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威風堂々

晴れ晴れと、伸びやかに日々を過ごすために。
「心」と向き合うことで、日々の健康を大切にしましょう!

日本人に迫る 22

2016年04月16日 | 自己愛

友人に教員をいているものがいて、彼と飲んだときの話し。

さすがに50歳を過ぎると、校長や教頭、委員会お役職につくものが増えてくるようで。
民間でも同じだが、上役になる人、そうでない人が色々と出てくる。

「まぁ、こんな人が」と言う場合もあるようだ。私は自分の業界を見ていると、それなりの人が上役にはなっているんだろうと感じている。しかしその友人は

「昔は、会議にしてもトップダウンではなく、一応司会役が輪番で、最後の決済は校長が行ったものの、議論がみんな公平に行えたし自由に議論が出来た」今はダメになってしまった。教育現場はスタッフは小数。せいぜい70人ぐらいなので、トップダウンの意味は無い、と断言していた。どうも最近は「分権」とイイながら「集権」を政治的には行っていて矛盾丸出しななんだそうである。

私も、もう年なので、どうでも良いのだが、若い世代は現状しか知らないので彼らが上役になったときにどんな学校制度になっていくのかが懸念される。本当に民主主義が危機にさらされているのは間違いない。兎に角、いかくしたり強権発動したり、すぐに決めたり、「取り敢えずやってみよう」が主流で困ったものだ。こういう傾向を「反知性主義」の広まりというのだろう。険呑険呑。




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日本人に迫る 4

2015年08月22日 | 自己愛


ある本を読みながら、、、

 いろんな国際的企業があるが、成功している企業というのは実に研究熱心である。経営学だけではない。生物、物理、人間学、宗教など本当に勉強熱心である。
経営コンサルタント的な視点が今は教育・福祉・医療分野でも大手を振ってまかり通っているがそのコンサルティングの最終目標は倫理道徳を無視したものであってはならないと思うし、真の人間の幸福に寄与するものでないといけない。最近の風潮を見ていると「勝てばよい」との潮風の下、相手の弱点なんか平気で狙うし、事後への影響なんてとりあえず横に置いている感じがものすごい。
「改革なくして成長無し」とかキャッチフレーズでもって、良いのもだ!と宣伝されればそれを鵜呑みにして、よく分かりもしないのに「そうだ!」と賛意を示して猪突猛進してしまう迂闊で知性を欠いた人々をターゲットにして、支配者層は自分達のやりやすい方向に私たちを引っ張ろうとしている。商品を売り込むために消費者を4パターンぐらいに階層分けして、影響させやすい一つの層に的を絞って買うように仕向けるわけだ。政治の場合は自分のパーティーに票を入れさせようとするわけだ。例えば、現状を変えることに対して賛成で、知性指標が低い層、なんかに焦点を合わせて一気に勝負をかける。最近どっかの地方自治体でもありましたが、日本では「自民党をぶっ壊す」位から顕著になってますね。
哲学や人間学に興味を持つと「疑問」を持つことが生まれる。(僕の父母世代は哲学なんか勉強するとクーデターを起こすって息子に向かって言って反対しましたから。)この「これでいいのか」という問いかけが人間を進歩させます。が、グローバルスタンダードと一方で言いながら、一国国粋主義が同時に進行する現状がありますよね。新興宗教が

現状を変えることに対して賛成で、知性指標が低い層
現状を変えることに対して賛成で、知性指標が高い層
現状を変えることに反対で、知性指標が低い層
現状を変えることに反対で、知性指標が高い層
(知性というのは教養と言うことです。決して学力ではありませんので。でも、利用しようとする側は学力に規準を置いているかなぁ。これも、教養と学力をしっかり定義しておかないといけませんよ。大切なのは教養です。そう、I補佐官の「憲法との兼ね合いなんてどうにでもなる」、「僕は立憲主義なんてきいたことがない」と言う発言は学力があっても教養のない発言です)
これら四つの層にそれぞれ別の戦略を持って信者獲得実践をしているように、これは何にでも応用が出来る気がします。自我の確立というか主体性の統合というか、現実吟味力の醸成にむけて「教養」を積みたいものです。






