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威風堂々

晴れ晴れと、伸びやかに日々を過ごすために。
「心」と向き合うことで、日々の健康を大切にしましょう!

嫌だったこと。

2015年11月01日 | 第七章 光と復活体

明るい人間観を持っている方が人生明るくいられる。これは本当のことらしい。

私には周期的にある不安感が襲ってくる。

「老後に備えて幾らためておけばいいのか。今いくら貯蓄があるか?」

で、通帳なんかをひっくり返したり、ネットで「退職後は~円は必要」とかいったサイト記事を読むわけです。我ながらバカだと思うのですが、周期的に襲ってきます。心配だったら金貯めろよって事ですが、、、。

私の場合、ダイエットが出来ない、タバコが止められないのと同様、けちん坊になれないところがあります。嫌なところです。家系的に上流階級でもなく、親の遺産など丸でなく、平均的なサラリーマンです。10年前から家内も正社員になってはいますが、彼女の退職金などわずかなもの。両親の介護費は彼らが生き続ける限り、負担しないといけないし、まだ子どもは大學です。なのに、車は欲しいし、服は買いたい、本も欲しい、外食もしたい、、、。

多かれ少なかれ皆さん同じような不安感を持って生きておられるとは思いますが、そんな不安がない人もいるのは事実。さてさて、何が幸せなのでしょうか?

そんな自分の生き方を後悔するもよしですが、自分の場合40歳の頃こういった不安に苛まれて「鬱病」になりました。違う職業を選択していたら、こんなに「暮らしのお金」への不安は無かったという思いが強かったのです。いやー、明るく自分の人生を捉えることが出来ていませんでした。

しかし、周りの人々が明るい人間観を持っていた人達だったことが僕を救ってくれたように感じます。追い込まれたときには「明るい」も希望も何も持てるはずはありません。人に何を言われたって駄目です。逆に「勝手なことばっか言うなよな」ってなるんですよね。

では、どうやったら明るい展望が見えてくるか、、、。医療の道に救助を求める必要がありますが、しかしその医師が、「決めつけ」思い込みが強かったり、温かくない人だったらどうでしょう?暖かい人間観を持った、医師、教師、弁護士には絶対に出会いたいなぁ、、、と思いました。甘えられるのではなく、当然「駄目なものは駄目」という姿勢は必須です。しかし、共感的傾聴の出来る相手とどれだけであうか?これが大事ですね。

近親者に話しを共感力を持って傾聴してくれる人がいたのが、僕には良かったと思います。あれこれアドバイスしたがる人が普通です。あと、最悪なのが「お前より苦しんでる人は世間には一杯いるぞ。だから元気出さなきゃ。」っていう文言。これはしんどい人にとって「怒り」しか沸きませんからね。ご注意されたし。





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日本人に迫る 10

2015年10月12日 | 第七章 光と復活体

ラグビーに興味を持ったきっかけは何だったんだろう。自分は小学生の頃より腎臓が悪いと医師に判断されて、運動、食事の制限を受けていたので、スポーツをすることがかなわなかった。野球は好きで、高校生の時に友達らと草野球をやっていた。部活でスポーツ経験はない。テレビでサッカー、ラグビーなんかが、土日の夕方UHF局で外国のプロリーグの試合を中継していて、そんなのを漫然とみていた。ラグビーは大学の試合をNHKが中継していた。5カ国対抗もやっていた。「5カ国対抗」から疑問を持った自分は、英国が、UNITED OF KINGDOM で、スコットランド・イングランド・ウェールズ・アイルランドと未だに独立心が旺盛であることを知った。
体育の授業でラグビーをしたことは一層興味を誘ったようだ。本屋でルールブックを立ち読みし、買って帰ったのを覚えている。明治大学、北島監督監修の本だった。明治は「重戦車フォワード」と云われていてスクラムで早稲田、慶応を圧倒していた頃だ。僕は華麗なバックス展開が好きだったので、何と地味な力任せの何の知恵もない戦術だと勝手に思い込んでいた。しかし、

今は違う。やはり「前へ」go foward なのだ。全ての基本であったのだ。喩えは誤解を招くかも知れないが、203高地で我武者羅に突撃していた明治帝国陸軍の兵士のようであった前への突進。全てにおいて「献身」と「規律」を守り通したJAPAN TEAM その特性が世界でも通じることが実証されたわけだ。一つずつ一歩ずつ前に進む。人としての原始的な当たり前なことを肉体的に上回る相手に堂々とやってのけた所に誇りを感じる。

日本は実力的にW杯に出られないような国であり、どうして日本が出ているのか? 政治力だけじゃないか?という胡散臭さが僕にはあった。実力もないのになぜ、日本開催なのか?という感じで。だが、それを見事に払拭してくれた。日本は南アフリカに逆転勝利した。マンデラ大統領で南アフリカが優勝したとき、日本はニュージーランド相手に147点位取られていたのではないか。それ位通用しない日本ラグビーだったのだ。ラグビーは大学対抗を中心に根強い人気があった。早慶明、同志社が中心の所へ、新しい大学として、帝京、関東学院とったところが強くなり、筑波、天理と裾野が広がりつつある。何時までも早慶戦人気だけでは駄目だろう。プロ、トップリーグが注目を集められるようになることが必要だ。日本ラグビーの新しい歴史が始まる。

ラグビー界に限らず学閥は幅を効かせる。帝国陸海軍も同じで、派閥や学閥というのは組織を腐らせる。偏った保護主義も同じである。ゆめゆめこの日本の国際化されたラグビーを崩さずに、次の日本開催でも実行してもらいたい。






