分け入っても分け入っても本の森

本読む日々のよしなしごとをそこはかとなく♪

●上野千鶴子講演会

2008年06月22日 23時00分25秒 | 読書
探していた本の在庫が確認できたので、ぐわんぐわんと唸るような頭痛を抱えて気乗りせぬままブックセンターの階段を上っていたときです。
すれ違いに階段を下りる一行の会話が耳をかすめました。*1

「控え室はこちらですから」

黒い上着に身を包んだ小柄な女性を囲む一群の気配は、容易に特定されます。

――上野千鶴子だ。

今日は講演会が設定されているのでしたっけ。
わーい♪(頭痛はどうした)


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講演テーマは、『おひとりさまの老後』。(誰でも最後はおひとりさま)
いままさにベストセラーの著書に沿って。

前置きに、「この本は研究の副産物なのですけどねえ」って、「本業で出す本は売れないですけどねえ」って。
とても美しい声で、チャーミングな話法です。
上野千鶴子講演会は、ぼくははじめてではありませんが、どうしてこの美声に言及されること少ないのでしょうね。

目下70万部を突破中だとのこと。
毎週どこかしらで講演会をされているように思います。
社会還元でしょうか。(何か、ぼくに思いもよらぬ高い志があるのかも)

講演ではまず、「ここ8年の研究テーマは介護」であると聴きました。
ピッと、ぼくのアンテナが立ちます。もっと、ちゃんと聴く気で来るのだったかな。
いつも不思議に思っていたのですが、「(自身の)等身大の関心をテーマに研究して(以前はジェンダーだったり、家族だったり、そして今は介護)、しかもアカデミズム分野で生業にできている」。
並の人間ではないな、というか。(わかりきったことですね(^^;)

美声で切れ味鋭い説法から、いくつか抜き出します。
上野千鶴子自身も言いましたが、言ってしまえばいかにも簡単なことなのです。
(しかし、それを思いつくこと、考え出すことは並のことではないです)

<老後に、ただ時間があればしあわせということはない。何もすることのない時間は地獄である。>

<ヒマはひとりではつぶれない。――ひとり遊びできるほどスキルと根性のある人は、なかなかいない

<ヒマはひとりでにはつぶれない。――ひとり遊びには、スキルとノウハウとインフラが必要である

だからどうし(ておか)なければならないかという問題提起なのですが、これは講演も終盤にはいってまとめの段階での意義深い示唆。本にも載っていません。
じつは、これを話すとき「言おうか、やめとこか」風に少し考えておられました。
「言ってしまえば何でもないような重要事項」だからです。(ただで教えるのはもったいない、と思われたかも)

講演前半は、『おひとりさまの老後』への書評、世評について。
ご自身の血縁のことも少々。(サービスか)
講演終了後の質疑応答では、その鮮やかさに目を見張りました。
まったく的を射ない、要領を得ない質問に段取りをつけて、優しく回答、応酬します。(親切といってもよいくらい)

――強いなあ。

TPOをわきまえた優しさに、ほれぼれします。
横綱が幼稚園児を土俵に上げて相手にしているようなのです。

ライブなので、質疑応答では不測の逃しがたい一語を得ました。
上野千鶴子の本質を見た思いをしましたが、書かないでおきます。
よかった、美しかったからです。*2
ダメだ、これは書けないや。(今はまだ、もうしばらくは、かっこいい上野先生でいてもらいたい♪←短歌)


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なにはともあれ、一般向きにかみ砕いた話法、内容にしての講演ですが、素晴らしい。
話術としても、大いに勉強になるのです。なんて話し方が上手なのだろう。


よくいるのは、上辺だけ上品ぶっても下劣な本性がにじみ出ている人。
その逆です。
どんなにくだけて、はすっぱなもの言いをしてみせても、上野千鶴子は上品です。
ほんものです。


ただ、該当著書に対するぼくの感想は前述のときから変わらないです(07年11月18日)。  


*1 八重洲ブックセンター8階(芸術・洋書フロア)へ上っていく途中の階段で、講演会場のある8階から下りてくる一行とすれ違いました。先にエレベーターで会場入りしてから(?)控え室へ下りたみたいです。

*2 ヒラリー・クリントンに関する話題ではないです。