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JW脱出計画(進行中)

エホバの証人2世(現在不活発)の思いをつらつらと・・・

思わぬところを褒められる

2010-02-21 00:02:32 | Weblog
最近、会社で上司の方から「いつもいい笑顔してるね」と言われて嬉しいというよりちょっとビックリしました。

確かに仕事に慣れてきたこの頃は自分でもよく笑うようになった気がします。

しかしまさかそれを褒められるとは・・・。

JWにドップリの頃は、とにかく暗い顔をしてました。親からも「もっとみんなの前で笑顔を見せなさい」とよく注意されました。

でも笑顔なんて出来る空気じゃなかったんです、あの頃は。できても「造り笑い」が精一杯。

でも下手に暗い顔してると親や上層部から何を言われるか分からないのでK.H.内では何とか造り笑いを保ち、玄関を出た途端に元の顔に戻す・・・そんな毎日の繰り返しでした。

思えばあそこは笑顔=感情までかくあるべしと強制される宗教でした。

今はだんだん自分の本来の「素」の姿というものに、自分の感情が近づいてきたんじゃないかと思います。

良い同僚や先輩にも恵まれているのでこのまま真人間になれたらと願う今日この頃です。


旅先から

2009-12-31 19:42:15 | Weblog
ここ数年、旅先で新年を迎えるのが恒例になっています。

家にいても家族と新年おめでとう!!と言い合うわけではないし、田舎の祖父母も亡くなったので新年を一緒に過ごす必要もなくなったので特に支障はありません。

そもそも年末年始に旅に出るようななったのは、母が排斥者の父に気を遣って毎回一応は正月料理を用意するんですが、僕はいつもどおり手早く済ませるだけなので多分家族は気分が悪いからそれなら居ないほうがいいかと思ったのがきっかけです。

まったくつまらない人間です。

そんなつまらない自分ですが、こうして四国のとある街でどーでもいいようなテレビ番組を見ながら弁当をつついていると何となく寂しさを感じます。

おそらく今年はそれだけ(家族以外の)人間と接する機会が多かったからではないかと勝手に思ってます。

自分の事を知ってる人が独りもいない街で寂しいと感じられるような今のこのまともな感情が来年も続くよう願います。

皆さんよいお年を。

ある意味幸せな結末

2009-12-27 19:13:24 | Weblog
最近とある美容室の美容師さんの事が気になりだしまして。

月1回通うだけの店なんですが、カットされながら話をしていると素朴で感じの良い子だなあと思うようになってもう少し仲良くなれたらと願うようになり、先月、帰り際に満を持して連絡先を書いたカードを渡してみました。

それから1ヶ月・・・連絡はありませんでした(泣)。

ダメならダメで「結果」を知りたいと思い、今月も普通にカットしに行ってみることに。

彼女はプロらしく普通に客として迎えてくれました。そしていつものように談笑しつつカットが終わり、最後に彼女は小声で「カードありがとう。でも店でお客さんとメールとかしちゃいけないと言われてるから・・・」と言ってくれました。

残念でしたが、これで気持ちに区切りが付いたし、何より彼女にも迷惑を掛ける前に結論が出て良かったと思います。

年末に少しの間ですが幸せな気持ちがなれた1ヶ月でした(笑)


無題

2009-12-18 00:13:26 | Weblog
早いものでもう年末ですね。「師走」とはよく言ったものですw

新しい会社に入って2ヶ月が経ちました。色々な意味で充実していると思います。

仕事の事は置いておいて(←おいw)個人的な面で色々と成長、ではないのかもしれないけど動きがあったと思います。

以前のように作り笑いやおべっかを使う事も無く、何かに怯える事も無く、本来の自分を出せている気がします。

JWにいた頃、そしてそこから這いずり出してからの何年かは、「良い子」「模範的な人」という役を演じる事から逃げ出せずにいました。勿論人前では、ですが。

でも今の会社に入り、年齢の近い気の置けない仲間を持つようになって、元々の自分を曝け出せるようになった事を感じています。

元々の自分は、言い方は悪いかもしれないけどもっと「軽い」人間だったと思います。

決して模範的な人間になるような器ではなく、同年代の周りの人と同じように、遊ぶ事が好きだし、騒ぐ事も嫌いじゃないし、女の子にも興味深々のw

ただ、そういう飾らない姿の自分を見た時の親(特に母親)の、まるで絶望したかのような面持ちを見ると、自分はこの人を悲しませてはいけない、悲しませる位なら自分など存在しない方が良いと思わされ、必死に演技を続けていました。

僕が初めて公開講演をする事になって、周りの姉妹たちから祝福されていた時の母の誇らしげな顔を見た時、自分に少しだけ存在する意義のあったように感じられました。

でもそれからの無味乾燥な日々に絶えられず、結局挫折したわけですが。

僕がJWを去るという決意を語った時、母は一度は「自分も一緒に辞める」と言いました。でもすぐにその言葉を撤回し、今に至っています。

今母にとって自分は一体どういう存在なのだろうと思う事もあります。昔のような存在ではあり得ないとは分かっています。金銭的には必要だけど、人間的には不要なのかもしれないと思います。

昔ならそんな扱いには耐えられなかったかもしれないけど、今はそれならそれで仕方ないと思います。

これから自分に何が起きるのか分かりません。悔いの無い人生を送ろうと意気込んでいるわけでもありません。ただ何か一つ、支えになるものを見つけたいと思います。

やっぱり変わった人達

2009-11-11 23:19:00 | Weblog
英国人女性殺害の件で逃走していた市橋という男が逮捕されましたね。

男の両親がTVの前で会見をしていて、その勇気というか度胸には驚きましたが、会見の最後に「でも、わたしたちにとっては優しい息子でした」みたいな事を言っていたのを聞いてちょっと違和感を覚えました。

学校を出てから定職に就かず、たっぷりと仕送りを貰いながらマンションで所謂ニート生活をし、最後には殺人(容疑ですが)を犯した息子を「優しい、良い子」と言えるその神経。

何だかJWの親もこういう感覚を持った人が多いんじゃないかと。

自分の息子(あるいは娘)はまともな仕事にも就かず、頼まれもしないのに人ん家に押しかけて聖書を読めだ雑誌を受け取れだ言っている。世間から見れば「外れている」存在かもしれない。でもこの子は良い子だ。

そうやって己と子供のやっている事を自分達の勝手な論理で正当化して、加害者の立場なのに「被害者」に写ろうとしているJW達と何だか被るところがあるような気がしました。

こうやって考えると、やっぱりJWの人間というのは普通の感覚から外れている人間だったんだなと思えたのでした。