分け入っても分け入っても本の森

本読む日々のよしなしごとをそこはかとなく♪

●八重洲ブックセンターへ逃避

2009年12月19日 21時37分48秒 | 読書
八重洲ブックセンターへ逃避。
座ることはないと思っていた書見コーナーに座して。


(左に積んでいるのは読了分)

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図書館通いなどは子供の頃のことです。
当時の貸し出し上限5冊まで借りて読み、翌日には返してまた新たな5冊を借りて、家では消灯後に見つかったら叱られるので布団をかぶって懐中電灯で照らしてでも読んで、とにかく毎日、ピアノの練習以外はそればかりでした。
学校の図書室は、もう早くにだいたい読んでしまって、「本はいくらでも買ってあげます」という家庭環境だったのですが、それでぼくの読書量に追い付くはずもなく、あとはひたすら本のあるところ、図書館へと足が向いたのです。

わりと有名な(?)図書館だと思いますけれど、小学生・中学生時代に毎日のように通いつめた施設に、今はときどきオーケストラの練習で行きます。
施設は、さらに立派にリニューアルされてしまって、往時の面影はあまりないのですけれど。

新刊を図書館で順番待ちして読もうなんて悠長なことだな、と思います。
(経済的な理由でそうなのだったら仕方ないでしょうけど)

今では、ぼくは調べもの以外で図書館へ行くことは、ほとんどありません。
お小遣いの範囲でだったら好きなだけ自由に書籍に注ぎ込めるのも嬉しいところ。(予算的には全然足りていませんが)

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いずれにしてもぼくは、読書が趣味だなどと恥ずかし気もなく自慢気にする向きには身構えてしまいます。
たとえばフロイトでさえ結局は女性が何を望んでいるか理解できなかった、などというのは読書不足を自白しているようなもので、そういうことは、うんと古い書籍にはちゃんとしたことがあるのです。
ただ、そういうところへたどり着く人は、いくぶん世俗から離れるしかないのも確か。
知らなければよかったかもしれない真実というものは(そして、たぶん詩も)あるので、その点、フロイトなどはまだ、じゅうぶん現世的です。

本には世界の半分が載っています、というか世界の半分しか載っていません、というか。
(でも読まなければ、実体験だけでは世界の万分の1もわかりません)

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ぼくが古い書籍というのは「レメゲトン」のようないかがわしいものをいうのではありません。
古い読者は「ソロモンの鎖骨」と称する書物ですが(まあ、誤訳です)、たとえばそれに書いてあることは実行実現できるのですが、正しい読書家ならけっして、そんなことはしないでしょう。
そういうのは、正しい知識ではありません。

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パーツを買ってきて、シルバーのメダイもストラップにしてみました。



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 後記:年の瀬の用事をいろいろ果たすべきだったのに、この1日を丸々逃避したせいで、この後の師走の日々は、とんでもないことに……。


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