分け入っても分け入っても本の森

本読む日々のよしなしごとをそこはかとなく♪

●天皇誕生日とかクリスマスとか2

2009年12月24日 22時03分03秒 | お菓子
結局、昨日のショートケーキ(というかピースケーキ)は残ってしまって、それに他のお菓子もあるからホールケーキはいらないじゃない、ということになって……それじゃ意味ないじゃん(~~;



ショコラティエ・エリカのマ・ボンヌ(クリスマスバージョン)


●天皇誕生日とかクリスマスとか

2009年12月23日 22時50分10秒 | お菓子
ホリデーシーズンで天皇誕生日でクリスマスで、ということはぼくらの誕生日です。
なのに、素直に嬉しくもなさそうなのは、あれあれあれ。

「だって、いつも誕生日とクリスマスって、いっしょにされちゃうんだよ。ずっとだよ、他の子はクリスマスプレゼントと誕生日プレゼント別々にもらってるんだよ、ケーキも別々なんだよ!なのに、みか5さいは」
「だって、いっしょなんですから、しかたないでしょう」
「なんでヨンダくんまで、そんなこというのさ」
「からかっただけです。今年はぼくが別々にやってあげますから♪(ふんばりながら)」

えっと、どっちがどっちだかわかりませんが、クリスマスプレゼントとケーキはお家の方が用意してくださるはずですから、ぼくはそれと別にケーキとプレゼントを用意すればよいだけのことですよね。
なんだ、かんたんじゃん♪

デメルでケーキを選んでみました。
この時期、ごった返すデパートの地下で。いつものザッハトルテは、だからいつでもありますから(でも、あまり好きではない(^^;)、クリスマスデコレーションになっているマローニシュニッテンと、もうひとつ名前を忘れましたがチェリーなど入っているチョコレート系のピースケーキ各4個ずつ。合計8個。ホールケーキはクリスマスに用意されるのじゃないかな、と思ったので。

これが……予想に反してというか見た目に反してというか、とにかく美味しくなくて……。
「うへぇ~、やっぱりチョコレートケーキはダロワイヨのオペラに限るのでR」
「トップスはいかがですか?」
「トップスは、おおざっぱ過ぎて苦手なのでR」
あっそ。

そんなこんなでドタバタと。


ひとりぶん♪

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「誕生日がクリスマスの子供たちの会」でも企画しようかしら。
 

●八重洲ブックセンターへ逃避

2009年12月19日 21時37分48秒 | 読書
八重洲ブックセンターへ逃避。
座ることはないと思っていた書見コーナーに座して。


(左に積んでいるのは読了分)

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図書館通いなどは子供の頃のことです。
当時の貸し出し上限5冊まで借りて読み、翌日には返してまた新たな5冊を借りて、家では消灯後に見つかったら叱られるので布団をかぶって懐中電灯で照らしてでも読んで、とにかく毎日、ピアノの練習以外はそればかりでした。
学校の図書室は、もう早くにだいたい読んでしまって、「本はいくらでも買ってあげます」という家庭環境だったのですが、それでぼくの読書量に追い付くはずもなく、あとはひたすら本のあるところ、図書館へと足が向いたのです。

わりと有名な(?)図書館だと思いますけれど、小学生・中学生時代に毎日のように通いつめた施設に、今はときどきオーケストラの練習で行きます。
施設は、さらに立派にリニューアルされてしまって、往時の面影はあまりないのですけれど。

新刊を図書館で順番待ちして読もうなんて悠長なことだな、と思います。
(経済的な理由でそうなのだったら仕方ないでしょうけど)

今では、ぼくは調べもの以外で図書館へ行くことは、ほとんどありません。
お小遣いの範囲でだったら好きなだけ自由に書籍に注ぎ込めるのも嬉しいところ。(予算的には全然足りていませんが)

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いずれにしてもぼくは、読書が趣味だなどと恥ずかし気もなく自慢気にする向きには身構えてしまいます。
たとえばフロイトでさえ結局は女性が何を望んでいるか理解できなかった、などというのは読書不足を自白しているようなもので、そういうことは、うんと古い書籍にはちゃんとしたことがあるのです。
ただ、そういうところへたどり着く人は、いくぶん世俗から離れるしかないのも確か。
知らなければよかったかもしれない真実というものは(そして、たぶん詩も)あるので、その点、フロイトなどはまだ、じゅうぶん現世的です。

本には世界の半分が載っています、というか世界の半分しか載っていません、というか。
(でも読まなければ、実体験だけでは世界の万分の1もわかりません)

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ぼくが古い書籍というのは「レメゲトン」のようないかがわしいものをいうのではありません。
古い読者は「ソロモンの鎖骨」と称する書物ですが(まあ、誤訳です)、たとえばそれに書いてあることは実行実現できるのですが、正しい読書家ならけっして、そんなことはしないでしょう。
そういうのは、正しい知識ではありません。

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パーツを買ってきて、シルバーのメダイもストラップにしてみました。



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 後記:年の瀬の用事をいろいろ果たすべきだったのに、この1日を丸々逃避したせいで、この後の師走の日々は、とんでもないことに……。


●祈りではなく

2009年12月14日 23時07分03秒 | パリ紀行2009
9月にパリへ行ったとき、ボン・マルシェ(デパート)並びの"La Chapelle Notre Dame de la Medaille Miraculeuse"(教会)でメダイユを買いました。
いわゆるカタリナ・ラブレの「奇跡のメダイ」です。

めんどくさいので、ぼくは50個いっきにまとめ買い。20ユーロ。(1ユーロ143円:当時)

そのときは呆れたような顔をしていたお母さまも、帰国後にはあんのじょう、「分けてくださいな♪」コールで半分は持って行かれました。……予想通り(~~;
でも、ぼくはほとんど要らないので(←ならなぜ買った?というのは「なし」)、あと半分くらい残っているのです。

なんて、じつは理由をまじめに言うと、日本ではこれが1個千円~2千円で販売されているのを(悪徳!もちろん、ぼくはそんなつもりではありません)知っていましたし、荷物にしてもかさばらないから、です。ご当地本場ものだから。信仰上の理由はゼロ。
基本的に、ぼくは神へ祈りません。教会でも神社仏閣でも。
世間体で祈るふりはしますが、「何を祈りましたか」と聞かれて正直に、「(祈りではなく)ご利益の順番があるなら後回しにしたら承知しないからと」言ったとたん、お母さまに叩き倒されたことがあり、非情にトラウマです。

"La Chapelle Notre Dame de la Medaille Miraculeuse"でも頭を垂れて祈る人々の間でひとりぽつんと浮いているのを知られないように真似して頭を垂れて、
「ぼくの愛する東京と、ぼくの大好きなパリが将来にわたって仲良く、戦火にまみえることのないように、ぼくはがんばるつもり(ぼくぼくぼく)」とかなんとか、ぶつぶつ。(言っていたら「マリアさまのような顔をしている」と見知らぬ人から話しかけられてフリーズしてしまいました)

ああ、でも。
昨日は、もういない人のことを思い出したりしたので、たぶん……。
これ、まだいっぱいあるなあ。




手芸、工作は好きで、ありあわせの材料でストラップにしてみます。
まあまあ、よくできたのではないかしら。
(先着順で声がかかれば差し上げるつもり)



シルバーはパーツがないので、週末にホームセンターか手芸店へ行ってみます。