花 風景 自分のため日々の出来事を記録する。
58の気の向くまま日記帳
亀戸天神の梅まつり
歩く会 亀戸天神の梅を見て錦糸町駅まで歩く 2020.2.15
亀戸天神へ行く途中
学問の神様として信仰を集め、藤と梅の名所
菅原道真公は梅の花を好まれ、多くの和歌を詠まれている
そのため境内に300本の紅白が植えられている
↓ 錦糸町駅へ行く途中 錦糸公園
錦糸公園の河津桜
↓ 境内で猿回しを見学
ちいき探検ウォーキング
ちいき探検ウォーキングに歩く会の人と参加しました。 2019.11.24
雨が降っていたので、コースを変更して短く歩きました。9:30分出発
増尾近隣センター~①少林寺~②ツバメ池~③きつね山~
④増尾道路元標~⑤土小学校~⑥ふるさと会館(道路元標)~
増尾近隣センター ゴール 1時間のウォーキングでした。
増尾近隣センターでは、おにぎりと焼き芋のプレゼントがありました。
少林寺
永禄元年 (1558年)の創建。相馬重胤(しげたね)の子孫に当たる相馬慶胤(よしたね)
が重胤と家来たちの霊を慰め、供養するために建てたお寺。
↓
↓ 万福寺
通り道にありました。
↓ きつね山 幸谷城館跡
この林は森林ボランテイアの方々の協力により整備され、現在は遊歩道が設けられ、
散策できるようになっている 柏市のカシニワ制度にも登録されている。
↓増尾道路元標
きつね山から土小学校に行く途中
柏で初めてリニューアル工事をする
1872(明治5)年に「増尾学校」が万福寺を仮校舎として創立された。
これが「土小学校」の起源です 創立当時に植樹された「百年桜」と呼ばれて
いる2本の桜の木がある
↓ 旧土村役場跡 大正13年土村の役場が置かれた場所
↓ 道路元標 増尾ふるさと会館のそば
高柳駅から持法院まで
月1回の歩く会でした 2019.9.28
高柳駅から持法院まで裏道を通り約4キロ歩きました。
下総航空基地は千葉県柏市、鎌ケ谷市にまたがる海上自衛隊の航空基地です。
誘導灯
↓ 藤ヶ谷公民館と同じ敷地内にある香取神社
↓ 持法院
国道16号を千葉市方面へ進み、「藤ヶ谷」交差点を左折、約300m直進。
彼岸花が見ごろでした。
↓ 山門
↓ 手水舎
↓ ザクロ
↓ 鐘楼
神楽坂
飯田橋から神楽坂を歩いてきました。 2019.5.11
名前の由来 ①高田穴田八幡の旅所があり、祭礼で神輿が通るときに神楽を奏したから
②若宮八幡の神楽の音がこの坂まで聞こえたから
③津久戸明神が元和の頃に牛込の地に移転した時、神輿が重くてこの坂を上ることができなかったが、神楽を奏すると、容易に上ることが出来たため、この時より「神楽坂」の名が付いたと記されている。
↓ 牛込橋から
↓ 泉鏡花と北原白秋の旧居跡地
北原白秋は約一年間ここで過した
↓ 毘沙門天・善国寺
この寺院は1595年、徳川幕府初代将軍家康により建立され、
その200年後 寛政四年(1792年)に現在の神楽坂に移転した。
新宿山ノ手七福神の一つ
↓ 光照寺(こうしょうじ) 牛込城本丸跡
14世紀頃に光照寺周辺に牛込城を築いたのが発展のはじまり。
↓ 現在の光照寺は正保2年(1645年)に神田から移転してきた。
↓ 鐘楼
↓ あさひ児童遊園で休憩
↓圓福寺(えんぷくじ)
中には入りませんでした。
徳川家・大奥ゆかりのお寺
1596年に加藤清正による創建の寺院
厄除け開運のお祖師さま『神楽坂 圓福寺』に奉安されています。
↓ 本堂
芸者たちが活躍する街として栄えた神楽坂。
↓ 本多横丁
江戸中期から明治の初期まで 旗本・本多対馬守の屋敷があったことから名前が付いた。
↓ ランチのお店
↓ 飯田橋駅方面に向かっています。
白井市 今井の桜
脳トレ歩く会のウォキングで今井の桜を見に行きました。2019.3.30
今井1号橋から3号橋まで約2kmを往復しました。
今井の桜は、昭和35年(1960)地域の景観を保つため、緑の羽の還元式資金により
名内橋から手賀沼まで約2kmの河川堤に、ソメイヨシノ、八重桜が150本ほど
植えられたことにはじまります。
↓ 白井市今井地区には金山落(かなやまおとし)と呼ばれる用水路があり、
江戸時代に度重なる手賀沼の氾濫に対し、享保12年(1727)に沼の開発が行われ、
名内川が灌漑用水路として整備されたものです。
灌漑(かんがい)とは、農地に外部から人工的に水を供給すること。
戦後の土地改良により、昭和32年から10年かけて、桜の名所「金山落し」となりました
↓ 今井の3号橋から 寒さのため蕾です
↓ 帰り道 ウグイスが鳴いていました。
↓ ピンクのテープは病気で落枝や倒木の危険がある。
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