山種美術館 2010年4月3日(土)-5月23日(日)
*会期終了
展覧会名には「開館記念特別展Ⅳ」とある通り、昨年10月1日に場所も新たに新築されて再スタートを切った種美術館の、開館を記念した特別展の一つであるらしい。スケジュールを見ると、今後もⅤ(「浮世絵入門)、Ⅵ(「江戸絵画への視線」)、そして開館1周年記念展(「日本画と洋画のはざまで」)と続いていくようだ。いずれにせよ、私にとってこれが山種美術館への初めての訪問。そして奥村土牛(1889-1990)の個展というのも初めて観る。
まずは、この画家の経歴をチラシから要約:
1889年、東京・京橋生まれ。16歳で梶田半古塾に入門して画業の道へ。院展を活動の中心とし、横山大観、小林古径、速水御舟などから多くを学びつつ、「東洋画と西洋画」、「写実と印象」、「線と面」、「色彩と墨」、「立体と平面」という、相反する要素の間で試行錯誤を重ね、両者が融合した独自の芸術世界を築き上げる。101歳で亡くなる直前まで絵筆を持ち続けた。
尚、本名は奥村義三というが、土牛という画号は「土牛、石田を耕す」(石ころの多い荒地を根気よく耕し、やがては美田に変える)という唐代の詩から取って父が命名したそうだ。文字通りそんな画業を貫いて「九十の齢を出てやっと、自分の好きなものを好きなように描くという心境になれた」という土牛の残した言葉に感銘を受ける。
山種美術館は、本画・素描・書を合わせて135点の土牛作品を蒐集しているそうで、今回はその国内外屈指の「土牛コレクション」から選りすぐりの約70点が並ぶ。
構成は以下の通り。大きく二つの章立てとなっており、テーマごとに分けられた小コーナーも設けられていた:
第1章:土牛のあゆみ―大いなる未完成
トピック1:清流会
トピック2:干支の動物たち
第2章:土牛のまなざし―醍醐の桜と四季折々の草花
素描・画稿
では、印象に残った作品を数点挙げておきます:
『兎』 (1936)
都内にアンゴラ兎を飼っている人がいると聞いた土牛が、写生に出かけて描いた作品。いかにもフワフワの、兎の真っ白な毛並みが何とも言えず(画像では潰れてしまうが、繊細な毛が丁寧に描き込まれている)。観ているだけでその感触が手に伝わるよう。
『軍鶏』 (1950)
目に飛び込んできたときギョッとした。すごい存在感。鶏というより、あたかも老獪なおじいさんのようで、下手をすると説教でもされそうだ。
と思って図録の解説を読んだら、この軍鶏の持ち主は70歳前後の老人で、土牛が写生する傍らに常に腰かけ、尋ねてもいないのに軍鶏の性格や癖などについて丁寧に解説をしてくれたとのこと。もしかしてその持ち主の人格も少し反映されているのかな、と楽しく想像も。ペットは飼い主に似ると言いますから。
『聖牛』 (1953)
「目が楽しいから生きものを描くのが好き」「私の云う写生は、その意味の、外観の形よりも内部の気持ちを捉えたいということである」という言葉通り、土牛の描く動物たちはどこか人間っぽさが漂う。この作品は、出産後の「落ち着きと気品」が感じられたという、画面一杯に堂々と描かれた母牛とその子。胡粉を何度も塗り重ねられた白い身体は神々しく、上を向く表情は嬉しそうで誇らしげでもあり。
動物を描いた作品と言えば、静かに水中を泳ぐ3匹の鯉を描いた『緋鯉』(1947)も、それぞれの鯉の視線に思惑が漂っているようで印象的だった。
『雪の山』 (1946)
木立が西洋画風で、ちょっぴりセザンヌっぽい。と思ったら、資料展示のコーナーに師匠である小林古径からもらったというセザンヌの画集があった。「昔からなんといっても絵はデッサンがもとです。それを超えた芸術性はその人の心の高い低いで絵ができると思います」とは土牛の言葉。
