SORA KAZE 

日々の暮らしでのデキゴトを綴ります。
女子大生満喫中の娘と高校球児な息子。
仕事と趣味と。そんなつれづれブログです。

怒涛の毎日

2017-05-22 18:02:23 | 日記
4月の頭から、フル勤務で働いています。
仕事は大学を卒業して結婚して東北にくるまで働いていたお仕事です。

非常勤でその関連の仕事をここ5年していたのですが
完全に毎日となると全然違う~~~~~~~~

というかもう新人と同じ状態。
おばさんなのに中身は新人。。。めっちゃ使えないパターンです。。。。(;_;シクシク


ということで朝も早くから夜も遅くまで頑張っております。
もうアラフィフの体には厳しいものがありますが
日々の充実感はハンパなし。

そして勉強して入った大学で得た資格を生かせる仕事につけているという
気持ちの良さも満足度高めている理由かもしれません。

家のことはしばし放っておいて
(娘に手伝ってもらったり 息子に我慢してもらったり)
ずっと家族のために と時間を割いてきましたが
久しぶりに自分のために時間を使っています。

そういう風に暮らしていられるということが
幸せなことだなぁとしみじみ味わって
毎日を過ごしています。


がんばるぞ~!!!!

娘の成人式

2017-01-17 18:12:33 | 日記

娘が成人式を迎えました。
早生まれの娘なのでまだ20歳ではないのですが
大人への仲間入り。

首都圏育ちの夫と私。
転勤で東北各地を転々とし
近くに知人がいない中を無我夢中で子育てしてきましたが
ここ数年は家を構え
落ち着いて
子育てをしてきました。

娘は小6という中途半端な時期に引っ越してきましたが
バスケット部の友人に恵まれ(母も子も)
楽しい生活をおくってここまで来られたこと ほっとしています。


まだ16歳の息子がいるのでもうひとふんばりしなければなりませんし
娘もまだ大学生なので学費もかかりますが
振袖をきての大仕事が終わり
やっぱり ほっとしています(*^_^*)

クリスマスツリー

2016-12-19 16:04:06 | Weblog
毎年出すのがギリギリになってしまう。

家を建てて大きなツリーを飾りたい!という衝動にかられて買ったツリーです。

飾りは私好みのものを少しずつお買い得を狙って買いためてきました。

お気に入りです(*^_^*)

息子の進路

2016-10-06 09:31:47 | 日記
こちらのブログ更新はひさしぶり。IDもパスワードも思い出すのに苦労した~(^_^;)

息子も高校生になり。
部活動に勉強に毎日へろへろになりながら頑張っております。

そんな中
高2の進路選択希望を出す調査が。
まだ本決まりでないのですが 本決めするまで1か月。
これがなかなか決まらないのですよ。

息子は大学にいっても今やってるスポーツを出来れば体育会で続けたいという意志があります。
でもそのスポーツで推薦をもらえるような全国レベルには全然ないので(というか全国レベルではない現チームでレギュラーをとれるかっていうところで必死なもんで)
学業で大学へ入学せねばなりません。

かといって学業もトップレベルかというとこれまたそうではありません。

浪人はありそうだな・・と思いつつ
ともかくは
大学で何を学びたいのか 将来どんな仕事をしてみたいのか
そのあたりで進路を考えています。

息子の学校は、高2では
 A.内部進学推薦or私立大希望 の文系 
 B.国公立大希望の 文系
 C.理系

とわかれます。高3ではさらに理系も分科します。

悩んでいる人はC理系に進めば高3ではどのコースも選べるという仕組みなので
とりあえず C にしろと先生のお話。

で 息子もC にしてるわけですよ。

しかし。
息子はバリバリの理系ってわけではないです。
とくに情報系にはまったく疎い。
そしてものづくり(機械的な)にもあんまり関心がないです。
得意は 体育と地理 だけど
そんな微妙な教科ではなかなか将来が決めきれず。
そして国語の苦手度がハンパないです。
私はひそかに息子にはアスペルガー的な気があるなと思ってて
行間を読むということが元来むっちゃ苦手です。
なので国語のエッセイとか物語文でラッキー勉強しなくても楽勝っていうのがゼロ。


じゃ悩まず理系かな というと
数学は結構すきだけど 数Aの確率がちんぷんかんぷんだそう。
わたしもあれは確かにわかりにくかったけど
息子にしてみれば C とか ! とかつかってやるやつが
どうしていいか暗闇すぎるんだって(^_^;)

で あなたは将来どんな仕事に関心があるの?

私大の学校案内冊子をいくつか取り寄せたやつを読んでみさせた。

明大とか中央大、芝浦工大の冊子はみやすくてよかったです。(私も読んでみた。活字好きなので楽しかった)


そして絞られた2つの希望。

その1 理系でも体育会の活動ができて 環境づくりとかまちづくり的なものを学び それを生かした仕事に進む
その2 中学か高校の体育もしくは 入学できそうな学科の先生。


その1にいくのに文系選ぶのもだめだし
その2にいくのに理系を選ぶのも負担はでかい。
ただでさえ 部活動と学業の両立でひぃひぃなのに。

ってことで悩みは続くものの
どっちかを高3の進路選択のときまでに決めようってことで 高2の希望はC.理系 に決めました。

でここで出てくるのが
さて理科の選択教科をどうするべ!?ということです。
社会は 世界史が必修 迷わず選択は地理。

理科は理系は物理基礎と化学が必修。
選択を物理にすべきか生物にすべきか。
先生は工学部にいくなら物理というけれど 環境とかそういう学科は生物でもありなんじゃ ということで
こんどは 大学の入試科目を調べなければならず。

