いーちんたん

北京ときどき歴史随筆

和[王申]少年物語62、外祖父に金の無心

2017年02月23日 15時15分32秒 | 和珅少年物語
嘉謨(ジヤーモー)は和珅の生母の父、外祖父に当たる。

最初の頃はさまざまな人に無心した和珅だが、そのうち誰も貸してくれなくなり、
最近は専らこの景気のいい外祖父におねだりしていた。

河道道員といえば、景気がいいと相場が決まっている。
当時、科挙に落第して意気消沈し路銀も使い果たした秀才や挙人らは、
知り合いの官僚に紹介状を書いてもらい、道員を訪ねて行ったものである。

すると、少なくとも数百両の「路銀」を包んでくれるのが相場だったのだ。
河道道員の方も将来有望な若者らだから、恩を着せておいて損はないという腹である。

まったく知り合いでなくてもそうなのだから、外孫の和珅兄弟は当然、おねだりをする資格がある。

嘉謨(ジヤーモー)は、普段は江蘇に駐在して北京にはいないが、
たまに北京に戻ったとなると、どこから聞きつけてくるのか必ずかの強面の下僕をよこした。
 

--それにしても限度がある。
こうたびたびでは、あきれる。

なぜ無心するのか。
学校の友人らに馬鹿にされては今後の出世に関わる。

自分が如何に懸命に勉強しているか。
将来は必ず出世して返す、というようなことを書状には、面白おかしく小気味よく書いてあった。

「こりゃ、すばらしい人材じゃないか。
 いい孫を持ちましたな。うらやましい。いくつになります。」
客人は見せてもらった手紙を見て、鷹揚に笑った。

「確か数えで十八です。
 いやいや。これがなかなか金遣いが荒くてね。
 その書状、見ましたか。なぜ見栄を張らないといけないか、という理由の御託がたくさん並べてあること。
 毎回毎回ではこちらも甘やかしていいものかと思いましてね」

嘉謨(ジヤーモー)がため息交じりに言った。
 

咸安宮官学の給金は決して少なくない。
学生には一日当たり「肉菜銀」五分が、月ごと内務府からまとめて支給された。

これとは別に月々銀二両の手当て、季節ごとの白米五石三斗の支給があり、一般の八旗兵よりよほど恵まれている。

通学に関しても、普段は朝から日暮れまで授業が続くが、
雨が降ったり極寒の冬場には学校で宿舎が用意されており、泊まることもできた。

それだけ優遇されてはいたが、給金だけで賄っている学生などはほとんどいないのだ。

咸安宮官学は満州族子弟のエリート校である。
これまで数々の権力者を生み出し、学生もそれら権力者の子弟が多く通っている。

校風は派手好みで子供たちは贅沢を張り合った。
そんな中であまりに惨めな身支度では、同級生らに馬鹿にされ肩身狭い思いをしなければならない。


和珅なりに苦心はしていたのだ。




  

 紫禁城を少し北に歩いて行ったところにある「恭倹氷窯レストラン」。
 かつての氷室の上に建てられたレストラン。

 ここは氷室に降りて行く入口。

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