「世の中の役に立つ人になりたい、役に立つことがしたい」というと「立派な志」のようですけれど、そんなもの野心に他なりません。
流行の言い方をするなら、「自分は高貴な『お役目』を持って生まれた人間である」と他者に優越するため、したいがため――いうまでもなく「名誉欲」のタテマエ。
そもそも、「役に立つ」の定義とは何なのか。
生活の利便性ばかり求めて「役に立つ」といって喜んでいるのなら、ちゃんちゃらおかしいです。
そういう一部、もしくは大部の大人(たち)の浅はかさが、何の疑問もなさ気に「これを勉強したら何か役に立つのですか」などと落ちぶれ果てた疑問を平気でほざく子供たちを育てる土壌になっているのでしょう。
「役に立つ」なんていうのは、純粋な勉強、研究の結果、もしくは副産物です。
ただ、必ずしもそうばかりも言ってられないのが法学や医学の分野なので、それらを学問の中で考えるときにとても違和感があるというか、異端の分野である由縁です。
やはりぼくは、数学や哲学の方が自分でやるなら断然好き♪