Praise the Lord!

聖書のことばを通して、生活の中で示されたことやインスピレーションが与えられたことをつらつらと書き記しています。

悪を憎んで人を憎まず

2019年08月02日 | 日記
 今年も暑い8月が始まりました。日本では多くの平和のための行事が、各地で行われていると思います。私たちの教会でも毎年8月は平和月間として、今年も平和に関する講演を講師を招いて開催する予定(講演のタイトルは「平和の反対語は?」)で、また礼拝中には特に平和のための祈りを捧げています。さて平和の反対語はなんでしょうか。戦争、争い?
 「私は、日本に再び戦争をもたらそうとしている安倍総理は赦せないし、『悪を憎んで人を憎まず』と言われても難しいです!」先日の教会での聖書勉強会で、あるご婦人がこう発言されました。牧師がちょうど、聖書の箇所から「人を憎むのではなく、悪を憎む、つまりその人の背後にいる悪魔を憎み、人は憎む対象ではなく、愛する対象です。」と説明したことに対するコメントでした。現在の日本では、経済的豊かさを保ってくれる政治家が支持され、結果、世界で唯一の平和憲法を変えてしまっても、やむをえない、仕方がないと考える人が多い中、若い時から戦争のない平和を求て活動してきたの彼女にとって、きれいごとを言っていられないのだと思います。
 「どうしたらよいんですか?」と彼女は続けて牧師に質問しました。牧師は「安倍総理が変えられるよう、祈ることです。」と答えました。イエス・キリストは、「しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。 」*と教えられました。これは感情的には不可能なことです、キリストを信じて、その教えに従おうと決めている者にとって、いつもチャレンジです。しかし、神様が相手を憎まないように、「私たち」の心を変えて下さることを願え、またその祈りはきかれるのが感謝です。また、神様を信じる者にとって、人ではなく、悪自体を憎むべきが今日の箇所から示されます。そして、神様は悪を憎む者の命を守り、悪い人たちから攻撃されても助け出してくれるというのです。この聖書に記される神様の約束が、私たちのような弱い存在の心を支え、平安を与えてくれます。
「祈るなんて、現実的ではない。何か具体的にしなければならない」と思われるかもしれません。もちろん、国民としての意志を選挙等で表明したり、なすべきことはたくさんあり、無関心にならず、どんな小さなことでも平和的な活動をされることは良いことです。また、神様に世界平和を祈ってもすぐには聞かれないかもしれません。しかし、神様の御心にかなう祈りは必ず聞かれると聖書は記しています。ただ、神様の答えられるタイミングと方法が、私たちの想像するものと異なる可能性が高いのです。
 世界政治を操る大きな悪の力に対して、一番効果的なのは、実は祈りなのです。なぜなら、愛と平和と正義を人の社会に臨まれる神様が、そもそもこの世界を創り、支配されていて、その大きな存在が祈りに答えるからです。神様は、一つの点だけを見ているのではなく、大きな時の流れを同時に見ることが出来る方です。人間の視野は狭く、時間によって限られていますから、一時だけみると、戦争や不条理なことがたくさん起きて、本当に神なぞいるのか?と疑ってしまいがちです。しかし、世の中の不条理なこと、戦争は罪ある人間がしていることであって、神様がしていることではないことを認識し、神様のせいにしてはならないと思います。神様は公平・正義な方で、最終的には悪を裁かれ、いつかキリストにある平和が支配する時がくることを信じ、忍耐強く祈りを怠らないようにしたいと願います。

 「主は悪を憎む者を愛し、その聖徒のいのちを守り、これを悪しき者の手から助け出される。」 詩編97篇10節  (注:「主」とは聖書で神のこと)

*1 マタイによる福音書5章44節