こんなにいろんなこと 毎日目の前のレギュラー取りと 課題に追われてる思慮深くない高校生には
難しいと思う。(^_^;)
夫に聞くと 工学部にいくのに物理やらないのはあり得ないだろうって。
でも物理基礎はやるんだよ?足りないかね、と聞くと
そもそも物理基礎と物理ってどういう仕分けなのかわからん って。
そうよ 私たちが高校生のころは 理科Ⅰとかあったもんね。
それが今はないし。

本屋で夫が調べてくると 
物理基礎で たぶん息子の希望の学科なら 入ってからでも なんとかなりそうだ と。
入試的にも化学をきっちりやっとけばダイジョブそう。

ってことで
選択は少しでも負担が少なさそうな生物にすることに。


家族総動員で進路を考えるって。
ちょっと おぼっちゃま的すぎだったかな(^_^;)


でも息子は迷いがとりあえず2つのコースまでに絞れて
しかもそれは来年までに決めればいい っていうゆとりで
スッキリしておりました。



で 
あとで思ったんだけどもね

結局
夫のコースに似てる のと
私のコースにも似てるのと その2つで悩んでる息子なんだよね(笑)
これってDNAのなせる業なのかしらね。


さて 息子の進路や将来。今後どうなりますことやら。
お金だけはともかくかかることは明白なので
私はしばらくは今のWワークを続けるか
もしくは メインの仕事を常勤にかえて探すか・・・
私も考えどころですな。


春高バレー 県決勝!

2014-10-31 08:59:31 | 日記
3年連続同一カードの 春高バレー県決勝。
高1のときから娘たちも全校応援3回目。

総体はお互い試合を他会場でする身だから応援にいくのはできないけれど、
選手権大会はこうやって応援できていいですね。

娘の高校は準決勝進出が全校応援のガイドライン。でもバレーボールは決勝進出を信じての
決勝からの全校応援でした。
(ちなみに準決勝には野球部だけが認められて行けたそうな、お礼応援ってやつですな)

ちなみに私も仕事がオフだったので
応援にいってきました。


甲子園でまとまっただけに応援も今年が一番まとまってた。超もりあがってた。

野球部の甲子園
サッカー部も国立目指した青春がこのまえ燃え尽き(←これも部活引退した友達と応援にいってた娘)

いよいよ部活動に青春を捧げてきた仲間の全校応援もこれで最後。


試合開始はリードしたものの徐々に拾われ打たれ、1、2セットとられる。

3セットにはいるまえ
大応援団から 栄光の架け橋 の歌のエールが始まる。

これがね


決して平らな道ではなかった
けれど確かに歩んできた道だ
あのとき思い描いた夢の途中にいまも
何度も何度も諦めかけた夢の途中
いくつもの日々を乗り越えて
たどり着いた今がある

全校生徒の8割が運動部に所属するという学校、
部活に本気で青春を捧げてきた子たちからの歌。
そしてスポーツクラスだけが部に入っているのではなく
普通クラスも分け隔てなく 部活動に所属し同じ練習、同じ授業を受けている仲間。
そばで努力してるのをみんながちゃんと知っている。
そんな生徒たちからの心の歌。
ものすごく 気持ちがこもってて
感動で鳥肌がたちました。

卒業式のような気持ち。。・゜゜(ノД`)

娘が帰ってきてから聞いてみたら、
『栄光の架け橋歌ってるとき
噛み締めながら
そうだったな 頑張ってきたなって しみじみみんな なんか自分のことを思い出しながら歌ってて すごく感動して、泣きそうになったよ』と。

やっぱり。伝わってきたよ、 その想い。


3セットめはすばらしい試合展開をみせましたが
力及ばず 敗戦。

全国制覇を狙ってる今年こそ 優勝をつかみとってきてほしい。


負けてしまったけれども
娘の友達も 仲間も
出し尽くしたという
清々しい表情をしていました。


青春を捧げてきた友達に囲まれて
娘の高校生活は熱い青春がおくれたなあ
ここにいられて娘は
幸せもんだなーと

スタンドの全校応援をみながら
毎日送迎してる私の労力も報われたような気がして、
しみじみと そして熱い青春のおすそわけをもらったのでありました。

お椀マトリョーシカ

2014-10-23 13:54:45 | 日記
野球バカの息子@中2 は 細身。

とにかく飯を食え!とくに米を食え!と
脅されるかのように言われる野球界。
ドラフト会議や甲子園の裏話などで 体重を増やしたいとどんぶり飯やタッパ飯をひたすら食べているの、見たことありませんか?

息子は神経が細かくて
緊張したり悩みごとがあったりすると
とにかく食が細くなるタイプです。

小5の夏なんて ドリンクゼリー1個で1日
3試合を乗り切るなんて当たり前。

そんな息子は
中学生になり
監督に一言、『非力だな』と言われたこともあるそうな(笑)

野球のセンス 特に守備などは親から見てもなかなかうまいというか、すごいなあと思う息子ですが
とにかく筋力いやそんなレベルじゃなく、 パワーが足りない。
打球が弱っちいというか。
バントの場面ならいいけど2アウトでまわってきたら打つしかない!


息子、ほんとに野球がうまくなりたいみたいで
頑張って涙ぐましく努力して ご飯を食べてきました。
練習など緊張しない場面ならば
かなりお腹がすくようになってきました。

少しずつ量を増やし。お茶碗がサイズアップしてきました。
学校ではおかわり2、3杯を自らのノルマとしてるみたい。

そしてここ数ヶ月かな、
たくさん食べられるぞー!母さんどんぶり出して
というのです。

で、とうとう 一番右のサイズのどんぶり飯を普通に食べるようになりました!!!
量ってみたら700グラムのご飯をペロリ です。

しかも、おかわりまでしてるときもあるのです。

いやーーーーー 息子 すごいよ!

