花 風景 自分のため日々の出来事を記録する。
58の気の向くまま日記帳
松戸市 戸定丘歴史公園
歩く会 戸定邸に行って来ました 2021.10.16
↓ 戸定邸と 庭園のマップ
水戸藩最後の藩主・徳川昭武(あきたけ)が建てた戸定邸。
水戸藩主 斉昭(なりあき)の18男 だって すごい!
↓ 中庭
- ↓ 戸定邸は明治17年に建設し国の重要文化財 芝生の庭
↓ いいぎり
↓ 使者の間
↓ 庭から使者の間
使者の間から庭
↓ 戸定(とじょう)歴史館
昭武の遺品 松戸徳川家伝来品 慶喜家伝来品など展示している 展示替えもある
江戸幕府15代最後の将軍 慶喜(よしのぶ)は昭武の兄 7男
↓ 庭園
↓ 東屋から
↓ 10月桜
初詣ウオーキング
初詣ウオーキングに参加しました 2021.1.16
外出自粛中ですが、年を取ったら外出しないと、足も弱るし、頭もボケそう
なので参加しました 7名
毎日一人で午後から歩いているのですが、皆と歩くと楽しいです。
柏駅~地主神社~西光院~諏訪神社~豊四季駅 5キロ
↓ 地主神社(じぬしじんじゃ)
ここの神社は初めてです。
↓ 二の鳥居
境内に祀られています 大杉神社
↓ 浅間神社
↓ 浅間神社の字が違う
↓ 西光院に向かっています
右側は大堀川です
↓ 西光院
創建年代は不明ですが、16世紀後半から17世紀初頭との説がある
毎年8月16日は千葉県指定無形文化財である「篠籠田の三匹獅子舞」が
行なわれる寺院です。
↓ 諏訪神社
平成18年には御鎮座からちょうど千二百年を迎えました。
去年の11月もここに来ました。
アンデルセン公園
アンデルセン公園に歩く会の人と行って来ました。 2020.10.3
新鎌ヶ谷から新京成線 三咲(みさき)駅下車そして バスに乗り アンデルセン公園下車
船橋市の姉妹都市であるデンマーク王国オーデンセ市出身の童話作家、
ハンス・クリスチャン・アンデルセンが名前の由来。
北ゲート
大人 900円 65歳以上は証明書の提示により無料
↓ 岡本太郎制作「平和を呼ぶ」像
昭和63年10月建立
↓ ワンパク城(長さ50mの大滑り台)と、じゅえむタワー
↓ じゅえむタワー
↓ 太陽の橋
ワンパク王国ゾーンとヘルメンの丘ゾーンを結ぶ長さ100m・高さ13mの橋
↓ 橋の上から 太陽の池
↓ 風車
デンマークの風車職人が手がけた、デンマーク式粉ひき風車
本体の高さ16.4m 一枚の羽根の長さ約11.3m
↓ 噴水とコミュニティーセンター
デンマーク・オーデンセ市フュン野外博物館の管理棟をイメージした建物。
グッズショップ 銚子のぬれ煎餅など売っていました。
↓ 農家
デンマークの農家を再現 屋根は茅葺
↓ キッズガーデン 妖精が丘にトカゲをモチーフにしたネット遊具
↓ 花の城ゾーン ハートのトピアリ 高さ2.5m
アンデルセン童話「楽園の庭」をイメージした四季の庭
↓ ミニチュアガーデン
↓ 階段を上がった先はアスレチック広場
↓ ミニ鉄道広場
↓ミニパターゴルフ広場
↓ 変形自転車のりば
↓ イベント広場
↓ オーデンセ市から贈られたアンデルセン像 童話館の前で
↓ 複製が許可され日本で制作した。高さ2.8m
② 手賀沼藤姫伝説をたどり、戸張湧水を訪ねるウォーキング
何度も歩いているのに藤姫伝説のことは知りませんでした。 2020.3.13
↓ 正面の奥は柏ふるさと公園
↓ 藤棚の下で休憩
↓ 河津桜
↓ヒドリ橋のすぐ手前を右に曲がる
↓ 第2代柏市長濱島さんのお宅外観
現在の市長は第6代目
地元の農家の外観
木に見えますが秩父石の門柱
階段の先に正光寺があります
↓ 正光寺(しょうこうじ)
↓ 第四十二番札所 ↓ 第十九番札所
↓ 戸張湧水
