私がアマチュア野球界に関心を抱いたきっかけは、実はこのアマかプロかという問題ではなく、元プロとアマとの関係である。プロ野球選手の寿命(勤続年数)は短い。これは多くのスポーツもそうであり、肉体を過酷に使う競技の宿命だろう。プロを退いた選手の多くは、そのプロとしての能力やプロだったときの経験を、十分に他の人々(さらには社会)に還元していない、というより還元するチャンスがほとんど与えられていない。
もちろん、どの選手も自分の経験と能力を自分自身の引退後の生活に還元しているだろう。しかし、プロ野球は選手自身のためばかりか、ファンをはじめとする多くの人々のためにも存在するもののはずだ。とすれば、自分一人のためだけではなく、多くの人(=地域社会)に少しでも還元することが、プロだった者の一種の義務ではないかと、私は考える。
その気持ちが強くなって、大学院に入って勉強し直そうと思ったり、もっともアマチュアらしいクラブチームに関わろうと思ったりして、それを曲がりなりにも実行してきた。そうする中で、改めて気づかされたこと、新たに思いついたことも、少なからず心の中にたまってきた。
それを、さしあたって「ニューアマチュアリズム」を名付けたのである。すなわち、プロの経験と技術とをアマに役立ててもらい、逆にそうすることでプロに見えないこと、見忘れてしまったことを思い出してもらう、ということである。
(今日は、このくらいまで言葉にしておこう。)
もちろん、どの選手も自分の経験と能力を自分自身の引退後の生活に還元しているだろう。しかし、プロ野球は選手自身のためばかりか、ファンをはじめとする多くの人々のためにも存在するもののはずだ。とすれば、自分一人のためだけではなく、多くの人(=地域社会)に少しでも還元することが、プロだった者の一種の義務ではないかと、私は考える。
その気持ちが強くなって、大学院に入って勉強し直そうと思ったり、もっともアマチュアらしいクラブチームに関わろうと思ったりして、それを曲がりなりにも実行してきた。そうする中で、改めて気づかされたこと、新たに思いついたことも、少なからず心の中にたまってきた。
それを、さしあたって「ニューアマチュアリズム」を名付けたのである。すなわち、プロの経験と技術とをアマに役立ててもらい、逆にそうすることでプロに見えないこと、見忘れてしまったことを思い出してもらう、ということである。
(今日は、このくらいまで言葉にしておこう。)
ただしA君(秋山ともいう)は加藤裕太郎さんの「西多摩に来い」という誘いを断った男でもあります同期の島原さんもいることだし、西多摩で野球しようよ
寅は陰で応援??
祐太郎君や島原君も後に続くかもしれませんよ。