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威風堂々

晴れ晴れと、伸びやかに日々を過ごすために。
「心」と向き合うことで、日々の健康を大切にしましょう!

なんなんだか。

2017年09月19日 | 第六章 螺旋状に上昇する意味

遊戯

一般には遊技 ゆうぎ と読むが

ゆけ と昔は読んだようだ。ある本に

努力に見合った結果を期待せず、今していることの中に楽しみを発見して人生の喜びに変えてしまうこと。とあった。

私は最近こういう生き方で良いんではないかと思うようになっている。

私はプライドが昔から高く、馬鹿にされたと感じたら非常に腹を立てる傾向がある。というか私が周囲の人間に本当に怒りの感情をぶつけるときは「自分が馬鹿にされている」時である。後は冷静だ。そこに私の弱点が潜んでいるようで、とことん馬鹿にされても我慢ができるかどうか。お茶の子さいさいで何でもできて(適当に)はい、さようならーと消えて行く。そんなものになりたい。o(^-^)

ま、あまり今やっていることに対して、後に報酬や評価を期待しても全く詰まらないと今は思っている。






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日本人に迫る 27

2017年09月16日 | 第六章 螺旋状に上昇する意味


連休に色々と予定をされていた人が多いと思いますが、いかがお過ごしでしょうか。
7月7日、国連では核兵器禁止条約、Treaty to ban nuclear weapons が 日本は不参加であったが成立した。
しかし、核実験や、核爆弾を打てるぞ とミサイルを飛ばす北朝鮮。

「プレーは結果で考えず原因から見てみるというのが上手くなる秘訣だ」と言ったゴルフプレーヤーがいました。結果を見て日本も核爆弾を持つべきだという人々も多いのですが、ここはまず何故北朝鮮が今ここでこういう行動を取っているかを分析して貰いたいところです。

Jアラートが鳴って、テレビが一斉に嫌な画面に変わる出勤、通学前。この前は、UHF局に切り替えて「健康食品」の俳優が出て来て売り込む番組を見ていた。大いなる矛盾。馬鹿らしさ。きっと「空襲警報発令」もこんな感じだったのかも知れないと思った。何人かの人々は「馬鹿馬鹿しい。もう負けているのに何故降伏しないのか」と思い。「本土決戦だ。日本帝国は負けない」と本気で思っている人達が多くいたわけだ。だから、今も「日本も核武装して本土防衛」を賛成する人々が多くを占めているんだと思う。一方で日本人的感覚、つまり「世界の片隅で」的、言葉で言えば「無常観」「詫び寂び」「幽玄美」「もののあわれ」だが、本質的には「甘えの構造」、「恥の文化」「穢れと禊ぎ」という傾向に流れてしまっている気がしてならない。

報道でもあれこれと推測ばかりで、北朝鮮の目的がきちんと分析されていないと、ミサイル発射や核実験の結果だけで事態を分析しても外交は熟達しない。と思うが。

話題は変わるが、どうしてこう雨で外に出られないときに限って、ジョギングしたいとか歩きたいとか思うのだろうか?庭の雑草を抜かなくてはとか思うのだ。僕にはこういう傾向が人一倍強いようである。


加計や森友など問題は多い日本の首相ではあるが、外交問題は今の内閣と官僚達に上手くはたらいて貰いたいところである。国民の附託を受けている人達に期待するしかない。





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日本人に迫る 26

2017年09月13日 | 第六章 螺旋状に上昇する意味


日本人は、OECDの学習到達度検査の数値が落ちることには敏感で、読売、産経、朝日と各社大きく、世界で5位とか1位だとか取り上げる。

しかし、経済開発機構発表の、GDPに占める教育機関への公的支出の割合、において、日本は3.2%で比較可能な国の34カ国中最低である事実をご存じだろうか?