私もご飯が進み、なおかつ
栄養バランスのよいメニューをなるべく用意できるよう頑張ってます。

食費はどんとあがりましたが
どんぶりご飯を食べてる息子をみると
2年前なんて普通のお茶碗半分も食べられなかったのを思うと感無量。


朝は どうしても そこまではいけず、
普通のおちゃわんに軽くよそっていきますが
これが朝からどんぶり飯になったら
もっと大きくなれるんだろうけれど
なかなか そこまでは ね。


体つきもずいぶんよくなってきて
監督に

○○(息子の名前)は 太ももがずいぶん太くなったな

と言われたそうです!!!

やったねー!息子!!!

この前、地区選抜のセレクションがあり
各校から来た
100人近くの選手を見ましたが体格で見劣りしないようになっていて
いやむしろ 同じポジションのコに比べたら大きくしっかりしてるように見えました。


地区選抜メンバーにも無事 選んでもらえました。


食トレ(食事トレーニング)効果でてるね
よかった よかった。


そして我が家は
炊飯器を1升炊きのに変えるか なんていう
今までは考えたこともないことを
検討中なのでありました。
嬉しい悲鳴だな、うんうん。

甲子園観戦記 その2

2014-09-02 22:23:27 | 日記
東京駅から新幹線のぞみにのって新大阪へ。
JR線にのって大阪駅までは1駅。スムーズです。

問題はここから。まず 梅田駅方面に案内表示に従って進む。
わりとスムーズに 阪神梅田駅につきました。
キャスターバッグをコインロッカーにしまうのに 改札入口のすぐわきにロッカー発見したのですが 大きなものは空きがなく。
キャスターをころころころがし 地下街をうろうろし。10分近くさがしあるいて 結構離れたところに発見し。
再び 梅田駅にもどり 甲子園までの往復切符を購入しました。
(実はこのとき この梅田駅の入り口の名前を憶えてなかったのがいけなかった・・・ 帰ってきたときは違う出口にでてしまい。コインロッカーを探して 迷子になりそうでした( ̄▽ ̄;)いやもうなってたかも)

そして電車にのって 憧れの 甲子園球場へ!!!!!
改札を降りて すぐもすぐ! 便利でいいですね~~。楽天コボスタもこのくらい最寄駅が近かったらいいのに!と感動する近さでした。

切符売り場へ向かう数メートルの間に おみやげやさんが軒を連ねています。お祭りの屋台みたいな感じで。ここでまず公式の96回大会帽子とタオルを購入。
そして。じゃじゃ~ん。

聖地です!きたよ~~!!!!!



切符売り場で 目にする 人の山。ひえええええ。すごいな・・・ まだ 大会2日目で1回戦。で、まだ 9時半前くらいだけど こんなにいるんだ・・・

チケットは 内野自由席2000円、1塁側内野席・3塁側内野席 1500円、1塁アルプス席・3塁アルプス席 600円、外野席 無料。

息子と 内野席のバックネット裏のほうがいいかな、いや 1塁側とかの内野にしてみる?なんて話をしながら電車に乗っていたのですが
もうすでに 内野の自由席は売り切れです~~とのこと。(会場をあとにした人数により 追加販売はあるようですが その時点では 売り切れ と。)

じゃ外野席か アルプスだね ということで どっちにする?としばし悩むも アルプス席はまだわずかにあります~~という声をきいて そっちにいってみることに。

翌日は 娘の学校を応援するのに 3塁アルプスにいくつもりでしたのでそれとは反対の1塁側を買うことにする。
買う時に 「このチケットで何試合もみられるんですか?」と聞いてみると いったん退場するとダメだけれども 中にずっといる分にはOKとのこと。



チケットを買っていざ入口ゲートへ向かう。が。ここで入場制限があるのですな・・・
7回くらいで次の試合の学校応援団をいれる席をつくるため 一般の客は足止めをくらいます。
しばし 静岡高校の応援団のかたたちに紛れてゲートで待つことになりました。



そして第1試合が終わり いよいよ ゲートから 中へ。
階段をあがって 見えたのは わあああ これが甲子園球場!!!!



ちょうど 静岡の野球部がスタンドにお辞儀をしに整列に向かってくるところでした。
綺麗に並んで 美しい礼。そして大応援団から激励の拍手と言葉。



すごい・・・・!!!気づけば (静岡高校にはなんのゆかりもないのに)涙がじわっと浮かんできてる私。
そして 空いている席を探して座って 息子と話してみたら 息子もその瞬間鳥肌がたった と。
甲子園の空気は県大会の決勝ともまた違う 大きな大きな憧れと感謝と気迫と なんというかいろんなものが融合した空気でした。



目の前でみる各校の応援団の迫力と盛り上がり。
そして向こうのアルプスに見える大きな声と盛り上がり。テレビでみるのと全然違う!!
すごい・・・ 出てくる言葉はそれしかなくて。
そして アルプススタンドの外野よりのほうの前のほうに座ってみていたのですが ライトの選手が近い!



