入試問題を解く場合もそうですが(センター試験タイプ、国公立2次型タイプも)何が大切なのか。
1、整理力 (編集能力)
2、判断力 (独創性)
3、情報収集力 (行動力)
つまり、色んな情報を持っておく事が大切。理科とか英語といった一見関係性がなさそうに見える科目でも必ず何処かでリンクしています。運動や芸術に手を出し、思想信条関係なく、兎に角インプットすることです。受験は10代で行うのが主流ですから人生経験には限界がある。そこは映画や読書の人づての情報から仕入れておく事です。
OECDや経団連でも、「コミュニケーション能力」に秀でた人材を育成せよと教育界に圧力をかけています。さて、このコミュニケーション能力、ですが、これは実は「整理力」ということです。部屋を整理する。服装でオシャレなのか、どうなのか、もそうですが、全部整理力。つまり自分をどう表現するか、そして、他者に伝えているかなんです。
新聞の「整理部」ってのに思いを致せば分かりやすいかも。決められた短い字数制限の中で有効に効率的に言いたい事を伝える事に力を注いでいるのが「整理部」。新聞の見出しや記事のリード文だけで「何をつたえようとしている」のかを分からせないといけない。会社のプレゼンと同じです。
現代文で、300字で要約しなさい、とか、次の5つから1つ選べとか、整理能力があるかどうかが試されるわけです。古来「作文」や「作詩」の試験がこれに当たるわけです。4千年の昔から一緒です。
集めてきた情報をどう整理して発表するか、それを決定する能力が「判断力」これは、アプリオリ、アポリステオリとあり、直感、類推、推理、経験則 と同意義かも知れないのですが、個人個人のユニークさそのものでしょう。ある現象を捉えても人々は千差万別の解釈の違いを致します。同じテーマの作文に何一つ同じ作品が出てこないのと同じ事。判断力は情報収集されてきた事柄を分析する力でもあります。ですから「まとめノート」って結構役に立ちます。
OECDや経団連を嫌ってはいません。当然のことでありましょう。しかしこれは、受け手側の能力開発意志の問題です。教育を施すサイドの責任論を展開されてしまうのは本末転倒です。
昨今、労働者が消費者であり、かつ生産者である事が稀薄になっており、『蟹工船』の時代の真実が忘れられ、あんな作品を書く事の方が「おかしい奴だ」という本末の転倒現象が起きていて、非常に危惧しています。これは、「情報収集」の偏りに原因があります。今の産業界の中心層は今の自分達に都合の良い人材を育てて派遣して欲しいわけですから当たり前なのですが「保守的」になります。で、どこを切っても同じ顔が現れ出る「金太郎飴」労働者、研究者、等々を作って行く事になるのです。
入社試験でも、入試でも、「出題されている内容」の答えを探す ことが主眼ですから、ある受験生に言わせるとこんな簡単なものはないと言います。ま、これも情報収集力の高い人じゃないと言えませんが、、、。

よろしくお願いします。 お読み頂きましてありがとう存じます。