花 風景 自分のため日々の出来事を記録する。
58の気の向くまま日記帳
県立東高根森林公園
最後の見学場所 県立東高根(ひがしたかね)森林公園 2020.12.13
昭和48年度より整備が始まり昭和53年4月に開園。
↓ けやき広場
かながわの景勝50選
日本の都市公園 100選にも選ばれた公園。
↓ 現在、古代芝生広場になっている場所は、弥生時代から
古墳時代にかけて営まれた竪穴住居跡が発見された。
遺跡周囲にはシラカシ林(推定樹齢150〜200年)が自然林に近い形で残っており
価値の高い植物群落であると判明した。
↓ 巣箱に番号が付いている。
円福寺・身代り不動尊 ・明鏡寺・連花寺
円福寺(青龍山) 2020.12.13
茅葺きの山門
↓ 本堂 大永二年(1522年)創建
↓ 六面に地蔵尊が彫られた 六地蔵
↓ 松柏林天満宮
↓ 聖観音
準西国稲毛三十三観世音霊場で三十一番札所となっている
↓ 石蔵さんが沢山ありました。
↓ 身代り不動尊 大明王院
元禄年間に武蔵の国荏原郡に悪疫が流行した際、諸国を行脚していた祐天上人が不動尊を尊信するよう教え、土地の人々がこれを信仰したところ悪疫が去ったとか。
開山喜衆聖人が明治37年に開眼法要をして現在の場所に移した。
↓ 弁財天
↓ 福徳稲荷社
明鏡寺(みょうきょうじ)
↓ 本堂
↓ 聖観音、十一面観音、千手観音、如意輪観音など数多くの観音様があり、
明鏡寺には聖観世音菩薩尊像(平和観音像)がある。
↓ 三重塔
↓ 連花寺(れんげじ)
↓ 仁王門
仁王像 蜜迹力士 金剛力士
玉川八十八ヶ所霊場22番 準西国稲毛三十三観世音霊場15番
↓ 本堂
常暁法師(865年)が開山した。
↓ おびんずる様
釈迦様の弟子の十六羅漢の一人です。
赤い顔をし、俗に通称《なでぼとけ》といわれ、自分の体の悪いところと同じ部位を撫でると、回復するご利益があるということで
↓ 鐘楼
玄奘三蔵(げんじょう さんぞう)
「玄奘とは西遊記に出てくる三蔵法師です。
それで玄奘三蔵といわれます 実在の人物で西暦600年生まれ。
5歳のときにお母さんを、10歳のときにお父さんを亡くし、
11歳のときに、すでに 出家していた兄をたよりに洛陽の浄土寺に身を寄せ、
お経を学び始めた。
試験官は、玄奘を僧侶に推薦してくれたので13歳で、正式に僧侶になった玄奘は、
仏教の学問の研究に没頭した。
久地円筒分水 ・久地神社・溝口神社
川崎市高津と宮前区に息子と行って来ました。2020.12.13
久地円筒分水(くじえんとうぶんすい)
江戸時代、二ヶ領用水は多摩川から上河原堰及び宿河原堰の2箇所で取水されたのち、高津区久地で合流し、久地分量樋(くじぶんりょうひ)へ導かれ、そこで四つの堀
(久地堀、六ヶ村堀、川崎堀、根方堀)に分水されていました。
久地分量樋は、樋(水門)によって、決められた水を分ける施設でしたが、
正確な分水ができず、水量をめぐる水争いが絶えませんでした。
そこで、昭和16(1941)年に「久地円筒分水」が造られ、
二ヶ領用水から取り入れられた水は、平瀬川の下を潜り、
再び噴き上がってきた水を円筒の円周比により
四つ堀に分水し、各堀へ正確に用水を供給しています。
↓ 久地神社(くじじんじゃ)
宝くじの高額当選(金運)にご利益があるといわれている久地神社。
久地神社は江戸時代には赤城社と呼ばれ、弁財天・毘沙門天がご神体として祀られていました
明治14年に伊勢宮と富士浅間社を赤城社に合祀し、
ご神体の弁財天・毘沙門天を浄元寺に遷し、久地神社と名を改めた。
↓ 柵があり中には入れませんでした。
↓ 久地不動尊
↓ 溝口神社
社名を赤城社と称していたが
明治維新後、神仏分離の法により、各を統合、総鎮守として祀るため
新たに伊勢神宮の分霊を奉迎し御祭神を改め溝口神社と改称した。
↓ 本殿左右に「おかめ」のお面のようなものが飾られていた。
創建年代は不明
1923年(大正12年)9月1日の関東大震災により社殿は全壊したが
1934年(昭和9年)11月に再建された。
久地神社と溝口神社は、古くから兄弟神として信仰されている。
↓ 小楠
親楠の種子が基となり成長した楠で平成二十六年(2014)の境内整備で現在地に移された。
駐車場のそば 本殿に行く途中。
↓ 親楠
推定樹齢300年以上の御神木
↓ 垂乳根(たらちね)の銀杏
↓ 稲荷神社
1852年(寛永5年)2月に赤城社境内の稲荷社が再建された
↓ 長寿けやき
萩外荘・読書の森公園
大田黒公園を出てから萩外荘(てきがいそう)近衛文麿(ここのえふみまろ)旧宅 へ
昭和前期に総理大臣を3度務めた大臣 2020.12.1
昭和12年の第一次内閣期から20年12月の自決に至る期間を過ごし、
昭和前期の政治の転換点となる重要な会議を数多く行った場所で
国の史跡に指定された。
昭和20年(1945年)近衞は戦犯容疑によってGHQにより逮捕命令を受け
出頭期限の同年12月16日早朝に「荻外荘」の書斎で自決した
芝生広場だけ開放
↓ なにもない普通の公園
入り口のちかくにマンホール
↓ 平成18年3月開園した 読書の森公園
中央図書館に隣接するこの公園は、図書館と一体となっている
↓ 等身大のガンジー像
杉並区とゆかりのあるインドの慈善団体から寄付された
↓ ガンジーの言葉を記した石碑
ここでは、図書館で借りた本を、東屋や小川のほとりで、またケヤキの木陰で読書を楽しむことができる。
↓ 荻窪駅へ行く途中
↓ 自由に通ることが出来る のぞいたら車が走っているのが見えました。
わが町にもありますねこのような門が。
中に入って撮る 建物はなく門だけ
大田黒公園
大田黒公園の紅葉 2020.12.1
新宿乗り換え荻窪駅下車 無料
昭和56年10月1日に開園。
檜の門
総檜、切妻づくりで、屋根は棧瓦ぶき。左右に築地塀のある構えになっている。
↓ 大田黒氏の仕事場であったレンガ色の記念館
昭和8年(1933)に建てられたもので、西洋風の建築物です。
中は撮影禁止でした。
園路がまっすぐにのびてその長さは70メートルあり、
左右は樹齢100年を経た大イチョウの並木です。
↓ 休憩室 茶室方面
一方通行です 音楽評論家の大田黒元雄氏の屋敷跡地につくられた公園。
杉並の区立公園としては、初めての回遊式日本庭園です。
↓ 茶室(左側)と休憩室(右側)