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威風堂々

晴れ晴れと、伸びやかに日々を過ごすために。
「心」と向き合うことで、日々の健康を大切にしましょう!

カリタスカウンセリングの原理120

2022年11月23日 | 第六章 螺旋状に上昇する意味
カリタスカウンセリングの原理120 忠誠心

自我同一性を形成するに際して、忠誠心や献身という概念は非常に大切です。
成長過程に追いて、幼児期を過ぎると自分が属する集団への意識が芽生えてくるもののようです。
他人に自分がどう見えているか、属する集団の評価などに関心が向かいます。

学校、サークル、恋愛など盛んに他人にも関心を示しながら、グループに忠誠心を払うようになります。特に、日本人は「世間体」を意識しながら忠誠と献身を行うようです。世間と自分はずれていないかと気になるわけです。

どうやって自己の同一性を打ち立ててゆくかは各人各様のやり方がありますが、いずれにせよのびのびと生き抜いてほしいものです




カリタスカウンセリングの原理 118

2022年09月08日 | 第六章 螺旋状に上昇する意味


カリタスカウンセリングの原理118

勤勉性

生きる力という意味合いにおいて、勤勉さは重要な要素かもしれません。勤勉に餌を捕獲し、貯蔵し、また捕獲する。勤勉に苗を植え、畑を耕す。人を育てる、成長させるにも勤勉さが要求されるでしょう。杜撰な処理を続けていると最初のうちは楽さ加減が前面に意識されて得したように感じるかもしれませんが、総合的にみると損をしているようです。
勤勉な態度が賞賛されるのは、周囲の者たちにとって有益性が広まるからだと思います。
勤勉を継続と置き換えてみてもいいかもしれません。あることを継続的にやり遂げることは大人へのステップでもあります。我が儘な子どもには継続的に物事をやり遂げる能力はありません。さて、三日坊主をやめて色んなことにチャレンジしてみましょう。

キュールカリタスカウンセリングの原理113

2020年08月29日 | 第六章 螺旋状に上昇する意味


自律性

人間には、自分で選択して、決めて、行動したいという欲求がある。子どもの頃から芽生える行動のようである。しかしこれは他者の存在があって初めて発生するようだ。他者に負けたくないとか、自分がしたいことが明確になるとかになって初めて発生する事だと感じる。自分なりの倫理観や正義感も同時に発生してくるようだ。育つ環境に左右もされるが、凡そ人間にはもともとの徳義心が備わっているようで、何か恩義在ることをされたら、一回はお返しをする。道徳の基本のようで、こういった道徳観に裏打ちされた自律性。こういうものは大いに歓迎される特性である。






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我慢する勇気を持って下さい

2018年01月21日 | 第六章 螺旋状に上昇する意味


我慢する勇気

「勇気」と言う言葉は非常に勇ましく、だいたい、男らしい、荒々しい、決断力があるといったイメージで理解する。しかし、よく考えて欲しいのだが、何も戦場で勇ましく自決できることが「勇気」ではないのである。

我慢するにも勇気は必要である。欲しいものを得ようとしない「抑制」をきかせるにも実は多大な勇気が必要である。私が近年払った大きな勇気は

禁煙

これは、煙草に縁がない人からすれば何のことはないのかも知れないが、かなり勇気が必要であった。格好良さや一つの強がってみせるポーズとしての喫煙から私は始まったので、「肉体」の欲求ではなく、精神的な作用であった。最終的には「臆病さ」から止められたようだ。つまり身近で心臓疾患を患った人と直面したからだ。じゃぁ、体重も減らせよ、って話なのだが、これがなかなか上手く行かない。食事を減らすというのが至難の業なのだ。

「我慢する勇気」勇気を払うにもこれは感情であり行動だから、何らかの原因があって発生しているわけだ。その原因は『健康感』である。健康感から幸福感を得ようとして勇気を振り絞る。煙草は煙を肺まで入れながら、「身体に悪いなぁ、、、」と思っていたから、禁煙には成功したが、食べるというのはその行為が「幸福」「健康」「友好」に直結しておりなかなか量が減らせない。

さて、僕たちはどう生きればよいのだろう?

瀬谷ルミ子さんの『職業は武装解除』を読ませて頂いた。発想が自由。表出はされていないが、激しい「人間の平和」への情熱を感じたわけです。

若者よ。本を読もう。そして、街に出よう。矛盾を感じて成長しよう。








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教育論 1

2017年12月23日 | 第六章 螺旋状に上昇する意味

友人に教師がいる

まぁ、たいへんそうである。うつの薬を飲みながら出勤している。
確かに、サボっている教師もいるのだろうが、彼女は非常に真面目である。

登下校指導や、給食指導、清掃指導、、、果たして本当の教員の仕事なのだろうか。
彼女は「家庭の躾の問題であり、教員に何ができる」と言う。私が学生時代にもまぁ身の回りが片付けられなかった同級生はいた。今では医療の世界が進歩してきているので、「発達障害」と位置づけてケアの対象だ。ケアはするべきで構わない。教員も積極的に研修し学ぶべきなのだが、専門家の数が圧倒的に足りない、らしい。これだけ「教育は大事」と叫ばれているのに、また、親の苦情は目の前の担任に集中するらしい。

僕らもよく言うのだが、「お前、学校でなに習ってんの?」ってやつね。学校で道徳やスポーツ技能など身につきますか?一般社会常識と必要最低限の学力保障まででは? これは公立学校に勤める彼女が言っています。30人か20人学級にしないといけないといつも言っています。でも経済的理由で財務省は全く認めないし、世間もわかっていません。大学のゼミで40人は絶対駄目でしょう?しかも、本気で体罰を根絶しようと思うのならば、30人対1人の向き合い方では、一度先生を馬鹿にする集団となった30人の子どもたちは制御不能になることぐらいわかりそうなもの、と。

僕は小学校時代今で言う体罰を経験しています。勿論体罰がないことが良いですが、道理を弁えない子どもにどうやって秩序とは何かを教えるのでしょうか?確かに私にも友人の嘆きが伝わってきて、「解決のない」問題のように感じられます。「親は自分の子どもは可愛いので」「この子も言い返しているし」とか本音を言いたいのをじっと堪えているとうつ病になると彼女はぼやいていました。




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