画風は異なれど、何となくこの間の小野竹喬とイメージが重複するなぁ、と思ったら、二人とも生まれ年が同じく1889年。そうだった、両方ともチラシに生誕120年と書いてある。
この二人やその師匠たちと、この頃の日本画家が西洋画と盛んに対話していた様子がとても興味深い。実際ヨーロッパに乗り込んで画風を追求した竹喬に、日本を出ることなく、家の裏の畑で様々な作物を耕すがごとく自分のスタイルを追求した土牛、なんてイメージも浮かぶ。
『那智』 (1958)
縦273.4cmもある大きな作品。岩肌の色面がやっぱりセザンヌ。
『鳴門』 (1959)
漆喰のような厚塗りの画面で、とても迫力がある。
土牛の奥様が徳島の人で、彼女の実家からの帰途、船上から鳴門の渦潮を見て「描きたいという意欲がおさえ難くわき上がってきた」ため、妻に帯を掴んでもらって写生したとのこと。ターナーが嵐の絵を描くために、荒れる海に出てマストに自分の体を括りつけてスケッチした、という話を聞いたことがあるが(真偽のほどは知らない)、土牛の画家魂もすごい。
『城』 (1955)
見上げたアングルが面白い。歪みに味があって、城が威張っているようにも見える。
『門』 (1967)
私が今回観た中で一番胸に響いた絵。姫路城には昔、いろは順に名付けられた門が15あって、これは「はの門」だそうだ。重々しい木の門扉を開けると眩しいほどの白壁が現れ、更にそこに開けられた銃眼の向う側へ、と視線を誘う明暗の対比、奥行きの表現も素晴らしいが、何より眺めているうちに心が落ち着いてくる。作品の傍らには、門の横に正座してこの絵を制作中の土牛の後ろ姿を撮った写真があり、それがまた染みた。
『睡蓮』 (1955)
最後に軽やかな1枚。青味がかった鉢、オレンジの金魚、赤い蓮の花、緑の葉。色のバランスが絶妙で、いくら観ても飽きなかった。
*会期終了
展覧会名には「開館記念特別展Ⅳ」とある通り、昨年10月1日に場所も新たに新築されて再スタートを切った種美術館の、開館を記念した特別展の一つであるらしい。スケジュールを見ると、今後もⅤ(「浮世絵入門)、Ⅵ(「江戸絵画への視線」)、そして開館1周年記念展(「日本画と洋画のはざまで」)と続いていくようだ。いずれにせよ、私にとってこれが山種美術館への初めての訪問。そして奥村土牛(1889-1990)の個展というのも初めて観る。
まずは、この画家の経歴をチラシから要約:
1889年、東京・京橋生まれ。16歳で梶田半古塾に入門して画業の道へ。院展を活動の中心とし、横山大観、小林古径、速水御舟などから多くを学びつつ、「東洋画と西洋画」、「写実と印象」、「線と面」、「色彩と墨」、「立体と平面」という、相反する要素の間で試行錯誤を重ね、両者が融合した独自の芸術世界を築き上げる。101歳で亡くなる直前まで絵筆を持ち続けた。
尚、本名は奥村義三というが、土牛という画号は「土牛、石田を耕す」(石ころの多い荒地を根気よく耕し、やがては美田に変える)という唐代の詩から取って父が命名したそうだ。文字通りそんな画業を貫いて「九十の齢を出てやっと、自分の好きなものを好きなように描くという心境になれた」という土牛の残した言葉に感銘を受ける。
山種美術館は、本画・素描・書を合わせて135点の土牛作品を蒐集しているそうで、今回はその国内外屈指の「土牛コレクション」から選りすぐりの約70点が並ぶ。
構成は以下の通り。大きく二つの章立てとなっており、テーマごとに分けられた小コーナーも設けられていた:
第1章:土牛のあゆみ―大いなる未完成
トピック1:清流会
トピック2:干支の動物たち
第2章:土牛のまなざし―醍醐の桜と四季折々の草花
素描・画稿
