いーちんたん

北京ときどき歴史随筆

「雑居四合院」の人びと8、「うちがつぶれたら、トイレに住んでやる」

2011年05月07日 11時25分13秒 | 北京雑居四合院の人々
王府井から歩いて5分の一等地にある内務部胡同、
北洋政府の内務部にちなんだ名だという。


別章(「胡同トイレ物語」)で触れる最後の手すくいぼっとん便所があった場所を取材しに訪れた時である。
かのぼっとん便所の場所を探してあちこちの人に聞いてまわる。

 
ちょうどそこに、どこの宮殿かと思うほどきれいな公共トイレを工事しており、工事の人に話しかけた。
この辺りは王府井に近いため、外国人の目にも触れやすいからか、トイレの美化に力を入れているらしい。
灰色の高級レンガで四合院風のトイレだ。


   

写真:ピカピカのトイレ 

著者注: 2011年の今となっては胡同のピカピカトイレもあちこちに建てられ、
 すっかり風景に溶け込んでいるが、
 2004年当時は、周りの風景から浮かび上がるほど異様な後光を放っていた。
 まぶしすぎる。



すると通りかかった中年女性が
「まったく庶民はぼろぼろの崩れかけた家に住んでるってのに、
 トイレだけこんなに豪華にしてどうするのよ。うちがつぶれたら、トイレに引っ越してやりたいわ。」
とぶつぶつ言っている。
トイレに住んでやる、のセリフに思わず吹き出す。



「ほんとよ。この前テレビの取材が来た時もうちに連れて行ってやったわ。
 雨漏りに隙間風にねずみのかじった跡、倒れても不思議じゃない民家ほっといてトイレばっかり立てて。
 しっかり写して庶民の苦しさを宣伝してって言ってやった。」

 

私は新聞記者ではないが、一眼レフを持ってあれこれ聞きまわっていると、
すっかり記者だと思うらしくむこうはそのつもりでまくし立てる。
(著者注: これも今となってはまったく珍しくなくなったが、
 2004年当時は、素人が一眼レフを抱えていることは、めったになかった。。。)


試しに家を見せてほしい、というと快諾してくれた。

 

ぴかぴかの公共トイレの脇から入る、
人一人すれ違うのがやっと、という細さの胡同に、おばちゃんはずんずんと入っていく。


途中民家の塀が倒れかけて壁と壁の間につっかえ棒がしてある。
その下をくぐっていく。

「ほらほら、見て頂戴。抗日戦争の日本鬼子(リーベングイズ)相手の地下レジスタンスみたいな体験ができるってわけよ。
 すごいでしょ。このつっかえ棒の下通らないとわが屋にはたどり着けませんよ。」
と節をつけて唸っている。


「日本鬼子」の言葉にひやりとしながらも、私はお愛想笑いをした。
つっかえ棒を超えて数歩も歩くと、住まいの入り口にたどり着いた。


かなり小さな中庭に数軒がひしめき合っている。
中庭は人が一人通れる程度で自転車を方向転換させることは出来ないくらいの狭さだ。

彼女は、どんどん狭い胡同を進んでいく。

   



   



   

曰くの「日本鬼子(リーベングイズ)相手の地下レジスタンス」体験ができる支え棒。倒壊防止。



中庭に入ったとたん、四合院のイメージらしからぬその狭さに驚く。
用途不明の不可思議なものがひしめき合って視野に入ってくる。
住民のテリトリーの境目の判別がつかず、しばし判断機能が麻痺した。

   
   




   
 


「娘を女一人で育て上げてきたからね、私一人の年金で学費出してるから、
家が倒れかけても修理するお金なんか一銭もないわよ。

このぼろぼろの屋根を見て。ここから空が見えるでしょ?
ここは房管局(家屋管理局)の人に言ったら、ダンボールを当ててくれたわ。」
と家の壊れたところを一つ一つ説明してくれる。



間髪いれず、機関銃の如くしゃべる続ける鬼気迫る彼女に母子家庭のわけを訪ねる勇気はなかった。


   

写真:ダンボールの当てられた屋根近くの部分。
「この状態をぜひ撮ってくれ」と、指示が出される。         



入り口には手作りでせり出したバラックのような部分があり、さらにおくに広い部屋が一つある。
前述の台所にされている典型的な「せり出し小屋」だ。
奥の部屋では、昼間でも蛍光灯をつける。


   

