いーちんたん

北京ときどき歴史随筆

マンジュの森ーーヌルハチの家族の物語35、ヌルハチの兄弟

2018年12月30日 10時07分03秒 | マンジュの森 --ヌルハチの家族の物語
ヌルハチの次弟ムルハチの件で注意しなければならないのは、
後の時代に漢女を母に持つ場合とやや事情が違うということである。

原始状態で暮らしていた当時の女真族には、後の宮廷のごとき一貫した教育システムがあったわけではない。
子供たちはそれぞれの母親が育てたことだろう。

つまり漢人の母親から生まれたムルハチは、漢人の母親の元で教育を受けた可能性が高い。
当時としては、同じ文化ではなく、育った環境にやや差があっただろう。

また奴隷出身の生母であれば、ムルハチの家庭での地位はあまり高くなかったことも考慮しなければならない。
ヌルハチは嫡出と庶出の違いをはっきりさせようとしたのだろうか。

あるいは正夫人の母とその子供たちであった自分たちが、後に受けた仕打ちのむごさがそれほどまでに骨身に応え、
どうしても兄弟間でも待遇に差をつけねば気がすまなかったのか。

この件は今の時点では、これ以上は検証できないので、ここまでとする。


次の三弟シュルハチは、ヌルハチと同母の生まれである。
ヌルハチの発展とともに堂々たる「三都督」まで勤めた。
またその子孫が、数代のちに紫禁城の主となった後、死後ではあるが、順治十年(一六五三)に和碽庄親王に追封されている。

つまりは「親王」、皇族の爵位としては最高位である。

シュルハチは最後までヌルハチと仲がよかったわけではなく、ひと悶着あったが、
その一連の経緯については、後述する。

四弟ヤルハチもヌルハチと同母の生まれだが、
没年と事跡の記録がなく、どうやら夭折したらしい。


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遼寧省の撫順市新賓満族自治県永陵鎮

夜、地元のレストランでの夕食




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