おお~~プロ野球観戦とまったく違うこの空気。緊張感。
写真より実際はもっと近くに見えます。
交通費かなり家計的に痛かったけど来てよかった~~と心の底から思いました。



試合内容はここでは 記しませんが 熱戦。ほんとにまさに 熱闘甲子園そのもの。


今年は例年にくらべると天候不順で曇り空の日も多い甲子園。はじめはそれほど暑くなかったのですが
さすがにどんどん暑くなってきました。
凍ったお茶、アクエリなども売り子のお姉さんお兄さんがたくさんまわってきてくれます。おじさんたちはもれなくビールをじゃんじゃん頼んでました~。お姉さんたちみんな可愛くて(*^_^*)

ペットボトルドリンクは 250円とちょっとお高めですが 熱中症にならないよう何回も買い求めました。

第3試合もおわるころはかなり暑くなってきて 甲子園名物 かちわり も買ってみました。
思ったよりも大きいんですね~~!コンビニでかうロックアイスがちょこっとこぶりになったくらい。
それをはじめは封はあけずに 首すじをひやすのに使いました。
随分とけてきたところで 飲む。ひや~~っとオイシイ。そして 水を飲みキリ、すこし氷が残ってる状態で  そのあと、ぬるくなったペットボトルのお茶を入れて また冷たいお茶にして飲んだりもしました。
かちわり体験もできてウレシス。

お昼は 甲子園カレーを食べて。ポテトなども食べて。
たくさんお店があるので買うのもスムーズです。



第4試合。初回に8点も先制され。その後も10対2になっているところで
最後まで見ずに このあと道頓堀にいってみたいというのもあって 甲子園を後にしました。
(夜にホテルに戻ってテレビでニュースをみてびっくりの大逆転でした!!!みのがした~~w)



出たところに おみやげのオフシャルショップがあり。お土産のお菓子や 記念になりそうなものをいろいろ買い求めました。
ストラップなど校名がついてるのはもちろん娘の高校のを買って。
ボールなんかもかっこいい!

会場外には今までの優勝校の校旗が。

すご~~い。PLのとか横浜のとか駒大苫小牧のとか早実のとか触ってみました(笑)


そしていざ会場を後にして 電車で梅田駅に戻る。電車は6~10分間隔くらいでどんどんきてくれるのですね。助かります。
スムーズに梅田駅に着いたはいいのですが 出口をでてみたら東口でした。
あれ~~入ったときと違う!(初めは何口だったのか覚えてないのです・・今ふりかえれば 百貨店口だったっけか)というか こっちがメインなんだ!地下鉄への乗り換えもスムーズそう!コインロッカーもたくさんある!(明日はこっちに入れに来るぞ!) 
で。私らは 朝いれたあのロッカーまで
キャスターバッグをとりにいかないと・・・(>_<)

しかし どこにあるのだ?!

朝の段階ではお店のシャッターもあいていなくてオフィスに向かう人くらいしか歩いていなかったのですが
賑わう地下街はまったく勝手が違う。うっわ~・・・ ひたすら息子と歩き回り。何分歩いたかな・・ようやく はじめの入り口に到達!!でそこから ロッカーに向かい。んで また戻り地下鉄にのる。

結構ここでロスしました。



ホテルは地下鉄御堂筋線の 淀屋橋 にあるのですが 道頓堀にいってみたい私たちは なんばまで足を延ばしました。あっというまにつきます。
で なんば でコインロッカーはすぐにみつかり そこにまたバッグをつっこみ いざ 道頓堀へ。



ついたばかりのときは明るかった。

おお テレビでみる大阪や~ん!!

これが えびす橋か~。ここから阪神優勝の時は人が何人も飛び込んだんだよ~と言ったら 息子目を丸くしてました・・・川・・綺麗とはいえませんものね( ̄▽ ̄;)




船にのっての観光もいいなぁ。今回は時間なくてできなかったけど。

うろうろ歩き回って。面白い看板なども写メって。








立体看板がたくさん!おしゃれじゃないけど なんか勢いがこう すげ~って感じ。

行列のたこやきやさんに並び 大阪での たこやき体験。

う。う。うま~~いっ!!!





写真ぶれてますね すみません。もっと買えばよかったな~・・・ 結構 甲子園でいろいろ食べてて お腹がいっぱいで(^_^;)



お好み焼きはもう入らないかも~~ でも串カツ食べてみたいね!ということで
これまた人気のお店に並ぼうかとも思ったのですが すごい長い列が。



もう時間もせまってきてたので(明日も朝早い)
屋台みたいになってるお店で 串カツ体験。





「二度づけはあかんよ」というのを生で聴けてカンゲキ(笑)ほんとにいうんだ~~!♪
そして そのさっぱりとしたソースにまたまたカンゲキ。美味しい!串カツ!!

その後、おきまりのお人形のところで写メをぱちり。



おみやげも コテコテの大阪グッズを買いました♪
くいだおれ人形のソックスを娘にかったらば大好評。(娘たちはおみやげ買うような時間もない 弾丸ツアーなので・・・)かわいいのもいろいろあって ここで 甲子園以外のおみやげもゲットン。



かき氷なども食べて お腹満足。

夜のグリコはますます派手!



再び地下鉄にのって ホテルへ向かいました。駅から5分くらい歩いてつくホテルでよかった。ホテルには8時半頃ついて、ゆっくり。
明日は 7時には朝食とってすぐにまた甲子園にいくぞ~!!!と早めに寝ました。




翌日。
2人で9000円を切るホテル代なのに。そうとは思えない朝食までついて大満足。乗り継ぎもスムーズ、荷物も昨日みつけた東口わきのコインロッカーに いれて、いざ!メインの応援だ!!!



この日は第3試合でアルプススタンド3塁に入りたかったので 迷わずまずそのチケットを購入。
でも朝早いので まだ1500円の内野席があいてるとな。
せっかく甲子園にきたんだし(そしてもう次にいつ来られるかわからない)ということで 3塁側内野席もチケットを買ってみる。

おおお~~~!前から5列目に座れた。ち、近いっ!!!




