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威風堂々

晴れ晴れと、伸びやかに日々を過ごすために。
「心」と向き合うことで、日々の健康を大切にしましょう!

発展的に捉えるには。

2015年05月23日 | 第六章 螺旋状に上昇する意味


 吉田松陰の弟子達


ドラマはあまり見ていない。が、たまに見ていると、彼はテロリストを養成したのか?と感じる。我々の世代は司馬遼太郎や山本七平なんかの影響で勤王の志士達のかっこいい部分が印象に残っている。また、佐幕派でも、白虎隊とか新撰組とかこれがまたかっこいいのだ。史実と文芸的側面から見るのとはまた違うのであろうが、年を取って経験を積むに付け、やはり、テロによる変革しかあり得ないかも知れないと思う。

 誤解を恐れずにいうと、暴力でもって権力を打倒するしかないのかなぁ、、、。

大化の改新だってテロである。それを肯定して、これからの人類の未来を考えて、これらを否定してって言っても、先般のどっかの人の言葉ではないが「平和な日本だから、民主主義が実践できて、理想論が言える」ってことなのかも、、、。アフリカ、中近東情勢を見てそんなことが言えるのか?って。

 ネグレクトを受けている子ども達やその日の生活にあえぐ人達にとって、私が書いていることは絵空事なのだ。でも、私は恵まれているのでそのまま恵まれ続けて言い続けようと思っている。理想を。

 暗いことを書いてしまったが、最近自分の子どもを見ていると、「あー、こんな風にして親たちは子離れし、子どもに次の世代を託していくんだなぁ」と感じる。失敗もするし多少の狡はするでしょう。それでも次第に頼もしさを見についけてゆく。現代だって、知らないことは数多い。原子、宇宙、人の心など未知の部分でいっぱいだ。幕末のように、昭和二十年の様に。

 まずは、古いことを分析することから始めないと未来を語ることは不可能であろう。

「今は昔」といいながら語り継がれることの何と多いことか。努々お忘れなきように。




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肯定的に捉えても

2015年05月08日 | 第六章 螺旋状に上昇する意味



 3/11震災で、原子核発電所が爆発した時、ちょうどテレビを見ていた。NHKだった。科学部の解説委員がコメントしていたが、「大変なことになるかも」と言っていたが、翌日であろうか、その人とは別の人が解説していた。偶然かも知れないし、替えられたのかも知れない。

 小学生の頃好きでよく、大東亜戦争ものを読んでいたが、「原子力爆弾」のあたりで、こりゃ大変なものを人類は作った、って感じた。オンタイムでは、水爆実験や「ゴジラ」その頃の「ウルトラマン」「ゲゲゲの鬼太郎」なんかは結構環境問題や社会問題を扱っていた。今から見ると実にスケールが違う。仮面ライダーも、悪役ショッカーなんて「ナチス」そのものである。

 東日本震災での核発電所爆発で、ある作家は「飛行機だって最初は危険な利器だったんだしここで原子力研究を止めるのはマイナスだ」と言っていたが、核融合と車や飛行機の開発では、そのスケールや物理的生物学的影響力が違いすぎていることに、直感が働いていない様だ。原子核は錬金術と言えよう。

 最近私は言論の自由は大変貴重だと痛感している。果たして、核発電は今なくてもこの国の電力事情は悪くはならない。しかし、核発電所は核爆弾を作るには必要な施設だし、そこで培われる技術は核兵器製造には必要なものなのだ。核発電所は国防という観点からも必要とは考えられないだろうか。我々は、沖縄の問題もそうだが、「国防」の視点から率直に国際情勢と未来の人類の在り方を見据えた論点でもって、論ずる必要があると思っている。その上での賛成、反対であろう。







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自分のことを棚に上げる

2015年02月24日 | 第六章 螺旋状に上昇する意味


棚に上げる

やはり、のんきに、あるいは浮き世の義理を欠いて、のほほんと生きることがいいのかも分かりません。若い頃父に

「友達なんてくその役にも立たん」
「兄弟っていっても、所詮は他人だ」
「年を取ったら義理を欠け」

等と言われたが、その頃は薄情だなぁ、、、と感じていたが、今になるととても良く納得がいく。

詰まるところ「自分」自身なのだ。あるいは、親子までか。ましてや、同僚、学友なんて、、、。

筋の通らぬ事象に出会ったとき、私は自分のことを棚に上げて自分の主張を展開しようと思っています。勿論公序良俗には反しませんよ。



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論理と情緒

2015年01月12日 | 第六章 螺旋状に上昇する意味


果たして皆さんは論理的思考の持ち主か?はたまた情緒的思考の持ち主か?

