いーちんたん

北京ときどき歴史随筆

マンジュの森ーーヌルハチの家族の物語54、タイシャンのリーダーシップ

2019年03月16日 18時49分31秒 | マンジュの森 --ヌルハチの家族の物語
この場合のヌルハチもそれに近い状況といえなくもない。

それ以前にすでに大きな犠牲を払っても落とせなかったウラ部である。
仲間の犠牲も大きい上に戦利品までないとなれば、士気が落ちる可能性が高いのに、
気弱になっているのは、老いのせいもあるといえなくもない。

但しヌルハチのヌルハチたる由縁は、
ではそのプレッシャーを一身に背負いたい、という若い将が現れた時には、
すんなりと一任するだけの即断力があるところだ。


ヌルハチは考えたことだろう。
兵士らは皆でタイシャンの元に集まり、ぜひやらせてくれ、と頭を下げて言って来たのだ。

もしこの作戦で失敗し、多くの犠牲者が出たとしても、
自分が怨まれることはないし、批判が集まるとしてもそれは息子のタイシャンになるだろう。
タイシャンは若いので、そのプレッシャーに耐えられる。

または批判を受ける「痛み」を知らないから、怖いと思っていない。



この場合、その豪胆さは吉と出た。

タイシャンは、阿修羅の如く敵陣に切り込み、
やはり戦利品への渇望が強い兵士らがその後に気勢を上げて続き、
相手の戦死者一万人、甲(かぶと)七千個を得て、長い伝統を持つ強国ウラ部を滅亡させたのである。


この時代の満洲は、自国で生産できる衣服といえば、獣の毛皮か、サケの皮で作った服しかない。
鉄の針一本にしても、すべて中原から輸入しなければならない。

その状況で「甲(かぶと)」がどれだけ貴重な戦利品であったかは、想像に余りある。
日常着る衣服でさえ貴重品なのだ。かぶとも値が張ったに違いない。

それを七千個得たということが、ヌルハチの勢力にとり、どれだけ貴重だったか、わかるというものだ。

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遼寧省の撫順市新賓満族自治県永陵鎮

ホトアラ城

  


前述のとおり、ホトアラ城は、ヌルハチが先祖代々暮らしてきた土地に建てられた。
ここでは、その跡地にタクシの家を再現している。

つまりはヌルハチの生家である。


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