シニア花井の韓国余話

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【コラム】韓国経済を支えるモーレツCEOたち

2012年06月12日 11時57分49秒 | Weblog
  韓国大手紙・ 朝鮮日報12年6月11日記事抜粋
困ったときに思い浮かぶ人と言えば、親や友人、先輩後輩などがいる。また、生活が苦しいときほど、一流企業を育て上げた最高経営責任者(CEO)たちの顔が頭に浮かぶ。
 全羅南道康津郡出身の金在哲(キム・ジェチョル)東遠グループ会長は1935年生まれで、かつてマグロ漁船の船長を務めていた。国立水産大を苦学の末に卒業した金会長は、公務員ではなく、船長になる道を志願した。建造から13年の漁船「指南号」で、1958年には民間人として初めて赤道を通過した。韓国海軍が赤道を通過したのはそれから4年後だったことを考えると、自ら海に命を懸けたと言っても過言ではない。その後、米国の援助資金32万ドル(現在のレートで2540万円)で購入した中古漁船(230トン)に乗り、出港から23日目で南太平洋サモアの港に到着した際、外国の船長は「こんなぼろ船でどうやって太平洋を越えてきたのか」と驚いたという。20代半ばの新米船長を信じて乗り組んだ船員は「生きて帰れないかもしれない」と思い、故郷の土を枕に詰めて港を出た。金会長もひそかに遺言状を書き残していた。
 「操業中に船員数十人が海にのまれ、大波の前で何度も死にかけた自分に怖いものなどあろうか」 金会長は死ぬ気で企業を育て上げ、80歳を目前にした現在も第一線で会社を率いている。
 サムスングループの未来戦略室長として、グループのナンバー2を務める崔志成(チェ・ジソン)副会長は、サムスン電子の半導体、携帯電話、テレビ事業を世界一に押し上げた経営者だ。同氏はトップでなければ我慢できない強気のCEOだ。商学部出身だが、半導体の書籍を読みあさり、欧州のバイヤー相手に営業に励んできた。欧州の学校に通っていた子どもから「ドイツの子はサムスン製品を無視する」と聞いて悔しさを覚え「最高の製品で敵を討つ」とばかりに動き回り、結局は欧州の人たちにサムスンの携帯電話やテレビを買わせるに至った。昨年には200種類を超える携帯電話端末を開発し、販売台数で世界トップの携帯電話王国を築くという目標をある程度達成した。そんな崔副会長の経営手腕には期待が大きい。「仕事をいい加減にやるのは罪悪だ」というのが持論だ。
 LG化学の金盤石(キム・バンソク)副会長は「仕事が嫌なら、会社にいる必要はなく、特に役員は24時間働かなければならない 」と言い切る。昨年は売上高23兆ウォン(約1兆5600億円)で、2兆ウォン(約1360億円)を超える利益を上げたが「3兆ウォン(約2040億円)の利益を上げられず残念だ」と反省を口にした。「低迷を受け入れた瞬間に企業は滅び始める」という経営学者、ロバート・クインの言葉を信奉する。彼らだけではない。モーレツなCEOたちが韓国財界には勢ぞろいし、今も誕生し続けている。
欧州財政危機の中で、韓国経済には懸念材料が多い。財界は非常事態に陥っており、国民は未来が見えずにあたふたしている。しかし、われわれは1997年ごろのアジア通貨危機や2008年ごろの世界的な金融危機を乗り越えてきた。通貨危機を克服する過程で、経済の体質を変え、金融危機を経て、製造業の国際競争力はさらに高まった。その根底には「トップでなければ生き残れない」「自分が倒れれば、数万人の社員とその家族が危うくなる」と考えるモーレツ企業人による下支えがある。モーレツと言っても、社員を責め立てる独裁スタイルを指すわけではない。金盤石副会長は「粘り強く緻密かつ戦略的でなければならない。そうでなければ、困難を生き残れない」と語る。そんなモーレツCEOたちがいるからこそ、危機の中にあっても希望を抱くことができる。「企業人に対し何ができるか、彼らが高波を乗り越えるためには何を支援すべきか」について、もう一度考えてみる必要がありそうだ。
李光会(イ・グァンフェ)産業部長


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