友人に小学校の教諭がいます。俗に言う学級崩壊で休職しました。ま、児童が崩壊させようと負のエネルギーで迫ってくるので、真っ正面から防ごうと思っても不可能だったわけです。そのとき通った心療内科医にこう言われたそうです。
「先生、今の先生のお立場は、戦争になだれ込んでいった大日本帝国におかれているんです。全体のエネルギーが戦争に向かっているのにそれをたった1人が止めようとしたって無理な話しです」と。教育に対する姿勢はその国の国家としての傾向が読み取れます。経済効果という形で目に見えて現れ出るプラス評価のようなものが客観的には誰にも分からないのが教育評価です。(分かっているくせに評価しようとすると、国の基本姿勢に合致しているかどうか。国が「こう教えろ!」って云っている線に近い教え方かどうかで評価するしかないわけです)幕末の松下村塾や適塾はどうだったのでしょう?今風に行くと絶対に上司からの評価は低くなるはずです。でも、目標設定は「日本を立派な国にしたい」だから今の文科省目標と合致している。
日本人が避けて通る、「失敗の責任を誰がとる」ってテーマ。これにつきる気がしています。先に書きましたが先の戦争の理由の②、これはこんなものです。
ソ連の脅威。南下してくると満州での日本の支配力が脅威にさらされ、朝鮮、本土、とソ連は攻めてくる。それに石油が100%米国からの輸入に頼っている現状ではどうにもならんので、インドネシアまで攻め込んで石油を確保しよう。
①②ともに日本の自衛権を主張した戦争正当論です。そこにどうも、欧米列強からのアジア植民地解放という形而上学的倫理(野蛮ですから武力は善とされた)が乗っかっていった。これは、確かに天皇、政治家、陸海軍、実業家にも賛成論はあったでしょうが、世論はどう形成されたか。ま、ナチスほどではないにせよ、各国ともに新聞・映画・ラジオ・広告といった伝達媒体の利用によって様々にうねりが起きていったと考えられます。
尊皇攘夷は現代でも生き生きと輝いています。我々は中国、ソ連は言うに及ばず、韓国、北朝鮮、実は米国に関しても日本人はみんな心の底では嫌いなのではないでしょうか。日本と云っても沖縄が日本に入るのかが、詰まる所微妙です。父なんかは明らかに沖縄は日本の範疇には無いですからね。米国もそこの所は良く研究しているなぁと思います。確かにB29でフィリピンから中国大陸を網羅できる中心位置に沖縄はあったから、米軍は激戦の上占領した。日本への返還もかなりたってから行った。でも基地の数は多い。今はもう弾道ミサイルの時代だから沖縄の地政学上の防衛線も意味が変わっている。しかし、内地と外地といううっすらとした感覚的違和感を内地人や沖縄人は持っているという微妙な点を米国は利用しているようですね。
そして、日本人は私も含めて尊皇です。いや、これもまた後で述べますが、明治維新後、政府はどういう政府の在り方が良いかも分からない中、とりあえずはずっと無かった伊勢神宮への天皇参拝をとりあえず行った。斎王を送ったことはあっても、天皇自らは伊勢神宮の参拝は持統以後は無かったんではないでしょうか?それを何故行ったのか?日本人の深層に迫るには避けては通れないと思っています。
日本人もそうですが、人は生まれた所、文化、風土、風習でどんなことに対して忠誠心を持つようになるかは様々ですね。信じて見えてくるものがあったり、失ってゆくものもあったり、、、。でも、責任の取り方はしっかりと持っておきたいものです。
友人の話ですが、教師・児童・親 という△関係は結構やっかいなものらしいですよ。

よろしくお願いします。 お読み頂きましてありがとう存じます。