分け入っても分け入っても本の森

本読む日々のよしなしごとをそこはかとなく♪

●バビル2世

2009年01月09日 23時14分28秒 | 漫画


納戸のどこかに埋もれていた「バビル2世」を発掘してきて読みました♪  

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1月4日の茂木健一郎ブログの内容で、修辞的にではなく実存生理的に嘔吐を催し、ずっと具合が悪くなってたまりませんでした。
いったい何の特権意識なのか、これはどういう青臭さなのか、自分だけは世俗の便宜や方便から逃れたところにいる「権利がある」とでも……(この人は、ぼくよりずっと年齢は上のはずなのに、なんてハナモチナラナイ)。

苦手だなあ、こういうタイプの……茂木大輔もそう。茂木という名字で共通項あるわけなし。
齋藤孝も、「国家の品格」の藤原正彦も、何だろう啓蒙したがりの胡散臭さときたら。(*1)
こういう、「下々のみなさんを導かねば」という考えや見下し行動(=著作)は、どこから来るのかな。
正気でやっているのかしら。
(藤原正彦は「国家~」より前の、「天才の栄光と挫折」などは、とても面白いです)


*1 「国家の品格」には、外部からのまともな批判を見ないのに、藤原正彦自身は自著への批判を分析していました。(もう、気が遠くなりそう)
あれ「国家の品格」は、ものすごく片手落ちの内容です(その点については書こうと思いながら、まだ)……あれに傾倒する人たちは、似ているのだなあ……司馬遼太郎の歴史観を自分の歴史観に据えて摺り替えて疑問を抱かないタイプに。

齋藤孝の「三色ボールペン」も、藤原正彦の「国家~」も、本質的には「小学生の頃に習得すべきレベル(というか常識)」です。教科書読解のテクニックや、歴史観のベースになるような知識は、主に小学校時代に学習するものなのです。その頃の知識や思考の記憶は後年いつまでも忘れ得ぬので、今もぼくはそこにフィードバックして頼ることは多いです。それを大人になってはじめて啓蒙されたというなら、子供の頃にいかに勉強していなかったか、ものを考えていなかったかということでしょう。
それに、三色は大学も学部を出る前には卒業すべきでしょう。鉛筆1本で書き込みのライン分けできないなんて、かっこ悪いです。具体的には、1本アンダー(傍線)、2本アンダー(傍線)、波アンダー(傍線)、単語囲みなどで時間短縮できる上、後から消しゴムも効きます。
楽譜への書き込みだって、色分けするのは小さな子だけです。大きくなったら4Bの鉛筆1本で、まあ専用の記号もあるわけですが、さまざまな書き分けをできるようになります。ぼくは本には2B、楽譜には4Bを使います。

●池田理代子

2008年02月03日 23時27分10秒 | 漫画
(週刊新潮1月24日号の記事って、今ごろどうして)

池田理代子の「聖徳太子」は盗作か。

結論からいって、どうにもごまかしようがないではありませんか。
池田理代子の「聖徳太子」をはじめて読んだときの、遠くからの冷たい風が心を吹き抜けて行くような、やりきれない寂しさを覚えています。(ちょっとだけ)
なぜなら、これは不倒の「ベルサイユのばら」をものした人の手によってなされたことなのです。

どうしてこんなことを――。
その理由も、ぼくには痛いほどわかります。
かつて、それに匹敵する天啓を得たればこそ、「日出処の天子」という作品の天啓が山岸涼子のもとへ降りていったことは妬ましくてしかたなく、「わたしならもっと上手く描ける」という思い込みに転化していったはずです。(残念ながら、そこには描き手の性関係の洞察力レベルに大きな誤算がありましたが)


林真理子が『ルンルン~』を書いたことで<三十年間左うちわで暮らす権利がある>なら、池田理代子は「ベルサイユのばら」をものしただけで、一生左うちわの権利があるといえるでしょう。
当時、あの未熟な絵をもってしても、それほどの作品であり、作家「でした」。

いまや「ベルサイユのばら」は池田理代子の基盤ともなり(何度目かの結婚をされ、声楽をものされてもいますが)、姿を変えて版を重ね、サブブック、追加エピソードの数々を出版させ、宝塚での上演を重ねて、その付加価値を拡大させています。
熱心なファンなれば、それを追うこともやぶさかならず、といったところ。
しかし、そこに一抹の空しさがつきまとうのも、見る人が見れば世の常です。