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三角関係 2

2015年08月18日 | 自己愛
 友人に小学校の教諭がいます。俗に言う学級崩壊で休職しました。ま、児童が崩壊させようと負のエネルギーで迫ってくるので、真っ正面から防ごうと思っても不可能だったわけです。そのとき通った心療内科医にこう言われたそうです。
「先生、今の先生のお立場は、戦争になだれ込んでいった大日本帝国におかれているんです。全体のエネルギーが戦争に向かっているのにそれをたった1人が止めようとしたって無理な話しです」と。教育に対する姿勢はその国の国家としての傾向が読み取れます。経済効果という形で目に見えて現れ出るプラス評価のようなものが客観的には誰にも分からないのが教育評価です。(分かっているくせに評価しようとすると、国の基本姿勢に合致しているかどうか。国が「こう教えろ!」って云っている線に近い教え方かどうかで評価するしかないわけです)幕末の松下村塾や適塾はどうだったのでしょう?今風に行くと絶対に上司からの評価は低くなるはずです。でも、目標設定は「日本を立派な国にしたい」だから今の文科省目標と合致している。

 日本人が避けて通る、「失敗の責任を誰がとる」ってテーマ。これにつきる気がしています。先に書きましたが先の戦争の理由の②、これはこんなものです。



ソ連の脅威。南下してくると満州での日本の支配力が脅威にさらされ、朝鮮、本土、とソ連は攻めてくる。それに石油が100%米国からの輸入に頼っている現状ではどうにもならんので、インドネシアまで攻め込んで石油を確保しよう。
①②ともに日本の自衛権を主張した戦争正当論です。そこにどうも、欧米列強からのアジア植民地解放という形而上学的倫理(野蛮ですから武力は善とされた)が乗っかっていった。これは、確かに天皇、政治家、陸海軍、実業家にも賛成論はあったでしょうが、世論はどう形成されたか。ま、ナチスほどではないにせよ、各国ともに新聞・映画・ラジオ・広告といった伝達媒体の利用によって様々にうねりが起きていったと考えられます。

尊皇攘夷は現代でも生き生きと輝いています。我々は中国、ソ連は言うに及ばず、韓国、北朝鮮、実は米国に関しても日本人はみんな心の底では嫌いなのではないでしょうか。日本と云っても沖縄が日本に入るのかが、詰まる所微妙です。父なんかは明らかに沖縄は日本の範疇には無いですからね。米国もそこの所は良く研究しているなぁと思います。確かにB29でフィリピンから中国大陸を網羅できる中心位置に沖縄はあったから、米軍は激戦の上占領した。日本への返還もかなりたってから行った。でも基地の数は多い。今はもう弾道ミサイルの時代だから沖縄の地政学上の防衛線も意味が変わっている。しかし、内地と外地といううっすらとした感覚的違和感を内地人や沖縄人は持っているという微妙な点を米国は利用しているようですね。

そして、日本人は私も含めて尊皇です。いや、これもまた後で述べますが、明治維新後、政府はどういう政府の在り方が良いかも分からない中、とりあえずはずっと無かった伊勢神宮への天皇参拝をとりあえず行った。斎王を送ったことはあっても、天皇自らは伊勢神宮の参拝は持統以後は無かったんではないでしょうか?それを何故行ったのか?日本人の深層に迫るには避けては通れないと思っています。

日本人もそうですが、人は生まれた所、文化、風土、風習でどんなことに対して忠誠心を持つようになるかは様々ですね。信じて見えてくるものがあったり、失ってゆくものもあったり、、、。でも、責任の取り方はしっかりと持っておきたいものです。

友人の話ですが、教師・児童・親 という△関係は結構やっかいなものらしいですよ。







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日本人に迫る 3

2015年08月17日 | 自己愛

相変わらず、独断と偏見でごめんなさい。ただ、自己体験から述べています。


読売新聞

 私が学生の頃は、東京・大阪・中部 といった各地区ごとで採用されており朝日のように東京本社集中採用ではなかったのです。ここは、あの頃、N曽根首相のブレーンの一人と噂の Nツネさんがドンとして君臨していたのです。社説では企業の青田買いを批判しながら(他紙もあんまりかわりませんが)セミナーと称して青田買いしまくってましたが、、、。でも、当時は地区地区での採用だったため、親元から離れない可能性が残っていたので一応受けたわけです。いや、やはり親のことを考えて、、、。という所もあったわけです。ただ、また書きますが地方紙も受験しておりました。
 ここは内定が出たのです。朝日新聞阪神支局も見学に行ったし、実際に写真を撮って教えられながら現像もして記事を書いたりね、、、。役所の記者クラブにも入ったし、無線の免許も取りました。ただ、朝日新聞の最終面接試験の日に「梨狩り」に連れて行かれました。つまり、拘束されたわけ。「新聞社なのに汚いまねするなぁ」って思いましたがね。

