🔷比叡山 延暦寺参拝
「世の中に 山てふ山は多かれど 山とは比叡の御山をぞいふ」
延暦寺の僧侶、慈円(じえん)
〇最澄が一乗止観院を建てそれが比叡山延暦寺となる
平安時代初期の延暦7年(788年)、比叡山での修行に入った最澄は「一乗止観院(いちじょうしかんいん)」という名の草庵(小さな小屋のようなもの)を建てます。「いまの世の中をもっと良くしていきたい」という思いを込め、一乗止観院の中に、最澄自らが彫った薬師如来を祀りました。
それが後に国宝となる「根本中堂(こんぽんちゅうどう)」です。
このように、現在の立派な比叡山延暦寺は人里離れた小さな小屋から始まったのです。
「明(あき)らけく 後(のち)の仏の御世(みよ)までも 光つたえよ 法(のり)のともしび」
「この仏法のともしびを多くの人によって受け継ぎ、守り続けていかなければいけない」
「この世の中をよくしていくためには、努力し続けることが大切である」
そんな思いを込めて、菜種油で一つの明かりを灯し、この歌を詠みました。消さないように努力しないと消えてしまうこの明かりは、「不滅の法灯」として延暦寺における覚悟の象徴となっているそうです。
〇比叡山延暦寺焼き討ちそして再建
延暦寺は1571年に、織田信長の「比叡山焼き討ち」によって全焼してしまいます。その際にこの灯りも一度消えてしまったと思われたのですが、幸い山形県の立石寺に分灯されていたため、最澄が灯した日から一度も消えることなく、今も守られ続けています。
現在の建物は信長の死後、豊臣秀吉や徳川家康らによって再建されました。
〇比叡山延暦寺の住職たちがそれぞれの宗派を開宗
「天台座主(てんだいざす)」と呼ばれる比叡山延暦寺の住職は、現在の住職で第257代目となります。最澄が亡くなった後に初代住職となった「義真(ぎしん)」から始まり、これまで一度も途絶えたことがありません。そんな歴代天台座主の中には、以下のように各宗派の開祖たちが数多くいます。
- 法然(ほうねん)→ 浄土宗
- 親鸞(しんらん)→ 浄土真宗、法然の弟子
- 良忍(りょうにん)→ 融通念仏宗
- 真盛(しんせい)→ 天台宗真盛派
- 栄西(えいさい)→ 臨済宗、建仁寺の開山
- 道元(どうげん)→ 曹洞宗、永平寺の開山
- 日蓮(にちれん)→ 日蓮宗
比叡山延暦寺で天台宗の元修行をしたのちに、開祖として各宗派を全国に広めていきました。「一人前の僧侶を養成したい」という最澄の想いが、多くの人々に伝わり日本の仏教を動かしていったのです。
比叡山延暦寺の完全ガイド! 滋賀の人気観光地の歴史・回り方・アクセス方法を紹介 | たびこふれ (tabicoffret.com) より抜粋
「街道を歩く旅」を始めてから最大の宗教総本山。天台宗総本山、比叡山延暦寺への参拝だ。歴史、規模など圧倒される。よく調べて、出来る限り見て回りたい。
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