大学など高等教育に対する支出は34%で、OECD平均の約半分なのである。

それでも、法人化し、国公立大学でも年80万以上かかるのだ。今の65歳以上の人たちは5万から10万円だったんではないか?それでも錦の御旗で「民営化」「民間企業では考えられない」と、声高に言う人々が多い。全く以ておかしい。大学の独立行政法人化を進める人々が「教育無償化」を言い出している。これは、全く以て平和、民主憲法を改正する為の手段だと言われても仕方がない。何せ、子どもの学力の低下については大きく取り上げるくせに、教育に金をかけていない、是正しなさい、という声は必死に探さないと分からないぐらい小さい記事である。

日頃から新自由主義経済を唱えて、「民のことは民に」とかいっている人たちはこの税金の使い道をどう捉えているんだろうか。

「少ない費用で大きい効果」が生まれているんだから文句あるまい、ってことだろうか?
理想とは何かを忘れた日本人。もう本当に駄目になっているようだ。






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日本人に迫る 25

2017年09月08日 | 第六章 螺旋状に上昇する意味


 過保護のカホコ という番組を娘は気に入って見ている。娘はディズニーも大好きである。他人の好みなので別に良いのだが、私はどんなものかな?と思っている。

この世界の片隅に ってのも観てはいないが、きっと僕が抱く違和感を含んだ作品だと思う。

曖昧、ゆったり、癒やし、、、どうだろうか。

真実・友愛・救済  と違う。

 私は戦後、戦争責任を取らなかった天皇制という国体を分析すると、その裏に「一億総懺悔」を受け入れた民族性を感じ取る。これが、「過保護のカホコ」や「この世界の片隅に」のような日本人受けするドラマにはある気がする。はっきり言って良くないと思う。
政治の世界が分かりやすいが、民進党の人は不倫の疑いで離党する。だが、自民党の人はそれ位では離党しない。(さすがに、禿げの暴言では離党したが)自民党は非常に日本的である。だからきっと日本人は近隣諸国との解決方法も真実・友愛・救済 ではない。

 私は違和感を感じる。しかし、「過保護のカホコ」さんが好まれているようでは限界だ。加計学園、森友もそうだが、「あったことをなかった事」とするような一億総懺悔がくり返されるのだ。

日本人が世界標準になるにはどうするか。到底無理だと思う今日この頃である。


 ま、単なる戯言でござる。請ふ赦し。









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比較文化

2017年09月03日 | 第六章 螺旋状に上昇する意味


 最近、頑張る気持ちが萎えている。
それはそれで悪いような気はしていない。しかし、何かこう30代の頃に思い描いていた自分になれていない。非常に残念な自分がいる。

 40代は絶望に沈んでいたので、そこから復活できた事だけでも、私の人生にとっては凄く意味があるわけだがどうしてもそうは思われない。一体何故だろう?

 近況の変化は特段はない。母は介護度5になり特養に入所出来ている父は92歳だが、介護度2で何とか暮らしている。状況は何とかなってはいる。だが、私は結構30代の過去を消したいと思っている。その頃思い描いていた自分になれていないので、その頃を知る他人にあまり会いたくない。こういう心理は分かって貰えるだろうか。永続的に付き合っている関係性ならば別なのだが、一旦途切れていると会うのは恥ずかしくて嫌になるわけだ。

 ただ、地道に進むしか発展の道はない。それと、まぁ「いけしゃあしゃあ」と恥も恥とも思わず生き抜く事であろう。先の大戦でも、自分の作戦の無謀さを恥ずかしく感じ、敗戦の責任を自殺という方法で終わらせた人もいるが、何の恥とも思わない方法で戦後も生き抜いた人もいるのだ。神はどちらを正しいと見るのか。現時点での答えはない。都合良く私は解釈して頑張っていきたい。


 私は「いけしゃしゃあ」と生きねばならぬほどの大きな失敗をしているわけでもないからそんな事をしなくてもいいという家内の見解がある。もっともだ。

他人からどう思われているかを気にしないで生きて行くのが、僕に対する課題である。








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