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日本人に迫る 6

2015年09月21日 | 第七章 光と復活体
虚 心 使 人 進 歩 
驕 傲 使 人 落 后 

日本ラグビーの発展は本当に素晴らしい。何と言っても偉大な中国の思想家が語った

「知彼知己、百戰不殆。不知彼而知己、一勝一負。不知彼、不知己、毎戰必敗」

につきるのかも。

 日本人の特性を把握し、世界のラグビーを知り、世界に勝利を収めるにはどうすればよいかを徹底的に研究したわけだ。過去もきっと同じようにしてきたと思うのだが、何が違ったのか。テレビの解説で「清宮氏」が語っていたことが興味深い。つまり「内なる国際化」をあげたわけだ。相撲も野球も、難民問題や、ヘイトスピーチなど真の国際化を洞察することを我らに突きつけられているにも関わらず、「教育における英語授業」のことしか語られない日本の大人の精神性の低さを私は嘆く。日本に来て日本と共にいや日本人以上に日本を代表して活躍する人をこそ応援しないといけないのに、白鵬の問題に見られるように依然として我らは表面上「あいつ外人だし」感丸出しにしているわけだ。深層心理上にはオリジナリティを持って「俺は日本人」感必要な人もいるが、これからの世界をそんなに狭い思想で閉じ込めるのはもったいない。これからの日本の発展は昔も今も真の意味の開かれた国際化と他民族との協調主義にあるのだ。

国籍を獲得した人、そうではない人も含めて選手、コーチに加わることでこの日本の勝利はあったのだろう。これぞ「国際化」なのである。ラグビーの勝利は当に内向き、保護主義、国粋に固まる旧弊日本の組織を打ち破った所にあるのだろう。しかし、エディー・ジョーンズ氏のこういう日本人の内向き加減を熟知したコーチング、またこれを打破しつつも一方では受け入れて利用し、コーチとしての自分の意思を貫き通したことは感嘆に値する。野球と違ってラグビーは幾ら本番で監督が指示を出してもフィールドの選手が自主独立の精神を持って実践しなくてはならない競技だし、それがないと真の意味で勝ったとは言えない。上意下達の硬直した組織構造が如何に想定外の出来事に対して脆いかは歴史が嫌と言うほど証明している。(日本人は学ばないが)

この一勝は色んなことを教えてくれた。南アの選手達の表情が語るところを読み取ると、油断していたこと、意外だと戸惑っていること、信じられない、という失望感。一方の捨て身の日本選手の顔は逆転されても溌剌としていた。これはかなりメンタル面も鍛え上げられていた、と感じる。


あせらず いばらず おこらず おこたらず くさらずという太極拳から教えられた言葉を最後に!今日も1日生き抜きましょう。








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自分のことだけ考えていれば

2015年06月27日 | 第七章 光と復活体

世に言う集中力。

どんなに五月蝿い場所でも、人の話し声が飛び交う場でも、平気で作曲の仕事が出来たり小説が書けたり出来るってことはよっぽど集中力が発達している証拠であろう。裏を返せば、自分の目的以外のものは全て遮断し、忘れることが出来る。つまり、「自分の利益だけを考える」ってことだろう。自分の興味のあることをやっているときは集中している。そこから集中力を養うヒントは得られないだろうか?




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想像以上の結果を!

2015年05月30日 | 第七章 光と復活体


現実の結果よりよい結果を想像してしまうから後悔する。

これは金融業界では鉄則だ。あの株を、債券を、あのときにもっとドルを買っておけば、、、というと分かりやすいかも知れない。

私は自己評価が低い。だから結果に他して悪い評価をするし、悲観的だ。自己肯定感も低いのかも分からない。常にそういう自己分析を最近はするようにしている。これも個性だと思ってあきらめている。今更変更を企てるのは面倒なので、現実に合わせて修正して生き抜いている。

しかし、しんどい場面は多い。最近は「様々な感情は対人関係において(勿論自分対自分も含んで)、自分と他者との関係において発生することが多い」と思うに至った。僕はマザー・テレサじゃないので、どんな人にも愛を持って接することは無理だ。だから自分を守る意味でも、嫌いな人のことは無視することに決めている。僕の嫌いな人は「誰に向かってしゃべっているのか?」「その怒りは僕の顔を見て言わないで」「俺は悪くない、、(から始める人)」などで、僕と仕事上利害関係が生じると会話をするが、そうじゃない時は何をしゃべり続けているいるんだろうなぁ的な、例をあげると、炊事場で出会ってその人が、「こんなところにコップほったらかしや!」とかおそらく俺に向かってしゃべりかけているのだろうと推察できるが、あえて僕は相手にせず知らんぷりでその場を去ることにしている。最近はあからさまだ。もうそんな嫌な奴と無理にしゃべる時間がもったいない。彼らは寂しい人々であろう。僕がそういう態度なんだからきっと多くの人から無視されているに違いない。でもいいのだ。
 あ、そうそう後悔の話しであった。

宮本武蔵は「我全てにおいて後悔せず」と言ったという。彼も人からは冷たい奴。極悪非情と解釈された人でもあろう。勝つためには倫理道徳なんか何のそのっていう時期もあったはず。自分の目的達成のためには手段を選んでいるいとまはない。選んでいればそこら辺で自分が白骨と化してしまう。西行さんや空海さんはもうそれでも良いと悟ったのかもしれない。年若くしてエリートコースや妻子と別れることが出来たのはなぜ?僕にはまだまだ不可能だ、、、。

 自分のこれからを考えると、嫌いな人間はどんどん無視してやろうと思っている。登校拒否や鬱病とか苦しんでいる人も多いかも知れない。僕の場合はメランコリー親和型だと診断されたので、人一倍他者との共感状態が深すぎてえらい荷をしょいこみ過ぎたわけで、もうこれからは嫌いな人のぶんまで頼まれもしないのにしょいこむのはやんぺってこと。すこし光がみえてきた。





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