NEVER LET ME GO
「私を離さないで」 ノーベル文学賞を取った カズオ・イシグロ氏の小説を翻訳で読了。
恥ずかしながらこの人の小説は読んだことはない。むしろ知らない作家だった。翻訳だからでもなさそうだが、非常に読みにくく当初ほったらかしていたのだ。
が、辛抱して読み出すと、次第に引きつけられた。臓器提供者として生をうけた、(果たして人間といえるのか)子供たちが次第に成長し臓器を提供して行くのだが。
LGBT 問題 障害者問題 等、多数派はその多数派が便利になるために、政治的社会的経済的に科学技術を進歩させるが、マイノリティー側から想定外の問題を突きつけられるわけだ。この本にもそういうことが言える。
非常に重いが重要なテーマだ。
日の名残 もDVDを借りたので鑑賞してみたい。皆様も是非お読み下さい。
人の命は地球より重い
と言う台詞は昭和の人しかわからないかも知れませんね。
最近の日本を含む周辺の状況を見るに、この言葉を再考しています。
北朝鮮のものと思われる木造漁船が難破して日本の海岸にたどり着く、横綱が暴行している、Twitterで乱暴な言葉のやり取りがまかり通る。
ヘイトスピーチ。
私には訳がわかりません。皆さんはわかっているんでしょうか。
この言葉は、過激派テロの要求を、飛行機の乗客が人質に取られていたことから、時の首相が決断したときに用いた言葉として有名です。
自衛隊が救助できれば、とか、乗客の命より過激派をやっつけるべきだとか、その当時もいろいろと言われていました。時の総理も自民党。ま、今とは毛色の違う自民党ですが。
その後の変遷はご存じの通り。いまや憲法に自衛隊を明記するのが当たり前になりつつあります。しかし、と私は思っています。
イギリス皇子が婚約したが、ハッキリと「母親がアフリカ系」とか言われることに差別的だと明言できる透明性と正義感に感服する。我が国では、同性愛者は天皇と同席しない方がいいとか、アフリカ援助に「黒いのが好き」とかいうおっさん文化的政治家がいて気分が暗くなる。
『人の命は地球より重い』
この言葉を簡単には笑えないのですが、私は変でしょうか???

私の生まれた年にケネディ大統領は死亡している。その機密情報が公開されるだろうとものすごく期待していたのに、残念である。というか、結局アメリカでさえも情報機関が自分達の判断でしか情報公開はしないという事実が分かり大変衝撃を受けている。テロ等準備罪も情報公開法も結局はこういうことなのである。
で、どうやって自分の主観をを守り、状況を客観的に判断できるかである。
国際情勢や政治を考慮してケネディ情報公開ができないとなると、単独犯行説ではないと思うので、映画や本における、軍産複合、ヤクザ、国粋主義と共産主義との絡み、カトリックやWASP、黒人白人といった総合的な柵が暗殺の原因だと私の中で断定しておく。ちなみにアイゼンハワー大統領のテレビ演説を見て下さい。軍産複合体がどんなものか、そして今の紛争を生み出す源かと言うことに気が付くと思います。日本が核兵器禁止条約に積極的でない理由も、原子力発電所を手放せないのも、米軍基地がなくならないのも、イスラム紛争も理解できます。というか理解しないといけません。
情報公開は日本でも陵墓・古墳の事例で明らかなように、政府側は自分らの都合の良い領域でしか「規制を緩和」しない。これが嫌いだ。事実が分かると不利益を被る人達が事実を秘匿し、規制を敷く。およそ学問分野だけは公開して貰いたいが、世の中変になっているので困ったものだ。
人は、特に権力者ほど「何かに怯える」ものらしいので、親衛隊(近衛兵)を取り巻きにしたいらしい。所謂熱烈カルト支持者だ。そして支持者を集めないと、国会に留まらず企業や家族内においても、自分の政治力が発揮されないようだ。「カリスマ性」の発生。だが、日本の企業や家族制度は個々バラバラになりつつあり、昔のような「日本株式会社」「田園大家族」ではないのでどういう在り方が日本の平和を構築するかを感じ取って生き抜かないといけない。あえて「日本の平和」だけにして「繁栄」は省かせて頂く。

20年以上前に買った全集だがまだ第六巻。こうした買ったが読んでいない本というのが非常に多い。
若くして自殺してしまった芥川龍之介にはキリスト教に関連した作品が多くあるのをご存じだろうか。『南京の基督』『奉教人の死』は有名だがそれ以外にも小品が多くある。『煙草という悪魔』(題名が違うかも)善悪を思慮したときにキリスト教の思考は彼にぴったりしたのかも知れない。中国へも取材に行って現地の感覚を知っている。古くは、正岡子規、森鴎外もそうであったし、漱石もそうだ。一度日本を飛び出して外から日本を見つめ直している。
人間は「やめなさい」と言われるとやりたくなる。面白い心理だ。他者攻撃、特に人格攻撃をしても平気な人がよくいる。自分に興味がないことは全くやらない人もいるし、「自分以外は奇人変人」なわけだが、世の中に名を残すような人はなにがしら何か言われる。人間は万人からは支持されない。それはそれでよいのだ。
最近はあまり「義憤に駆られて」仕事をすることも減ってきた。要するに馬鹿馬鹿しいのだ。残念ながら世の中は後退ばかり。理想の世の中に発展していかないのである。
週末の雨というのは気分を鬱屈させてしまう。自然環境と人間の気持ちは連動している。こういうことを否定する科学者を私は信用しない。オカルトはいけないが、数学で解けない自然界の謎はごまんとあるので、そういったことに神秘や敬虔さを感じない人間を私は信用しないと言うことだ。