 社員の集いってのがあって、Y文化ホールで販売店さんや会社のいろんな部署の人達が一堂に会して盛り上がる集いがあって僕には他の新入社員と一緒に何かやれってわけですよ。僕は落語が出来たから「つる」という話をホール一杯の社の人々の前でやりました。当時の大阪読売の社長の前でね。でも、僕は阪神ファンだったから「闘魂燃ゆる」って合唱されたときには、大いなる場違いを感じたものです。黒田清という社会部長がいて、いい新聞社だなぁと思っていたので受けたんですが、その人がまぁNつねさんとは思想的にあわないので自ら辞めていった経緯もなんとなく窺い知れていたので、しまった、血迷って受けてしまったし、、、と。でも内定を辞退するのにはかなり考えあぐねて、胃を壊して熱が出たほどです。だって、新聞記者になれるわけですから、、、。自分がなりたかったもの、だったんでね。内定辞退を告げにゆくのも結構勇気がいった。まずいないわけですよ。僕のような理由で蹴るのはね、、、。今はここの新聞の記事もたまに読みますが、まぁ入らなくてよかったなぁ、って。もともとこの新聞社はそうですが、変に体制寄り。それにスポーツ欄の巨人軍ネタが僕にはだめだねぇ。阪神はもう猛虎軍なんてあまり使わないのに、いまだに巨人軍の多用は僕とはあわない。まぁ、部数獲得も強烈でしたしね。販売員の方の(東京では)柄も悪かった。いやいい人の方が多いですよ、そりゃ。

 ま、ここは反朝日と、ジャイアンツのチケットで部数伸ばしてきたわけですが、あまりにも「巨悪に迫らない」「政府の方針をまるで俺たちが創っている」みたいな態度は言論、社会の木鐸にはそぐわない新聞社だと感じています。営業力はあるが論説の魅力はまるでありません。ま、おれは巨人軍が好きになれないからなぁ、、、。











日本人に迫る 2

2015年08月16日 | 自己愛

曲学阿世 (中国の故事)

 15日毎日新聞は戦争時の報道について検証してましたが、なるほどマスコミと民衆と政府中枢の三角関係だと実感しました。
つまり、陸海軍にたしいてマスコミは腰が引けたし、自らペンを曲げたということですね。1931年満州事変、柳条湖事件からです。どの新聞もそうですが、世間に阿る傾向があります。気に入られたいと思います。世間があるアイドル的人物を追っかけるとみんな追いかけ出します。実際「バスに乗り遅れるな」のスローガンの下日独伊三国同盟が結ばれたわけです。これも、父がよく言っていましたが、「こっちが勝てばアメリカは賊軍や」と。考えるだに恐ろしいのですが、米英も虐殺行為をしていたかも知れませんが、ナチスドイツがやっていたことを考えて欲しいし、日本が1931年以来大陸で行ったことを考えるとこちら側が「官軍」になっていたら、、、。神はそれを望んだか?(全てを御存知の方ですからあったかもしれませんが)なんとも、で、

 世間が戦争したくなっていて、「いけいけ、ドンドン」状態で、兵隊さん格好いい、で皇軍は負けない、で盛り上がって、他紙はそっち路線に舵を切って、、、部数は減るし、、、、となると阿るのは分かります。僕自身の人生に於いても、時局の体勢について生き延びた事例はありますから。その時はあまり先のことへの悲観論は出てこないのです。頭の片隅にあっても「うまくゆくと思えばうまくゆく」と、悲観論は払拭されてしまう。叔父は人生に三回ターニングポイントがあるといっていましたが、その時、まず今がその転換点かどうかを見極める。その時に自分の現実吟実はどうか、アイデンティティーの統合は健全かを見極めて、GOかSTOPか決める。叔父は、進学。結婚。就職。を挙げていました。叔父は近衛騎兵でした。

 ま、阿った結果大凶だったわけですよ。日本のマスコミは。戦前から体制側の記事を書いて部数を伸ばしていた新聞社もありますが、ま、皇国臣民は一体ということでですね、新聞記者達も自由な記事なんて書けないし、海外からの短波放送を傍受して戦況を分析していたというのですから、今CNNやBBCをチェックする私のようなことをやっていたわけです。でも皇国臣民は知りません。生き延びるための「阿世」ということを考えさせられました。







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