花 風景 自分のため日々の出来事を記録する。
58の気の向くまま日記帳
柏ふるさと公園の桜
毎週水曜日のサークルの活動日 2020.3.25
体育館が使えないので、柏ふるさと公園でグランドゴルフでした。
集合時間より早く行って写真を撮りました。
陽光桜
② 手賀沼藤姫伝説をたどり、戸張湧水を訪ねるウォーキング
何度も歩いているのに藤姫伝説のことは知りませんでした。 2020.3.13
↓ 正面の奥は柏ふるさと公園
↓ 藤棚の下で休憩
↓ 河津桜
↓ヒドリ橋のすぐ手前を右に曲がる
↓ 第2代柏市長濱島さんのお宅外観
現在の市長は第6代目
地元の農家の外観
木に見えますが秩父石の門柱
階段の先に正光寺があります
↓ 正光寺(しょうこうじ)
↓ 第四十二番札所 ↓ 第十九番札所
↓ 戸張湧水
竹林斜面ふもとから湧出 錦鯉が泳いでいます
↓ 戸張 香取神社 創建 大同年間(806~810)
戦国時代になっても戸張城主であった戸張一族の信仰が篤く
保護されてきたともいわれる。
奥に社殿がありますが 参道の庭木伐採工事で奥に行く事が出来ませんでした。
↓ 伐採する前の神社
ずいぶん変わりましたね
↓ 長全寺
天正3年4月25日開山
外地蔵尊
手賀沼藤姫伝説をたどり、戸張湧水を訪ねるウォーキング
柏主催でしたがキャンセルになったので、北柏南口から小人数で歩きました。2020.3.13
水曜日のサークルで何回も歩いているのに気が付きませんでした。
藤姫伝説(其の壱)
むかし手賀沼のほとりに、我孫子五郎の館があり、ここに藤姫というそれはそれは美しい姫がいました。
沼の反対側に戸張弾正の館がありその息子の一人に若狭之介というりりしい若者がいて、
両方の親が将来は一緒にしようと決めた仲でした。
だれもがうらやむそんな二人を藤姫のまま母だけがよろこばずに強くきらっていました。
↓後ろ
↓ 藤姫伝説(其の弐)
二人の仲のよいことをきらっていた藤姫のまま母は若狭之介が藤姫に会いに
やってくる道に待ち伏せをしてとうとう殺してしまいました。
その亡きがらを沼に捨てさせて、藤姫に「狭之介の亡がらを沼で見たものがいるそうだよ」と耳うちすると、「せめて亡きがらなりとこの手でお墓に入れてさしあげたい」と
一も二もなく探しに行くことにしました。
↓藤姫伝説(其の参)
よくないことが起きそうだと、心配する姫のお付き人たちの止めるのを振り切って、
ただ一人若狭之介の亡きがらが浮いていたとまま母が教えたあたりに、舟をこぎだしたところ、恐ろしいまま母は、ひそかに舟の底に穴をあけさしておいたため
姫の舟は沼の一番深いところで沈みはじめました。
助けを求める姫にまま母は、「おろかな姫よ、死ぬがいい」と笑いました。
↓ 藤姫伝説(其の四)
うたがうことを知らなかった姫もこれですべてわかり、「おぼえているがいい」と
叫んで沼に舟とともに消えていきました。
心にけがれのない姫だけに、だまされて殺されたことにそのうらみも大きく、
姫の体は沼の底に着くと、みるまに三丈余りもある大蛇の姿に変化し、
水柱とともに水面に浮かびあがると、
まだ岸にいたまま母を一飲みで殺してしまいました。
↓ 藤姫伝説(其の伍)
その後、姫のうらみから生まれた大蛇が、沼に近づく者すべてを沼に引き込んで
しまうことに漁師たちが困っていると、旅の山伏が通りかかって、
「大蛇ののろいをときましょう」といって祈ったところ、
大蛇が沼から現れお経を投げつけるとのたうちながら沼に逃げ込んでいきました。
山伏は藤姫ののろいを封ずるために柱を一本沼に向け投げこみました
↓ 【藤姫伝説(其の六)
不思議なことに、水しぶきを上げた柱が一瞬のうちに大きなウナギに変わって
しまいました。大ウナギはひとはねすると沼の底深くもぐって、
それから大蛇はもちろん藤姫のおん念は一切現れなくなり、
漁師たちは安心して魚をとることができるようになりました。
それからは「手賀沼の大ウナギは守り神なので捕らえたり追ったりしてはなんねいぞ」
と言い伝えてきました
↓ 手賀沼の主
むかし、藤姫という美しい姫がだまし討ちにあい、その怨念から大蛇が生まれ
沼に近づく人をおそっていました。
ある日、旅の山伏が祈祷を行って大蛇ののろいを鎮め、祈祷に使った柱を
沼に投げ込むと、柱はみ水しぶきを上げて大きなウナギに変わりました。
その後、藤姫の怨念は一切現れず、この大ウナギは沼の主として語り継がれてきました。
« 前ページ |