そのよる、ほんとうにヨンダくんは、学校のことをおかあさんにきいたでしょうか。
こたえは、「いいえ」です。
それというのも、ヨンダくんは、かんがえぶかいこどもでした。
本のなかには、学校のはなしだけではなくて、学校へかよえないこども、というのもでてきます。
「ドリトル先生」にでてくる、トミー・スタビンズくんがそうです。おうちがまずしくて、学校へいけなかったのです。
ものがたりや、しょうせつだけではなくて、でんきのなかにも、学校へかよえなくて、くろうしてべんきょうしたひとたちがおおぜいいます。
学校へかよえない、というのは、なにか「じじょう」があることなのです。
まわりをみまわせば、学校へかよっているパンダのこどもというのは、いませんでした。パンダのこどものかよう学校があるというはなしを、きいたこともなかったのです。
「ああ、どうしよう」
おかあさんをこまらせるようなことだけは、したくないヨンダくんです。
こたえは、「いいえ」です。
それというのも、ヨンダくんは、かんがえぶかいこどもでした。
本のなかには、学校のはなしだけではなくて、学校へかよえないこども、というのもでてきます。
「ドリトル先生」にでてくる、トミー・スタビンズくんがそうです。おうちがまずしくて、学校へいけなかったのです。
ものがたりや、しょうせつだけではなくて、でんきのなかにも、学校へかよえなくて、くろうしてべんきょうしたひとたちがおおぜいいます。
学校へかよえない、というのは、なにか「じじょう」があることなのです。
まわりをみまわせば、学校へかよっているパンダのこどもというのは、いませんでした。パンダのこどものかよう学校があるというはなしを、きいたこともなかったのです。
「ああ、どうしよう」
おかあさんをこまらせるようなことだけは、したくないヨンダくんです。
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ごめんなさい。
きみとボク。外見がそっくりだからだと思います。
きみが書いた文章なのに、じぶんが書いたような気がする。
だから、えとそのあの。
接続詞が気になります・
「さて」「たとえば」「また」「そして」「また」――。
とくに後ろ3つです。
「また」「そして」「また」。
思い切ってぜんぶカットしますか、
それでも文意は通じます。
差し出がましいことを申し訳ありません
なにかの文章読本で読みました。
書いているときには、その接続詞がなければ絶対に書けないように思う。
ところが後日、読み返すとカットしても意味は通じる。
つまり文章の接続ではなく、思考の接続をしていたわけです。
だけど、きみきみきみ。
まえのを読み返すと「そして」が好きみたい。
そして、きみとボク
離れないんだから♪>キミとぼく
ほんとうの兄弟みたいですね
心外ですお♪
ここはきみとボクの隠れ家なのに、うえーん
泣かないで、美香さんのヨンダくん
おやすみなさい