地遊人

日常のことごと、出来事を、気ままに書き記していく。
62歳からの自己整理・自己満足策とボケ防止挑戦プログ。

梅にメジロ

2021年02月03日 | 【15】雑感


21-2-3 水道道路(多摩湖自転車道)にて

              

                 

 

 

梅に鶯本当は梅に目白というウソ (sakura.ne.jp)より。

「梅に鶯」は「梅に目白」の間違いだ・・・・
ネット上では、さも知ったかぶりでこのような無粋な風説を流す人が絶えません

さらに、良くないことに、昔の人がウグイスとメジロを間違えたのが原因だと古人を中傷します。
あるいは、「花札のウグイスが緑色をしているのは、昔の人がウグイスとメジロを見間違えたからだ」と低レベルの判断力を披露してはばかりません。
 
「梅に鶯」----梅にウグイスが来るという意味ではない----辞書を引きましょう
「梅に鶯(うぐいす)」は間違いだ、あるいは「梅に鶯」は本当は「梅に目白」だと言う人は、まず第一に「梅に鶯」の意味を誤解しています。
「梅に鶯」というのは梅にウグイスが来ると言う意味ではないのです。二つのものが調和したり似合ったりすることのたとえなのです。梅は春を待つ人々に咲きかけ、春告鳥とも言われるウグイスは春の訪れを歌い共に親しまれました。この二者を取り合わせることはこの上もなく春の訪れを盛り上げてくれます。和歌や絵画に好んで取り上げたのは梅にウグイスがよく来るからではありません。日本人の早春のイメージであり理想であり文化なのです。
「梅に鶯」は辞書にも載っている意味の定まった言葉です。取り合わせが良い二つのもの、美しく調和するもの、と言う例えの成句です。成句、つまり決まりきった言い回しなので、それが間違いと言っても始まらないのです。「猫に小判」も成句です。小判で遊んでいる猫なんぞ見たことがないので間違いと言っても始まらないのです。
「梅に鶯」、この例えは、単に併せておくとよいとか並べておくと縁起がいいというより、もっと憧れに満ちた強い想いが込められています。
   <梅とウグイス、早春を代表する二大スター、夢のコラボ>
今風に言えばそのような気持ちを込めて私達の祖先は梅と鶯を取り合わせることはすばらしいと思ったのです。滅多にない事だからこそ憧れたのです。
一方、「梅に目白」の光景は、メジロがいる地域で梅が咲いていれば毎日でも見ることが出来ます。美しい光景ですが憧れの的になるほど大げさなことではありません。

「梅に鶯」は間違いだと言う人達の共通点は、その原因が昔の人がウグイスとメジロを間違えたことにある、としながら、「梅に鶯」の成り立ちに歴史があることを知らず、また、調べようともしないことです
しかしながら、このような<確かめない&調べない>人達の思い付きは、思考も迷いもなく、率直で、短い文の好きなTweet層には受け入れやすいようです。
一方で、自然科学を尊び実証性を重んじるあまり文化的観点の乏しくなる人は、目の前の事実のみで判断する傾向があり、思考力があるにもかかわらず「梅に鶯」が万葉や江戸の文化を背負っていることに気がつかないと言うこともあります。
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