LogosかPathosか。

 一時的な怒り、喜び、悲しみといった感情を否定してはいけない、と今は思う。地震や災害、戦争やテロル、交通事故など理不尽な事件によって引き起こされる心の叫びは自分の心の奥底深くにそっとしまい込んだ方がよい?

 そうお考えの人もおられるだろうが、私はいいとは思わない。何ごとも程度問題ではあるが、これまた何が中庸かは判断の難しいところで、それには自分が属する集団の常識・習俗・道徳観などが影響する。

 地震に怒る。殺人事件に怒る。テロに悲しむ。貧富の格差に哀しむ。そして孫の誕生を素直に喜ぶ。私は正直だと思う。変に「知性化」や「補償」行動を行い、感情を押し殺したところで仕方があるまい。だが、一方で、

 理性こそ優先するべきだ!とする声もある。情緒に流されるのとマインドコントロールとを混濁し(過去の歴史から)その危険性を説く人々なのだが、結構こういう人々がまともに見えて、歴史的には人類を間違えた方向に煽る傾向も見て取れる。険呑なる哉。

 理性は数学的な公式を導き出すときには有効であるし、事象を最後に結論づけるときには絶対有利である。しかし、瞬時に判定するときには不向きで、そのようなときには直感に頼るのが常套手段である。直感には個性が出る。その人が培ってきた感情(情動)の部分が大いに決め手になっていると思われるのだがいかがか?

 理詰めの人生は疲れませんか?結構自分で情緒的思考を押さえている人を見ているとこんな方々が多い気がします。勿論私の独断と偏見ですよ。悪しからず。

・酒を飲むと人が変わる
・タバコを極度に嫌がる
・けちである
・異性関係が結構だらしない((^_^))  等

 他者分析のようになり不愉快な思いをする人もいるかも知れず、本当に申し訳ないのですがあくまでも独断です。なんの科学的根拠もないのです。つまり、理詰めの人生は必ず苦しくなるから、どっかで自分を解放してやらないといけなくなるってことを私は言いたいのです。



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カリタスカウンセリング 65

2014年12月25日 | 第六章 螺旋状に上昇する意味

 どうやら風を引いてしまったようで。

鼻の奥と喉が繋がるあたりに激痛が。びっしょりと寝汗をかいている。で、咳が出て、この咳って奴も年を取ると上半身の筋肉が痛くなりますなぁ。でも、医者に行って薬もらってだいぶんと楽です。

『生き甲斐の心理学』104頁

「青春期の理想と夢がその人の人生での武器とも凶器ともなる」

 これは本当にその通りだと思う。結局天命を知る年になって痛感することになるわけだが、不惑の40代にいたって深い暗い悩みの底に陥ったのもこの若い頃抱いた理想と夢が業をしていたように思います。壮大な夢を持っていましたから。

 その第一は、作家になることでした。小説世界で人間の内面に肉薄して世界をより良きものへと変革してやろう!っていうmagnificent な夢でした。テキストにあるとおりです。対人関係の取り方や勉強の仕方や芸術鑑賞の態度まで影響されています。これが「個性」なのでしょうけれども。

 不惑の時代に突入した私は、夢が達成されていない状況に焦ったでしょう。また怒りも手伝ったでしょう。今から思うとつまらないことに囚われていた気がしています。

 人はそれぞれです。若いときの理想と夢は多大な影響を後の人生に与える。この事を若い人は肝に銘じておくと良いのではないでしょうか。一つのアイデンティティーの統合作用ですから、夢を意識できない人よりは意識できている人の方が良い気が致します。

 freewill は大切です。




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