うう~ん 近さが伝わりませんな。
3塁手の選手の太ももの迫力満点!!!すご~い!!!
何食べたらああなるの?!って 何度思ったことでしょう・・・ あ、テレビで ラーメンどんぶり3倍のご飯を毎食食べるといってましたっけね・・・( ̄▽ ̄;)




前なのはいいのですが このあたり 傾斜がなだらかで前に大きな麦わら帽をかぶったおじさんなどがくると見にくい。
ということで上のほうで入口のすぐ上の席に移動。前の人がこないのですごく見やすい。しかも日陰。これかなりポイント高い。快適に観戦できました。
ここで名勝負を堪能しました。。。

市和歌山の2塁手くん。息子と対してかわらぬ身長&体重。レギュラーの座をつかんだ守備すばらしい!ずっと彼にそって応援してて・・・最後の 幕切れに 思わず一緒に涙してしまいました。

内野席にはいると お店の数もアルプスの臨時スタンドとは大違いで たくさん!
何たべようかな~ってウロウロするのも楽しかったです。


そしていよいよ 娘の学校登場。
ここで球場をいったん出て、3塁アルプスの入り口に向かうと おおお 地元ツアーからきた応援団と遭遇。バスケ部のお母さんとも遭遇。え~、きてたのね!!なんて話しながら スタンドへ。
うんうん 応援がいっぱいで心強いな。
娘たちの全校応援は バス22台。休憩含めて かれこれ15時間かけて到着したんだそう。おつかれ~!!!そして応援がんばろね~~!!!!


この中のどこかに娘とワタシと息子。娘には会場では 会えませんでした(^_^;)



クラスメイトの名前もある甲子園。感動~~☆彡(写真がなぜかうまくとれない)








そして見事初戦で 校歌を歌うことができました!!!おめでとう!!!
娘たち また甲子園に来られるんだね~(*^_^*)やったね!!



(そのあとの2回戦は見事に 機動破壊で こっぱみじんにされてしまいましたが・・・(^_^;)
夢舞台での活躍。私たちも夢をみさせてもらいました。本当にありがとう!!!)



余韻にひたる間もなく・・・息子と私 ダッシュで甲子園を後に。
今日中に帰らないと!明日の8時から 部活のある息子なもんで。
急いで阪神電車にのり。梅田で 結構時間があったので ミックスジュースを飲み。(これ140円だったか170円だったか!安くておいしすぎる!!)
余裕で大阪駅にいくつもりが あれっ また迷っちゃって(^_^;)
道行く方に声をかけて教えてもらう。
・・・・もう少し旅人にわかりやすい表示にしてくれ~~~。



で お弁当をかって。無事 新幹線にのりこみました。
楽しかった!甲子園!きてよかった~~~。最後まで娘の学校の野球部の勝利を見届けることができてよかった~~!!!!!

夜10時半。無事 仙台に戻ってきました。



バタバタいそがしい計画でしたが はじめてにしてはなかなか だったかも!
試合もフルで4試合、途中のをいれたら 6試合もみることができました。



各校の応援がとてもよかったし なにより選手のプレイをこの目でみることができて
高校野球ファンの私も 野球少年の息子も 幸せすぎました。
新幹線にものれて 乗り鉄の息子はなおさらHAPPY!



結構な額の出費でしたが
おじいちゃんおばあちゃんからの御餞別ももらえて。
息子の誕生日プレゼントも兼ねて の旅行になりまして。



いい夏の思い出でした。




まさに 野球三昧の夏がおわった我が家です。
東北の夏休みは あっという間におしまいです・・・

熱い熱い夏でした(*^_^*)


甲子園 観戦記 2014夏  その1

2014-08-21 01:28:47 | 日記
大変大変にご無沙汰しております。。。。。

このブログを待ってる人なんているのだろうか?と思ってましたが
なんとうちの母が密かに楽しみにしているらしく((笑))
ということで 再開です。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

夏の甲子園!もう青春はとうに終わっちゃったワタシですが。
青春まっさかりの娘と息子がいるおかげで 私まで熱い夏を見に行ってきました!!!!!

こどものときから 大好きでテレビでしょっちゅう見てた甲子園。
まさか 娘が高3で出場できる学校の生徒になれるとは!
野球部のみんな ありがとう~~~!!!!!!!!!!



甲子園ってどんなとこ?どうやってチケット買うの?

そもそも甲子園って何県?大阪?兵庫?どうやっていくのだろう・・・

娘は全校応援だからいいけどさ・・・私たちはどうやっていく?!甲子園!



そんな甲子園初心者を導いてくれるハウツーブログ 検索したけどなかったので ここに残しておこうかなと思います。

甲子園に 遠方から始めていってみる!と決めた方の 参考にできることが少しでもあれば(*^_^*)・・・・あんまりないかな苦笑。



******



うちの息子@中2 は クソ真面目なので 部活をさぼる、休む は一切したくない人。5日間しかない夏休み・・・そこで行くしか選択肢はない。

どうせいくなら 娘の高校の応援をしないでどうするよ!と念じて念じて ここにこいっ!!と願った抽選を見事主将くんが引き当ててくれました。それを待っていたので 超ぎりぎりの計画です。




そこからまず頑張ったのは 高速バスの予約。

とはいえ 大阪⇔仙台の直通バスはもういっぱい。お盆休みの帰省の時期ですもんね。。。当たり前です。地元の観戦バスツアーは R高校を応援だけして戻ってくるという。でも3万4千円払っていくのなら どうせなら もっと試合が見たい!

