分け入っても分け入っても本の森

本読む日々のよしなしごとをそこはかとなく♪

●ブックカバー

2006年10月28日 19時25分03秒 | 文学
ブックカバーの歴史は、つまびらかにされていません。
そもそも、日本みたいに文庫本に、1「出版社がカバーをかける」→2「書店がカバーをかける」→3「マイカバーをかける」と3段階にカバーをかけて読むのは、世界を見渡せば特殊なことではないでしょうか。

大多数の人は、1+2の状態で、本を読みます。
次に、1のみの人。(「出版社のカバーを裏返して、白表紙にして読む」を含む)
みか5さいちゃんにいたっては、1+2+3です。*1
うっざ~w

おかげで、文庫本はいつもぴかぴか状態。
でも、ご家族*2 は1のみ派が多く、みか5さいちゃんがご家族に貸与した本は、後から見たらすぐわかるのです。
のべつ、みか5さいちゃんは、ご家族には甘いです。
ご家族には本を貸しますし*3 、読み方*4 も強要しませんし。


さて、視線を国内の外国人に移しまして。
日本語の読み書きをはじめた彼らが、日本の文庫本を読むときを観察します。
すると、おお!
1、2、3すべては取っ払われ(3はもとから「ない」かw)、裸の文庫本が表紙をぐしゃぐしゃにされながら、読まれています。

本にとって、どちらがしあわせでしょうか。
ぼくは、いちがいには言えないと思うのですが、本を大切にする日本の文化を重んじたいです。
産業革命に遅れたアジアの日本が、欧米列強に負け得ず、追い越せたのは、基盤に蓄積した文化の深淵によってです。
くだらないと本国の研究者にさえ唾棄されること多い近世の読み本も、日本人は大事に読んで楽しみました。日本のブックカバー文化も、その辺りに端を発するものではないかと考えます。


ときには、本の表紙、カバーを構わない奔放な読み方も心地よいかもしれませんが、それは自慢になりません。
道具を大切にすれば、道具が教えてくれます。
文学のことは、本たちが教えてくれます。
キチガイのように思われるかもしれませんが……。

みか5さいちゃんは、きれいな本を買ってきて大切に読むことも多いですが、うち捨てられたような古本でも連れてきて、大事に修復して*5 読んでいます。



*1 書店カバーが八重洲ブックセンターなら、1+2の状態で読むこともあります。
*2 主人(みか5さいちゃん)の家族ですから、敬称にします。ぼくは、みか5さいちゃんの執事(ひつじ)なのです。
*3 ご家族以外には、滅多に貸さないようです。
*4 左ページの左下端(のみ)をきれいな手でめくること、などの近世的不文律。
*5 ピンセットを使うくらいの簡単な修復ですけど。