――何をいいたいのかな、ぼくは。

そう、作家の霊媒性について。作家がその作品について語る内容は、必ずしも信用ならないということについて。作家は必ずしも作品を理解していないことについて(だからこそ「研究」が成り立つのです)。作品は作家を媒体にするけれど、そう――天啓ともいえるような作品とはどこから来るのか、について。

(禁断の壺に突っ込みかけたので、以下方向転換)

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「オルフェウスの窓」をして「(少しは)描けるようになったと思った」などという池田理代子の弁など信用なりません。
なぜなら、あれは当初オスカルの再来を思わせたヒロイン、ユリウスが「お人形さん」の女へと変化していった過程で、中途半端な歴史物だか恋愛物だかわからないシロモノに成り果てました。
人物の描写(絵)も上達と反比例するかのごとく品が堕ちていったのは周知の事実。
表情に乏しい目。情に薄い固い唇、顔の輪郭。鼻の下の意味不明な横棒影使いの描写、などなど。

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それにしても、どうして池田理代子は自らを堂々と「漫画家」と名乗らず「劇画家」と記させるのでしょうね。
大学教授の肩書きを持った人に帯を書いてもらいたがるのでしょうね。

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「ベルサイユのばら」が映画化されたとき、ぼくはまだほんの小さなヨンダでしたが、オスカル役のオーディションについてテレビで放映されたときの作者の姿を見て落ち込みました。
だって、そこにいたのは、「わたしは何もわかりませんので♪(お任せしていますの)」なんて見合いに臨んだ嫁入り前の小娘のようなブリッコした池田理代子がバッチリメイク(化粧)で真っ赤な唇と真っ赤な帯で白いドレス(ワンピース)に身を包んでいたからです。

そして誰もが首をひねったカトリオーナ・マッコールという、どうしてもオスカルにイメージの重ならない女優が抜擢された理由ですが、それはあのオーディション放映のとき池田理代子の横にいた男が、おそらくカギを握っていたのでしょう。
なんと見る目のない男でしょうか。(しつこいですけれど、ぼくは学校へも上がらない頃だったので、それが誰だかわからないのですけれど見ただけで大嫌いな「ほんとうのものを何もわかっていない」男だと思いました。そして、そんな男に媚びるかのような池田理代子が嫌だったのです)

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「ベルサイユのばら」は素晴らしい漫画で、その後の池田理代子の作品、素行がどうあれ、その価値を損なうことはできません。

その作品中、マリア・テレジアをしてフランス王妃となったマリー・アントワネットの肖像画に、「これはフランス王妃の肖像画なんかじゃなくて はでにきかざった女優の肖像画でしかありません!このように おそろしく けばけばしく かざりたてているのが わたしの娘だなんて!」(表記ママ)と言わしめるシーンがあり、印象的なのです。

その場面を描いた池田理代子は今、声楽家として誰より飾り立てた衣装でポートレートになっています。

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あるコンサート会場、ホワイエで至近距離で池田理代子にすれ違いました。本人の出演するコンサートではありませんでした。
ブラウン管やスクリーンで見る姿より実像が貧相な有名人は多いですが、彼女はグラビア映りと変わらぬ華やかな様子に見えました。
思わず見とれたぼくは次の瞬間、恐ろしい表情で池田理代子その人から睨み返されました。それはなぜか、ほとんど敵意に満ちているといってもよいくらいの表情でした。
一瞬、ひるみました。
他人に対して、意図的にも無意識にも失礼な態度をとるタイプではないと、自分のことを思っていたから、ではなく。
なぜか――。
池田理代子作品を彩るある種の虚飾に満ちた意地の悪い女性軍が、そのとき同時にぼくの頭をかすめていったからです。


余談ですが、その出来事と同じ頃、あるホテルのロビーで櫻井よしこにぶつかりそうになったことがあり、「失礼」と言いかけたぼくに、櫻井よしこは表面的なだけではない柔和さ(=強さ)で、しっかり微笑みかけて去っていきました。飾らぬ余裕と品位を漂わせた姿はさっそうとして、どこか愉快なものでした。

脈絡もないことながら、あまりに対照的だったので忘れ難い印象となっています。