私も息子も思いは同じ(あ、夫は仕事期間だったので今回(も)除外w)。



予算をなるべく削りつつ試合をたくさんみたいという条件で考えたのは

仙台→東京→大阪 で、仙台から東京までをバス、東京から大阪を新幹線 というスタイル。

帰りも同じく。

まず 仙台→東京(昼便)、東京→仙台(夜行便) のバスを予約。行きは沢山選べたけれど 東京→仙台 の夜行バスはもう残席2しかなくて。アブナイ!!ギリギリ予約セーフ。

せっかくいくのだから 甲子園近辺で1泊して 2日間試合を見たい。

ホテルを探すも 当たり前だけど甲子園そばのホテルは空きなし。

大阪で探そうと思うも 土地勘がないため どのあたりを探せばよいのか ハテナマーク。大阪の路線図をいちいちチェックし ホテルの空きがあれば それがどこか 考える。

まず 大阪駅(JR)=梅田駅(私鉄) だということを知る。

新幹線は 新大阪。そこから JRで一駅で大阪。そこでテクテク歩いて そして梅田から阪神電鉄にのって甲子園駅にいくということも知る。

そして当然のごとく 梅田近辺のホテルも満室。

そのあと いろいろ探してたどりついたのが 淀屋橋(地下鉄御堂筋線)のホテル。

これはいくつかあいてました。仕事で使用する人が多いのでしょうね。梅田からすぐ(1駅だか2駅だか)なのでよさそう!

2人でツイン9000円でホテルを押さえ よし!まずはほっとする。

次に えきネットで 新幹線の予約を。

もう始発の便は窓側は選べなかったので 3本おくらせて窓側の指定席をおさえる。

帰りはやはり 混みあってて選びようもなく。 乗り鉄で景色見るのが好きな息子が窓側を所望するも、夜なんだしもうどこでもいいわ 文句いうな と2席おさえる。

(指定切符を買う前に 十分間に合うか調べるのに 私はNAVITIME ナビタイム というサイトで乗り換えを調べておきました)

そして 中学校の事務室で学割証明書を発行してもらう。

(これは中学生の息子にとっては運賃2割引なので パックプランなどを利用しない場合は必須です。ちなみにパックプランはもうどれも埋まってて アウトでした)

学割切符は窓口でしか買えないのでネットでは指定席のみ 買ってました。



さて そんな準備をしていると・・・・

むむむむ

台風が怪しい動き・・・

これはもしや延期で1日伸びるかな・・・・

 1日目に目当てのR校を観てくる予定が もしや2日目になっちゃうかも?!それでも 見終えたら新幹線に乗れば大丈夫ね ホテル予約しててよかった~~と思っていたらば。



なんとまさかの大会2日延期とな(>_<)!まじですか~~~。もうどうすんのよ~~~~



息子の部活は14日から。R校の試合は11日から13日に変更に。

さすがに 夜行バスで帰ってきて 14日朝仙台について そのまますぐ部活にいくのは息子は嫌だ と。そりゃそうよね。

じゃあ R校の試合みるのやめる? でもお姉ちゃんの学校応援しないで せっかく甲子園にいくのにそんなのヤダなあ・・・娘のクラスメイトくんたちを応援したいし 全校応援する娘たちを見たいよ・・

ってことで。

じゃ

東京からも新幹線にのって 13日中に家につけば 翌日なんとか部活にいけるだろう!ということで

帰りは 新幹線を乗り継ぐことにしました。(この際 お金はUPするけど仕方ない!)



ホテルはキャンセルして1日ずらして違うホテルを取り直す。なんとか空き室があって助かった。



帰りの東京→仙台の夜行バスはキャンセル料がすでに40パーセントもかかってしまい 痛手だったけど仕方なし。

でも行きの東京行きのバスはもうキャンセル代もったいないので ずらさないで東京にいっちゃうことにしました。で 実家に泊まることに(実家が千葉でよかった)。

新幹線の指定席も変更をかける。これも無事完了。



運賃切符も 東京⇔大阪の往復切符をいったんキャンセルして。片道は 東京→新大阪、帰りは 新大阪→仙台 に買い直すことに。(東京→仙台を片道くっつけるよりもお得なのです)

窓口に出向いて 変更してもらう。手数料かかったけど 仕方なし。




はぁ・・これでともかく 大阪まで行って帰ってこれるぞ~~!!!



10日昼バスで 仙台→東京 その日とさらにもう1泊は千葉の実家に。

12日朝 実家の最寄駅より始発で東京駅に向かい 新幹線で 東京→新大阪。 そこから甲子園へ。試合をみて帰ってきて で 淀屋橋のホテルに泊。

13日 朝から甲子園へ。R校の試合が終わり次第(おわらなくてもタイムリミット4時)新幹線で 新大阪→東京→仙台。



こういうプランにしました。
実家で 寄付金という名のお小遣いをいただきまして(笑) とっても助かりました!! お母さんお父さんありがとう!
こどもたちからは おじいちゃんおばあちゃんありがとう!!



とまぁ 目当ての学校が抽選終わってから そしてさらに急遽2日前に変更をかけてもなんとかなりました。

かなりバタバタしましたが よかったよかった。

主将Uくん 2日延期でもなんとかなるいいクジひいてくれて嬉しいよ。




さて では肝心の甲子園のチケットはどうやって買うの???どうなってるの???大阪でどうやってすごしたの??観戦できたの??!!などのレポは その2で。(こうご期待!←誰も期待してないって?( ̄▽ ̄;)・・・私の覚書でもあるのでいいんです(笑))

熱い夏

2013-07-15 12:54:35 | 日記
夏の全国高校野球選手権大会 (甲子園) 県予選 がはじまりました。


野球息子のいる我が家。

そして県で毎年上位進出を果たす 娘の高校。


そんな中で 気にならないはずがありません。

開会式の行進も すみからすみまで チェック。


小2から夢中で野球をやってる中学生の息子からみたら 本当にかっこよく見えるのでしょう!


