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威風堂々

晴れ晴れと、伸びやかに日々を過ごすために。
「心」と向き合うことで、日々の健康を大切にしましょう!

三角関係 1

2015年08月15日 | 自己愛

三角関係

我々はもっとはっきり日本人を分析する必要があるようです。例えば8月15日。
①大東亜戦争はABCD包囲網の中で経済制裁を受けて、もう石油がなくなるので負けると分かっていても仕方が無く英米相手に戦争をした。中国が相手だったら勝てた。台湾も朝鮮も日本が統治したから町が出来てインフラが整った。

 徴兵された親爺が私によく言っていたものです。高校生の私は「日本は中国に戦争を仕掛けて、やらなくてもよかった対米英戦争に向かった」と父に言ったら必ずこう言っていました。「戦争も行ったことないくせに何を言うか」とまだ働き盛りの父は思っていたと思います。

 ちゃんころ・ちょうせんぴー といった侮蔑表現は出ましたね。教育は重要です。強いA君に見られている自分とB君。僕はB君のような弱者にA君には思われたくない。僕はB君とは一緒じゃない。B君より優れている。これは三角関係でよくある現象です。ここでいじめが発生しやすくなりますし、幼児なら喧嘩も起きますよね。アメリカと韓国、日本の関係。古代の日本、新羅、百済、唐なんかの関係もこんな感じだったのでは。

 今も日本の1930年からの15年戦争は、①のように思っている人もいます。人によって「信ずるものが違いますので、見えてくることと見えなくなることが違います」そこに病的な歪みがあるかどうかは見極めないといけません。父の場合はそう思わないと自己肯定が出来なかったようです。人によって軍国主義に染まって勇ましく戦地に向かった人もいるのですが、父はそうでもなかったようで、、、。なので歪みがあるとは思えません。




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カリタスカウンセリング71

2015年07月11日 | 自己愛

理想の領域:自分が大切

『生き甲斐の心理学』113~114頁

 ストレス曲線をバネに人生を成功に導く力を人は持っています。確かに私もそうやって生きてきました。腎臓病で運動制限や食事制限があった中学高校の頃。運命の不条理を受け入れて「勉強」に気合いを入れていました(たいして学力の高い大学に行ったわけではありませんが)

 40代は暗黒の10年でした。これも僕の人生なので今はもう後悔はないのですが、充実の40歳代が暗黒の10年になるなんて、、、。

「心が疲れてくると、跳ね返すバネもなく、ひたすら昼寝がしたい、だらだらと生きていきたいと考える傾向があります」と書かれています。まったくその通りです。私は今も睡眠薬や鬱の薬を飲んでいますが、本当にただただ、休日などは昼寝をしているときもあります。疲れるんです。競馬、ゴルフ、株、酒、信仰、読書、庭、ウォーキング、釣り、自転車、ドライブ、読書等々趣味や好きなことへの意欲が無くなるのです。こういった感覚をまた、受け入れて「今の自分をよしとする」ことが困難でした。しかし、そうするしか復活への道はないのです。

 今は、自分がどんな老後を送りたいのか?何が生き甲斐で、理想なのかを模索中です。自分を大切にした人生を送りたいのです。

          神様どうかこんな私に道をお示し下さい!




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カリタスカウンセリング70

2015年07月05日 | 自己愛


『生き甲斐の心理学』 111頁~


さて、人は生きている間に、様々な価値観、倫理観を大脳に叩き込まれてきます。親、学校、マスコミ、友人等々。おそらくそれらの中より作り上げられた「自己概念」が問題です。例えば、政治。右や左。タカ派ハト派。なんて典型的で、それぞれの理想型になっていないと、現実が、そう思えば罵倒や暴言何でもありになるわけで、、、。ま、あるべき姿を追い求めるのが我々なのですがストレス曲線まで自分や他者を追い込むのはいけません。

現実の受け止め方が下手な私は、いつも周囲の状況に振り回されます。そして、自分の感情が沈みます。あっけらかんと忘却するということが出来ないのです。いつも困っています。

未だに寝る前の睡眠薬が止められません。寝ないと疲れる、という思い込みがありますが、使わずに寝るとどうしても2時間おきにトイレに起きてしまいます。最近非常にこれが頻繁で困ります。ある方に、人間は年を取れば何らかの病と共に暮らすのよ、と言われたことがあり納得はしていますが、非常に嫌です。