写真:手前に「せり出し小屋」の台所があり、奥に大きな部屋がある。


   

写真:「せり出し小屋」なしだった時の様子が、かろうじて残っている


娘は21歳、旅行学院に通う。
彼女一人の年金は1ヶ月800元、娘に渡す学費と生活費を引くと、残るのは200元ほど。

今時ちょっと日本料理を食べれば一人200元くらいすぐになくなるご時世だ。


「それじゃあ暮らしていけないから、こういうのも拾わないとやっていけない。」
指差したのは、床中に転がっているペットボトルである。
街中でよくゴミ箱を覗いて空き瓶を探す人がいるが、廃品回収らしい。


「この胡同に住む定年退職者はほとんどが拾ってる。やっていけないからね。」


   

生活空間の奥の部屋。


   

床に転がる廃品のペットボトル

 

中国では物価のわりにペットボトルの回収金額が高い。1本につき0.1元。
10本拾えば、1元。1元あれば季節の野菜が2食分くらい買えてしまう。




廃品のペットボトルを足で蹴飛ばしながら、ひたすらしゃべり続けるおばちゃんに、
私はやっとのことで口を挟み、聞いた。
立ち退きの話はないのか、と。



「取り壊すって話はあるけど。私としては望むところよ。
でもだからってどうしたらいいか。
この部屋で補償金っていったら、20万元(約300万円)行かないからね。
今時20万で何が買えるよ。」

 

確かに中途半端な額だ。

何しろ面積が少ない。


せいぜい15㎡しかない部屋だから、いくら土地がいいと言っても合計額は知れている。


今時都心で3DKくらいのアパートを買おうと思ったら最低60万元はする。
20万元買えるところならかなり辺鄙な遠方の郊外になる。


しかも新興のアパートはやたらと管理費や光熱費が高く、出費が多い。



「私にはアパートに住むようなお金はない。高くて住めない。
 長屋にしか住めない。

 立ち退きになるとしてももう少し広めの長屋と変えてくれるのが一番いい。」
としんみり言った。

 

著者注: 2011年の現在、不動産はうなぎ上りなのは周知のとおり。
都心の3DKなら200万元―300万元はないと買えない。

その代わり、立ち退き代もこれに合わせて上がっており、1㎡につき10万元程度の補償金が出る。
あれから6年。この女性はまだここに住んでいるだろうか。
がっぽりと補償金が降りて、土地成金になって左団扇で暮らしているのか。
一人娘のためにアパートを買ってあげでもしただろうか・・・。



「部屋を人に貸せばわけはないんだけどね。ここのお向かいの人も貸し出してる。
 一部屋350元、でもそれは個人名義の部屋だから。
 うちは職場からもらった社宅。だから国のものを人様に貸すことはしない。」

 

雑居四合院の賃貸料は、そのインフラの悪さのためにひどく安い。
旧北京城内という都心の立地にも関わらず、一部屋300-500元が相場だ。


社宅なら貸し出したらだめなのか、と聞くと
「貸してる人はいる。そういう人はそれで勝手に貸せばいい。
 でも私はしない。

 これはポリシーだからどんなに貧乏しても貸さない。
 国がくれたものであって私のものじゃないから。」

 

断固たる口調は、トイレに住んでやる、と啖呵を切った同一人物の中に同時に存在することが、
鮮やかな対象を成しており、一外国人の私には少しまぶしく感じられた。

 

機関銃のようにしゃべりつづけるおばちゃんの話は、
いつのまにか協和病院で問診を受ける整理番号を売るブローカーが如何にあくどいか、
という話に移り、延々と続いた。


体のあちこちにガタが来ているが、医療費が高くてとても診に行けない、とさらに話は続く。
適当なころあいを見計らい、やっと隙をねらって立ち上がり、話を聞きながら入り口に進んだ。


見送りながら、なおもしゃべりつづけるが、最後に出口でふと、

「ところでどこの新聞に載せるの?」
と聞かれた。

私はすこし口を濁し、日本のメディアに情報を提供している、と曖昧に答えた。

「え??  日本(リーベン)? そりゃまずいって。
 今言ったこと全部書かないでよ。
 日本鬼子(リーベングイズ)にこんなみっともないこと知られたくないよ。えー、やめてね。書かないでね。」