私も 数年後 息子がこうやって行進する姿を見てみたい。そう思うだけで 胸がじーん。


でもね。

行進できるのは ベンチ入りメンバーの20人だけ。

ずっと憧れの高校野球に 汗水ながして 必死の想いで練習してきても。


強豪校なんて 80人~120人くらいの部員がいるのはざら。


開会式の行進すらできずに 青春の部活動を終了しなくてはいけない球児もいっぱいいるのです。


自衛隊の拠点となり

芝生が荒れて 使えなくなった石巻市民球場。


トモダチ作戦として。メジャーリーグからの支援があって 人工芝の球場に生まれ変わりました。

そのすぐ横には仮設住宅が並ぶ中 

夢を追いかける球児の最後の夏のスタートの地に

今年はこの石巻の球場が選ばれました。


グランドの外野の本当に後ろのほうに 体育座りをして腰を下ろす 背番号のないユニフォームをきている選手たち。


胸を張って行進する選手を遠目でみるだけしかできません。



朝練して。夜は10時近くまで練習して。休みもなくて。勉強もして。家でもすぶりや特打をして。

どりょくしてもつかめなかったベンチ入りのできる背番号。




せめて 開会式の入場行進だけは 部員全員。せめて3年生は全員。

歩かせてあげたっていいじゃない。やたら膨大な人数が歩く学校があったっていいじゃない。

それで 整列に支障をきたすなら 整列時のみ 後ろにさがらせて。


憧れの甲子園への道のスタート。

ずっと頑張ってきたチームメイトと一緒に 胸はって行進したかっただろうに。



*******


この前 部活が終わって 娘をいつも通り迎えにいったらば。

毎年恒例の ベンチに入れないメンバーのさよなら試合 を

学校近くの 球場を使って ナイターで やっていました。


娘の学校と。県立どうしの強豪校対決です。


両チーム普段は控えにもなれない選手が 背番号をつけて 試合に挑みます。

スタンドには レギュラー選手が 本気の応援で。太鼓にメガホン、笛にと声を張り上げます。

娘の学校の部活を終えた生徒たち、もう他の部活を引退した面々、クラスメイトなどがスタンドで応援します。


そして

親の会のみなさんもお揃いのTシャツをきて。横断幕を掲げて。応援しています。



正式な試合では背番号登録からもれた選手。

この さよなら試合をもってして

これからは スタンドから応援。サポートに徹する役。一足先に

自分の足でグランドを蹴って バットをふって グローブでキャッチする世界から 引退です。


試合は 引き分けでした。

大きな拍手と。選手の涙と笑顔と。

そして 両校いりまじり 肩を組んで マウンドで集まっての 写真撮影。



泣きそうになってしまいました。




******



試合には 確かに 実力がものをいう世界なので 出られないメンバーがいっぱいでるのは仕方がないこと。


けれど

この子たちはきっと うちの息子のように。

小学生のちっちゃい頃から ボールをおいかけ。

お父さんもお母さんもサポートしながら 暑い日も寒い日も風の日も雨の日も

頑張ってきたんだろうな。

ここで いったん ゴールイン なんだね。




最後の入場行進くらい。

球児全員。せめて 3年生は最後くらいは。

学校のユニフォームを着て 一緒に歩かせてあげてほしいなと

ほんとにそう思う。


確かに 長い列の学校。少ない学校。

アンバランスで 見た目美しくないかもだし

開会式は長くなってしまって大変なのかもしれないけれど。



彼らに 夏の大会の グランドに 立たせてあげたかったな と

テレビをみて あのさよなら試合を思い出して

泣けてきてしまったのでした。



そんな彼らの想いも背負って。ベンチ入りの選手よ 悔いなき戦いを!




女川と石巻へ。

2013-04-29 10:42:44 | 日記
女川と石巻。

落ち着いたら 自分の足でいこう と思っていた場所。
女川は娘がバスケ部で 何回も試合にいった場所。
石巻は昔2年、住んだ場所。
ラジオで聞いてテレビでみて。写真でみても。わかってはいたつもりだったけれど。
ダンナは仕事でその土地でその仕事をしているので聞いてはいたけれど。
実際にきて 見て。

とてつもない破壊力に茫然とするばかりでした。

その震災前の姿をよく知っているだけに…



石巻女子商業がとちゅう 跡形もなくなくなってるのに気づく。
あれっ。ここに高校あったよね? と夫に聞くと、もう完全解体しちゃったんだよ とのこと。

そして万石浦のあたりは 閉じた湾になっていたため 津波の被害がなく。ちょっとほっとしていたところ。

通り抜けて 女川の町にはいるあたり。

私の記憶。


両脇に家や店がたちならぶ 昔ながらの街並みを抜けると 左にいけば 女川病院にあがっていく道があって。 そっちにはあがらずに まっすぐいって 左折すると女川駅。右手は海。近くは銀行などが並ぶ中心地。コンビニが港近くにあって アイスをバスケ母たちや妹ちゃんたちと食べて。喫茶店で冷やし中華とかき氷を食べたこともあったな。 マリンパル女川という物産観光センターがあって・・・・

駅をとおりすぎ、ごちゃごちゃしてる街をぬけ。左側の山のほうにはいり、急な坂をのぼっていくと 女川一中に到着。
こんな高いところにあって 朝学校にくるの大変だよねぇ と雑談してたのが2011年 3月前のこと。


・・・・見渡すかぎり、女川病院、学校以外は、なにもない。

高台にある病院駐車場からの景色。360度。
海と更地、重機、土の山 だけ。




まるで 広大な埋め立て地の工事現場みたい。









 