では、印象に残った作品を数点挙げておきます:
『兎』 (1936)
都内にアンゴラ兎を飼っている人がいると聞いた土牛が、写生に出かけて描いた作品。いかにもフワフワの、兎の真っ白な毛並みが何とも言えず(画像では潰れてしまうが、繊細な毛が丁寧に描き込まれている)。観ているだけでその感触が手に伝わるよう。
『軍鶏』 (1950)
目に飛び込んできたときギョッとした。すごい存在感。鶏というより、あたかも老獪なおじいさんのようで、下手をすると説教でもされそうだ。
と思って図録の解説を読んだら、この軍鶏の持ち主は70歳前後の老人で、土牛が写生する傍らに常に腰かけ、尋ねてもいないのに軍鶏の性格や癖などについて丁寧に解説をしてくれたとのこと。もしかしてその持ち主の人格も少し反映されているのかな、と楽しく想像も。ペットは飼い主に似ると言いますから。
『聖牛』 (1953)
「目が楽しいから生きものを描くのが好き」「私の云う写生は、その意味の、外観の形よりも内部の気持ちを捉えたいということである」という言葉通り、土牛の描く動物たちはどこか人間っぽさが漂う。この作品は、出産後の「落ち着きと気品」が感じられたという、画面一杯に堂々と描かれた母牛とその子。胡粉を何度も塗り重ねられた白い身体は神々しく、上を向く表情は嬉しそうで誇らしげでもあり。
動物を描いた作品と言えば、静かに水中を泳ぐ3匹の鯉を描いた『緋鯉』(1947)も、それぞれの鯉の視線に思惑が漂っているようで印象的だった。
『雪の山』 (1946)
木立が西洋画風で、ちょっぴりセザンヌっぽい。と思ったら、資料展示のコーナーに師匠である小林古径からもらったというセザンヌの画集があった。「昔からなんといっても絵はデッサンがもとです。それを超えた芸術性はその人の心の高い低いで絵ができると思います」とは土牛の言葉。
画風は異なれど、何となくこの間の小野竹喬とイメージが重複するなぁ、と思ったら、二人とも生まれ年が同じく1889年。そうだった、両方ともチラシに生誕120年と書いてある。
この二人やその師匠たちと、この頃の日本画家が西洋画と盛んに対話していた様子がとても興味深い。実際ヨーロッパに乗り込んで画風を追求した竹喬に、日本を出ることなく、家の裏の畑で様々な作物を耕すがごとく自分のスタイルを追求した土牛、なんてイメージも浮かぶ。
『那智』 (1958)
縦273.4cmもある大きな作品。岩肌の色面がやっぱりセザンヌ。
『鳴門』 (1959)
漆喰のような厚塗りの画面で、とても迫力がある。
土牛の奥様が徳島の人で、彼女の実家からの帰途、船上から鳴門の渦潮を見て「描きたいという意欲がおさえ難くわき上がってきた」ため、妻に帯を掴んでもらって写生したとのこと。ターナーが嵐の絵を描くために、荒れる海に出てマストに自分の体を括りつけてスケッチした、という話を聞いたことがあるが(真偽のほどは知らない)、土牛の画家魂もすごい。
『城』 (1955)
見上げたアングルが面白い。歪みに味があって、城が威張っているようにも見える。
『門』 (1967)
私が今回観た中で一番胸に響いた絵。姫路城には昔、いろは順に名付けられた門が15あって、これは「はの門」だそうだ。重々しい木の門扉を開けると眩しいほどの白壁が現れ、更にそこに開けられた銃眼の向う側へ、と視線を誘う明暗の対比、奥行きの表現も素晴らしいが、何より眺めているうちに心が落ち着いてくる。作品の傍らには、門の横に正座してこの絵を制作中の土牛の後ろ姿を撮った写真があり、それがまた染みた。
『睡蓮』 (1955)
最後に軽やかな1枚。青味がかった鉢、オレンジの金魚、赤い蓮の花、緑の葉。色のバランスが絶妙で、いくら観ても飽きなかった。