彼女は急に慌てだした。



「内輪ではいいの。私の窮状も大いに訴えて、見てほしい。
 でも外には見せたらだめよー。特に鬼子(グイズ)にこんな弱味知られるのは、冗談じゃない。」


あきらかにしまった、と思っているらしい。
複雑そうな顔で見送る彼女を後にして、礼を言って立ち去った。

 


偶然にも呼び寄せられたお宅だったが、胡同に住む人々の切実な現実を垣間見た。
周りに立つ高層ビル、道端に建つぴかぴかのトイレ。


ペットボトルを拾い、娘の学費を出す定年退職者。
中国人の「内」と「外」に対する強烈な意識のコントラスト。


ほんの数分のお宅拝見だったが、おばちゃんの強烈なキャラにたじたじとなりながら、
見てきたことを脳みそで消化するための急激な血の逆流に耐えつつ、ふらふらと「抗日ゲリラ」胡同を後にした。




   

写真: 「抗日ゲリラ」胡同




   

写真: おばちゃん家の胡同をはさんで向かい側の雑居四合院。
屋根は雨漏り防止のために、防水シートが貼られる。




おばちゃんの奇妙なる一徹な「哲学」は、私にとって北方の中国人の一典型でもある。
ペットボトルを拾うほどの貧乏をしても部屋は貸し出さない、
周りが部屋を貸し出そうが、自分には関係ない、自分の「哲学」に合わないことはしない――。



ぼろぼろの部屋を直してくれない当局への不満をぶちまけるため、マスコミを家に呼び入れるが、
日本人相手には、いきなり政府の味方に逆戻りする――。


内輪もめはするが、外に向かってはひとまずは味方になる――。


という誰の意見を基準としたのでもない独断と偏見の「奇怪なる魂」が存在する。

 


日本人から見ると、おばちゃんが風変わりな人であることは間違いないが、
流れに流されない独断の「わが道を突っ走る」傾向は、彼女だけのものではない。


印象深かったのは、ある日本留学の経験のある中国人との会話である。


日本の「いじめ」の話になり、中国にいじめはないのか、と私が聞いた。


彼は、中国にも一部のいじめっこがいるが、
必ず「自分のポリシーとして」いじめは許せない、とかばう奴が出てきて、
そんな深刻な事態にならない、という。

 

私は、日本ではいじめられる子には、体臭がするとか、協調性に欠けるとか、
何か「いじめられても仕方ない」という公認の理由が挙げられて「正当化」され、
皆が仕方ないこととして受け入れるか、いじめられる子をかばうと、自分まで村八分にされるから見てみぬ振りをすることが多い、と説明した。


そういうことは関係ない、と彼は断固として言い切った。


自分の信念として「いじめはよくない」と思えば、どんな理由があろうと、
「見ちゃいられない」と、その情況に介入するし、そのために自分が村八分になろうとも知ったことではない、と。


別にいじめられる子に同情するのではなく、「わが道を突っ走る」延長上に「阻止した」事実が出来るまでである。

 


まさにおばちゃんの「哲学(家は貸し出さない。国からいただいたものだから)」の延長の結果として、
「ペットボトル拾い(収入が足りず、食べていけない)」という事実が出来たが、
それは彼女にとっては「知ったこっちゃない」のだ。

 

北方人にこの傾向が強いのは、常に「フロンティア」が存在したからか。


内地にいられないような事情が起きると、人々は「万里の長城」を越えて北に逃げた。
中原で明代に当たる時代、長城の外に都市フフホトの基礎を築いたアルタン・ハーンの元には、
大勢の漢人亡命者が集まっていたという。
フフホト建設には、多くの亡命漢人らが参加していた。

 

その「逃げ道」への潜在的意識が、北方人のアイデンティティを形成する根底にある。

 

私とて大陸という「フロンティア」を目指して日本から出てきた現代版「大陸浪人」といえぬこともない。
同じ潜在意識の中で、おばちゃんのどぎつさに辟易しつつも、どこかで一目置いている部分を認めぬわけにいかない。


写真:2003年2月。西直門の前幅胡同。春節中。各家の門前に国旗がはためく。

    



    
    

写真:貼り替えたばかりの春聯の赤も色鮮やかに。


    

写真:門構えの石彫刻がひときわ豪華な一軒を発見


   


   


   






人気ブログランキングへ にほんブログ村 海外生活ブログ 北京情報へにほんブログ村 にほんブログ村 人気ブログランキング くる天 人気ブログランキング
ブログランキングのブログん家