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威風堂々

晴れ晴れと、伸びやかに日々を過ごすために。
「心」と向き合うことで、日々の健康を大切にしましょう!

つねづね身につけたいと思っているカリスマ性

2017年10月21日 | 第六章 螺旋状に上昇する意味

今、《サイコパス》中野信子氏 という本を読んでいます。


「持てる男性は2つに別れる。子育てに時間、行き方をさいてくれそうな男性。もう一つは逆のタイプ。サイコパス、マキャベリスト、ナルシストの3要素を備えた男性は外見上の魅力が高い。」

DV男性や不良に憧れる女性の心理が科学的に説明されている箇所が面白かったのです。

一般的に「まめまめし」い男性は、子育てに協力的なタイプとして女性に無意識に見られる。だからもてる。

一方で、強そうに見える男性は目下の状況下で繁殖に成功しやすいと無意識に見られるらしい。

自然災害被害額は全世界の15%~20%を占めているようです。なのにこの景気の良さです。原爆も投下されたのに、、、。

私達は本当に恵まれた民だと感じます。

この復興は、サイコパス的リヴァイアサン的に利己主義で競争原理的行き方では無理なのです。力説致しますが、平安、いや古墳時代の昔から「倭」ヤマトの国家は新自由主義経済原理にはなじみません。お互いが支え合って生きてきた社会です。儒教思想が根幹の国家である朝鮮半島や中国とは違います。受験競争と言っても中国や朝鮮半島国家ほどの過熱ぶりはありません(ヨーロッパ・アメリカ人やアフリカ人中東人にはわからないでしょうが)

サイコパスという(私は強烈なカルトもしくはカリスマ人間と呼ぶ)特性を持った人(割合は少ない)、誠実さを欠き批判されてもピンと来ない人達とどう向き合って行くかも課題でしょう。困っている人に手を差し伸べる優しい献身的な人は本当に注意して下さいね。つけ込まれないように。ね。







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問題ないさ。

2017年10月15日 | 第六章 螺旋状に上昇する意味



人からどう思われようとへっちゃらな人がいます。残念ながら私はそうではありません。すぐに他人の気持ちを忖度致しますし、どう思われているか気になります。

人間が複数揃うと社会が構成され3人以上から政治が生まれるというのが持論である。

「三人旅の一人乞食」(やや差別表現だがお許しを)という俚諺がある。三人からPower Balance が生じるわけだ。それは、二者関係だと Give AND TAKE (互恵関係)か支配被支配の関係となるが、Powerは2倍対1とはならない。1体1だ。
三者関係は三角関係が面白いのと同様に
人文科学、自然科学、社会科学を問わず研究対象としては面白い。

私は三人の時にはだいたい控えめになってしまうタイプである。

漱石は三角形の関係を好んで描く。「それから」はその代表作。父と子と聖霊といった三位一体格も実は完成形としては尤も丈夫である。しかし調和の取れた三角形から「平和と均衡」の図式が崩れて戦略的互恵関係、Give and Takeが崩れてしまうのは何故か、漱石は「愛の欠如」と「過剰愛」だと書いているように思われる。

みんな愛着障害は起こしていませんか?正しい恋愛を、親子愛を、keep して下さい






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秋は良いのか悪いのか

2017年10月13日 | 第六章 螺旋状に上昇する意味



私は小さいときから電車が好きだったから、今もフェースブックとかで電車のグループに参加している。心がジーンと温まる。

電車も車も飛行機も人間の顔というか身体というか、人間の姿形に見えるんですよね。その辺が魅力だと思っている。

世間は何かと選挙で喧しいが、電車の写真を眺めていると心が和むのだ。


 洗濯物 入れるうちから暗闇に 釣瓶落しの秋の夕暮れ


まぁ、秋だなぁ。





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心づくしの秋風

2017年09月30日 | 第六章 螺旋状に上昇する意味
All the light we cannot see.

この小説、主な舞台は、サン モン ミシェル の西 サン・マロ という風光明媚な場所が舞台である。日本で言えば珊瑚礁奇麗な沖縄か。

ドイツと連合軍の激戦の土地である。

テーマはまさに「違いを理解しつつ信頼できるのか」。繋ぐのはある通信手段。

現代社会に大いに問いかけてくる問題を秘めた作品である。形式的にはドストエフスキー「貧しき人々」の様な感じであるが、現代風にサスペンス効果も取り入れている。

だが、全ての光を我々は見ることが不可能、というのと「違いを理解しつつ信頼できるのか」ということが私の心に問いかけてきて哀しい。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%AD


ピューリッツァー賞(小説部門)を受賞した小説だ。バラク・オバマも読んだという。

芸術作品はどうお感じになるかは十人十色なのだが、昨今の日本の世の中を冷静に見つめると色んな矛盾点に気づかせてくれる本である。






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日本人に迫る 28

2017年09月27日 | 第六章 螺旋状に上昇する意味

多様性
主体性
集団作り

日本人は先の植民地政策でも顕著だが、多様性文化を巧みに操作する事が苦手である。なんかこうかくと「お前は植民地支配を正当化しているのか」と思われそうだが、決してそうではない。欧米諸国の植民地支配の方法との相違を比較するとそうなるわけだ。

サイクス・ピコ協定とか柳条湖事件やいろんな謀略、やら権謀術数において思ったわけだ。
同一化で安心するのは世の常だが、私達は「みんなが日本人にならないと安心しない」ところがある。朝鮮や台湾の植民政策がそうである。勿論結果論になる部分もあるし、冷戦、中国の国民党と共産党とかその他諸々複雑な事情にもよっているが。

イギリスのインド支配も相当に酷いのだが、何処かに「違いがあっても信頼する」つまり、ヤクザ用語で言う 手打ち の発想がある。そこは科学的に「支配と依存」を研究し、比較文化を徹底的に行っていたと思われる。そして、文民統制だ。貴族階級に絞った鉄拳教育等のエリート教育。その辺は、ナチスドイツや日本のような急造エリート突貫教育とはだいぶ違うのかも知れない。遅れた独裁皇帝主義の日独は全体主義にはまる。

みんな一緒は「甘えの構造」に陥りやすいし、「自由から逃走」する事を意味する。いい加減「みんななかよし」から「一人一人違う」、それがどうした?というように転換しないと本当の意味で強い世界は作れない。

はずなんだがなぁ、、、。






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