こうやって 鉄筋コンクリートのビルが横倒しになって残されているのが 2つだけあるから。

ここが もと街 だったんだ とかろうじてわかる。





高さ20Mはあると思う処に立っている、女川病院。

ここの駐車場から ながめる景色に言葉がでない。

こんなに高いところにあるのに。ここの1階にまで津波は押し寄せ 数人亡くなったそうだ。

本当に信じられない。海がそこにあるのはわかるけれど。
まさか ここまで大きな津波がくるとは。

3階建ての自社ビルに避難との判断をとり、そこにとどまり13人中12人の行員を亡くした銀行の跡地を通ったとき。
お花がたくさんあったから 手を合わせたところ
署名をお願いされる。
避難の指示がおかしかったのではないか とわたしたち遺族は 会社側と交渉をしているところなんです と。
ニュースでなんども聞いたけれど。
「あの病院まで上がれば助かったはずなんです、周りの信金さんや企業さんはそうしているんです」と肩を落とす ご遺族の方のお気持ちを考えると、この2年 どれほどの想いをして過ごしてきたんだろうと胸がつまった。


喫茶店も。駅も。コンビニも。どこにあったのかわからないくらいに更地になっていた。
想像もつかないくらいの町の残骸を 処理していくのを指揮するのが今の夫の仕事。
きっと 瓦礫が残っていればここに町があったことは 忘れないのに。忘れられることもないのに。
思い出のかけらを拾いに 捜しにこられるのに。

あぁ 違うか。
いつまでも 町が壊れたままの姿をみるなんて 胸がつぶれそうだ って
息子の友達の おばあちゃんが ご主人と長男を亡くし、 仮設にはいっているけれどそう言ってたと聞いたっけ・・・
仮設住宅にいれば あの怖さと悲しさを毎日目にしなくてすむ って言ってるって。

町は 倒れたコンクリートの建物いがい 本当になにもなく。重機と 嵩上げ処理をするための 用意が進んでいた 工事現場になっていた。




右側に土嚢(黒い塊)が並んでるでしょう。
この高さ分、堤防や地面が陥没してしまい(土嚢の左側に堤防が下がってるのがわかる)。
満潮になると町に海が流れ込んでくるので、
急いで 堤防道路を作ったんだそう(人がたっているところ)。


町全体を嵩上げして。
そして 居住制限をかけて 復興をはかるそうなんだけれど。

走れども走れども 更地になっている中で。
そして 娘たちがバスケをした 中学校と 町の体育施設のあたりには仮設住宅がひしめく中。


あと何年したら いわゆる普通の街並みが戻るのだろう。

ここに住んでいた人たちの希望はいつ形になるんだろう。



移転して仮設店舗で営業している 海鮮丼を食べていくつもりだったけれど
(夫がおいしいんだよ ってよく言うから)
GWだからか 小さいお店が とっても混んでた。

あきらめて 仮設店舗で営業してる 物産展で しおから、海産物などを買って、石巻やきそばたべて、たこやきたべて、 ホタテの炭火焼きをたべてきた。


帰りには石巻の 沿岸地区を夫にまわってもらう。




テレビに何回もでてくる 門脇小。紅白で長淵剛が ライトを照らして歌った学校。 夫がうちの現場から 5分くらいのところだよと紅白をみたとき言ってたところ。

校庭のなごりは、たぶん これ バックネットの基礎。ここ 正門前の階段。それだけ。





津波が3階まできたうえに、火災になってしまって。それでも屋上に避難した人を助けた学校。
なんて悲しい悲鳴を上げ続けてきた学校なんだろう。
もう悲鳴をだすことはやめて 静かにたってた。
この学校に通っていたこどもたち。卒業生の人たち。
どんな気持ちでここを通るんだろう。


近くの住宅地は 私が石巻にいたころ、人気の住宅地だったのよね・・・
門脇かぁ 便利でいいとこね 今 おうちがどんどん建ってるわよねって母親学級などで関わったひとたちがいってたもの。

いまは
ぽつん ぽつん と今風のかわいいおうちがあって。
でも1階のドアも窓もわれてるか 板止めされてあって。

居住制限がかかっていため リフォームもできずにそのまま 残ってる。
すめそうなのに。直せばまだまだ 新しいおうちだろうに・・・

ほかのおうちは 解体されていて、もう更地。

基礎部分だけ のこってるとこもあるけど
草がはえてて目をこらさないとわからない。

田舎にはよくある  まだまだ発展してない田舎町の光景に変わってしまってた。


ミニバスの会場だった 野蒜近くの町の体育館はもう取り壊されて あとかたもなかった。

海岸線ぞい、ずっと広大な 計画がたてようもない工事現場のような風景が続いてた。


沿岸被災地の人たちも
希望をもって笑顔で ずいぶんみんな新しい場所で動き出しているけれど。

ここに戻ってきたとき。
ここが わが町だったのよ と思い返すことすら切ないだろうな。。


夫の職場の 広域震災廃棄物処理場を みて。
広大すぎる敷地と 莫大すぎる処理物の山をみて。
おおきくて 映画のような焼却炉の場で
災害の残骸を最後はもやして灰にすることしかできない
無常さに なんとも言えない気持ちになった。

毎日ここで働き。暮らし。生活して 再建していこうと頑張る人たち。応援する人たち。
この町を 大事におもっている人たち。


テレビの中じゃなくて
想像じゃなくて ここにいる。
抱えるものを人それぞれ持ちながら。進むしかない。
そういうことなんだ。





車で家にもどってきて。
いつもどおりの我が家。わが町にほっとして。
そしてやっぱり ふっと考える。私にできることはなにかな って。

同じ県。あのときの絶望感、喪失感。
いつも覚えていようとは思わないけれど 心の中で風化させないでいよう 
小さなことを続けよう と
思った連休のおでかけでした。