そこで、自己愛なのですが、最近はこれを自己中心として見る機会があります。自己愛で他の家族を振り回す、当然、現実吟味力にも欠けてくるし、あまりに自己中心的になってしまうと自分の生き甲斐をすら忘れ去ってしまいます。そんな場合には、ひたすら理想と現実の埋め合わせることに主眼を置いてその人と接します。無駄かも知れませんが、自己中心的な傾向にある人と対峙するには、その人の理想と現実のギャップにこっちが気づいて対処しないと、こっちの「自由意志」が脅かされてしまいますからね。




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主体性

2015年01月29日 | 自己愛


人生にはいろいろあります。
転轍点、転換点、分岐点。

私には最大のターニングポイントがありました。

就職先を決める際、自分が一番やりたかったことが出来なかった。これは、ずっと尾を引きました。一般企業でした。内定が出ていました。しかし、両親・親戚が反対しました。
「君の親のことを考えよ」

ということでした。その企業は別に反社会的なわけでもなく、、、。

私は一人っ子だし、両親が両親だから反対をされたのでした。今の職は、その業界で疲れたり、成功したりしたりしたら、試験を受ければまた、なれる職でした。しかし、そのことが両親には理解が出来ないのでした。それでも反対を押し切れば良かったのですが、性格ですね。八方美人なんでしょう。周囲が円満に納得する道を私は選ぶ癖があるわけです。

「宿命」「宿世」といえば良いのでしょうか?私は受け入れて今の職に就いたのですが、それでもずっとあきらめられずにいたのです。この事が中年になって「鬱病」になった原因でもありますね。かなり大きなウェートは占めています。親子関係にとっても不幸でしょう。

あの職で、歴史が進歩史観的に推移していたら、今頃僕の年収は優に2倍はあります。地位も名誉も手に入れていたでしょう。ということが、後悔を生み、恨みを生んでいたわけです。中年にさしかかった40代で「爆発」して急にしぼんだわけです。

今は、そんな経験を、子どもに語っています。「公序良俗に反しない職なら、絶対に親としては反対しない」と。

人生にはいろいろあります。必然的流れを無理に変えると心には良くない。それと、どんな結果に終わろうとも、自分が決めた道を選択していたら後悔はないはずです。人には自由意思があるのです。これを(マインドコントロールされていたら別ですが)ねじ曲げてはならない。きっと後悔すると思います。





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散髪っていわないの?

2014年11月16日 | 自己愛

のんびりと散髪をしてもらいながらつらつら考えたこと、、、。


皆さんは自分のことを何と呼んでいましたか?

私の息子は幼年期、「~ちゃんなぁ・・・」と自分のことを呼んでおりました。私はおそらく「~ちゃん」とは呼んでいなかったと思います。親から私は名をそのまま呼びつけられておりましたから。最も、~ちゃん、と呼びにくい名ですからね。

イギリス人に聞いてみますと、イギリスでは~ちゃんは、といって話し出す子どもは滅多にいないと言っていましたが、本当かなぁ。日本は多いですよね、高校生になっても自分を「みーこ」はね、とか言いますもんね。日本人の特性かもしれません。

京都、大阪あたりでは「ウチ」と私のことを言う女の子が結構います。よおく「ウチ」「ソト」文化で語られることがありますが、皆さんの地域ではいかがでしょう。

自分をどんな呼称で呼ぶかって結構おもしろい。パーソナリティーやアイデンティティーを思索する上で、ですが。決して「~ちゃん」と呼ぶことが幼いとは思っておりません。これはむしろ、コミニュケーション対象との「近さ」が現れているのではないかと思っています。

娘は中学校時代の自分が「嫌」だといいます。そして小学校時代も。中学になって、急に暗くなった気がします。今はもう大きくなって父親への対応も普通にしてくれますが、高校生までは、そりゃ、もう。話しも碌にしてくれませんでしたから、、、。

小学生低学年の頃の私は「何も分かっていなかった」と言っています。明るかったんですけどねぇ、その頃は。思春期にきっと何かあったんですねぇ。

秋晴れ。今日はヘアーカットサロンへ。白髪が気になる。のと、二重あご。

散髪屋の鏡に映る己の顔が正視できなくなったのはいつ頃からだろう。高校生の時は出来ていたのに、、、。



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