身につけます。
 四十代にもなると親の世話が始まります。親は子どもを世話し続けてきます。決して億劫がらずに子どもを育てます。確かに虐待問題もあろうが、それは、世話という人間の根本活動の闇の部分でもあります。いつか、自分は世話をされる側に回りますが、いつも明るく前向きに生き抜きたいものです。



母の死 2

2021年06月13日 | 第四章 愛とゆるし

私は30歳で結婚をした。その頃から母は精神に異常を来してきたといってよい。元々の性格、性情に加味される異常性。体の不調と相俟って次第次第におかしくなっていった。
ぎっくり腰が切っ掛けかと思う。内臓疾患や大きな怪我というものではない。本人も自分が何一つ趣味というものを持たず、絵や読書、映画や音楽にも興味も持たず、ただ、テレビのワイドショウや噂話などに左右される人であった。

私はそんな母親に支配されてゆくことになる。辛い日々だった。私の職業選択も両親の思いに合わせたものである。それ故、自分の思うように生きたという実感は得られない。もおう私も60歳なので、振り返っても取り返しがつかないから、まぁ、いいか、と結論づけているだけである。

こんな関係の母子関係。自分の精神的安定を図るには時間がかかると思っている。





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カリタスカウンセリングの原理118

2021年03月29日 | 第四章 愛とゆるし

技能


 人はさまざまな能力や適性を成長とともに身につけてゆきます。言語能力な
どもその一つです。ものづくりや人とのコミュニケーションにおいても技術を
身につけてゆきます。人との関係もそうですが、「やり遂げる」「作り上げ
る」楽しさを感じてゆけることが大切です。やり抜くことの困難さや、不完全
であってもやり遂げた後の充実感を感じ取ってゆくことは素晴らしいのです。
 決して学校やお稽古事の中でなくても、日々の遊びや趣味の中でよいので
す。子供はいろんな遊びをして、自分が自分であるための「適性」や「技能」
を身につけてゆきます。
 大人になっても人生の幸福を目指して財力を蓄えようとか、健康増進に力を
注ごうとか人によって様々ですが別に善し悪しの問題ではありません。あるの
は適性、能力、技能でしょう。

 自分に合った役割をこの生き辛い世の中で何かと遂行して生き抜く人々にと
ってはどんな課題があるのでしょうか。

キュールカリタスカウンセリングの原理 117

2021年03月21日 | 第四章 愛とゆるし


罪悪感

 この感情は人間関係でいろいろと実践をしているうちには何度か経験するものでしょう。私には罪悪感なんてないという人はよっぽどの自信家か無傷の成功者でしょう。

 私は嘘をつくのが不得手です。いけしゃあしゃあと嘘をつける人たちを見るにつけ、「ようやるなぁ」、あんな風になってみたい。自責の念を起こさないんだなぁ と思います。

 良かれと思って 動いたのに他人からは良くは思われず、むしろブツブツと文句を言われる始末。その場で即座に反論できれば心もすっきりですが、私のような不器用な人間はその場では我慢するか、頭の回転がついて行かずに混乱するかのどっちつかずの対応となってしまします。この罪悪感というのは、ある目的に沿って行動していたことが失敗したか、周囲の理解が得られなくなったら、その責任を自分に帰することで発生してきます。マイナスの感情ではありますが、正直な人にしか沸き起こらないものなのではないでしょうか。嘘をついても人をだましても平気な人に罪悪感は生まれません。あと、恨みに燃えている人とかね。

 罪悪感があるということは、自分への反省が出来る可能性を秘めているので、次の明るい感情へのステップアップになると思います。よく罪の意識とも類似性が指摘されるので行いの善い人ならば、次の改善された人生へと繋がる大切な沈思黙考のチャンスと考えた方が良さそうです。





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