竹林斜面ふもとから湧出 錦鯉が泳いでいます
↓ 戸張 香取神社 創建 大同年間(806~810)
戦国時代になっても戸張城主であった戸張一族の信仰が篤く
保護されてきたともいわれる。
奥に社殿がありますが 参道の庭木伐採工事で奥に行く事が出来ませんでした。
↓ 伐採する前の神社
ずいぶん変わりましたね
↓ 長全寺
天正3年4月25日開山
外地蔵尊
手賀沼藤姫伝説をたどり、戸張湧水を訪ねるウォーキング
柏主催でしたがキャンセルになったので、北柏南口から小人数で歩きました。2020.3.13
水曜日のサークルで何回も歩いているのに気が付きませんでした。
藤姫伝説(其の壱)
むかし手賀沼のほとりに、我孫子五郎の館があり、ここに藤姫というそれはそれは美しい姫がいました。
沼の反対側に戸張弾正の館がありその息子の一人に若狭之介というりりしい若者がいて、
両方の親が将来は一緒にしようと決めた仲でした。
だれもがうらやむそんな二人を藤姫のまま母だけがよろこばずに強くきらっていました。
↓後ろ
↓ 藤姫伝説(其の弐)
二人の仲のよいことをきらっていた藤姫のまま母は若狭之介が藤姫に会いに
やってくる道に待ち伏せをしてとうとう殺してしまいました。
その亡きがらを沼に捨てさせて、藤姫に「狭之介の亡がらを沼で見たものがいるそうだよ」と耳うちすると、「せめて亡きがらなりとこの手でお墓に入れてさしあげたい」と
一も二もなく探しに行くことにしました。
↓藤姫伝説(其の参)
よくないことが起きそうだと、心配する姫のお付き人たちの止めるのを振り切って、
ただ一人若狭之介の亡きがらが浮いていたとまま母が教えたあたりに、舟をこぎだしたところ、恐ろしいまま母は、ひそかに舟の底に穴をあけさしておいたため
姫の舟は沼の一番深いところで沈みはじめました。
助けを求める姫にまま母は、「おろかな姫よ、死ぬがいい」と笑いました。
↓ 藤姫伝説(其の四)
うたがうことを知らなかった姫もこれですべてわかり、「おぼえているがいい」と
叫んで沼に舟とともに消えていきました。
心にけがれのない姫だけに、だまされて殺されたことにそのうらみも大きく、
姫の体は沼の底に着くと、みるまに三丈余りもある大蛇の姿に変化し、
水柱とともに水面に浮かびあがると、
まだ岸にいたまま母を一飲みで殺してしまいました。
↓ 藤姫伝説(其の伍)
その後、姫のうらみから生まれた大蛇が、沼に近づく者すべてを沼に引き込んで
しまうことに漁師たちが困っていると、旅の山伏が通りかかって、
「大蛇ののろいをときましょう」といって祈ったところ、
大蛇が沼から現れお経を投げつけるとのたうちながら沼に逃げ込んでいきました。
山伏は藤姫ののろいを封ずるために柱を一本沼に向け投げこみました
↓ 【藤姫伝説(其の六)
不思議なことに、水しぶきを上げた柱が一瞬のうちに大きなウナギに変わって
しまいました。大ウナギはひとはねすると沼の底深くもぐって、
それから大蛇はもちろん藤姫のおん念は一切現れなくなり、
漁師たちは安心して魚をとることができるようになりました。
それからは「手賀沼の大ウナギは守り神なので捕らえたり追ったりしてはなんねいぞ」
と言い伝えてきました
↓ 手賀沼の主
むかし、藤姫という美しい姫がだまし討ちにあい、その怨念から大蛇が生まれ
沼に近づく人をおそっていました。
ある日、旅の山伏が祈祷を行って大蛇ののろいを鎮め、祈祷に使った柱を
沼に投げ込むと、柱はみ水しぶきを上げて大きなウナギに変わりました。
その後、藤姫の怨念は一切現れず、この大ウナギは沼の主として語り継がれてきました。
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