花 風景 自分のため日々の出来事を記録する。
58の気の向くまま日記帳
北柏ふるさと公園
桜よりも少しだけ早く咲く枝垂桜を見に行った 2017.3.29
まだ早かった
↓ コブシ モクレン科
3月中頃、葉が出てくる前に6枚の花びらをもった大きくて白い花が咲く。
↓ 我が家の花
水仙
↓ リンショウバイ(ニワウメ)
21世紀の森と広場
21世紀の森と広場で和太鼓のシヨーを見て来ました。
11の団体が参加していた。2017.3.19
福寿太鼓
↓ 専大松戸中学、高校の団体
↓ USAGIワールド
↓ 松戸つづみ連
↓ 菜の花が満開
↓ あんずの蕾
アカバザクラ
↓ サンシュユ
高幡不動尊(金剛寺)
高幡不動尊 2017.2.24
高幡山明王院金剛寺は関東三大不動の一つに挙げられ高幡不動尊として親しまれている
草創は古文書によれば大宝年間(701)以前とも或いは奈良時代行基菩薩の開基とも伝えられるが、平安時代初期に慈覚大師円仁が、清和天皇の勅願によって当地を東関鎮護の霊場と定めて山中に不動堂を建立し、不動明王をご安置した。
仁王門
仁王門は当初楼門として計画されましたが、途中で計画変更され上層の主要部を覆うような形で屋根がかけられ近年まで外観は単層でした。
昭和34年解体復原修理の際楼門として復原され屋根も銅板葺きに変えられました。仁王尊は室町時代の作、楼上の扁額「高幡山」は江戸時代初期の
運敞僧正「号泊如」の筆
↓ 中から
マップ
↓ 五重の塔
満5年の歳月をかけて竣工した五重塔は、塔高39.8m、総高45m、和様、
三手先出組、青銅瓦葺、平安初期の様式
↓ 不動堂
平安初期に慈覚大師円仁が、清和天皇の勅願によって、東関鎮護の霊場と定めて山中に不動堂を建立した。
建武2年(1335年)に災害で倒壊したが、時の住僧儀海上人が康永元年(1342年)に移し建てたのが現在の不動堂。
↓ 奥殿(寺宝展)
日本一と称された、総重量1100kgを超える丈六不動三尊は、1000年ぶりの修復作業が完了し奥殿に安置されている 東京都最古の文化財建造物
↓ 上杉堂
↓ 山門
↓ 大日堂(鳴り龍)
大日堂は高幡山の総本山で、土方歳三の菩提寺。
堂内には平安時代に造られた大日如来像が安置されています
江戸時代安永八年の大火で焼失し、長く仮本堂のままでしたが昭和五十七年から五年の歳月をかけて根本改修工事が行われました。 新堂は鎌倉時代様式で入母屋造り、本瓦葺・内陣総漆仕上で材は尾州檜が使われています
↓ 大玄関
桃山時代様式です
↓ 上へ行くとアジサイ園や山内八十八ヶ所巡拝コースがあります。
聖天堂
安永8年(1779)の大火以来230年ぶりに聖天堂と太子堂が再建された
↓ 太子堂
土方歳三
↓ 弁天堂
福徳弁財天を祀っている
↓ 弁天池
↓ 交通安全祈願殿
百草八幡神社
百草八幡神社
百草園に隣接する八幡神社創建の年代は判っていません。古くは古八幡宮と称され、社宝の石造狛犬に天平の文字があるので古い社であると推測されています。康平5年(1062)源頼義が奥州征伐の折、
この地をよぎられ再建されたといわれています
ここも駐車場がありません
京王 百草園
百草園 2017.2.24
東京の日野市にある百草園に息子と行った。
ここは駐車場が無く、満車だったりしてぐるぐる探した。ちょうど1台が出て行ったので良かったが、土日だったら無理でした。
園内の見晴台から東京スカイツリーが見えました
マップ
この地は、江戸時代小田城主・大久保候の室であった寿昌院慈岳元長尼が、徳川家康の長男信康の追悼の為に「松連寺」を再建した場所で、時代を経て「百草園」が作られました。園内にある有名な「寿昌梅(じゅしょうばい)」は寿昌院が自ら植樹したと伝えられおり、梅の開花時期には約500種500本の梅が咲きます。
↓寿昌梅(じゅしょうばい)
芭蕉天神
若山牧水はこの地で恋人小枝子との失恋を歌にし、「独り歌へる」をつくりました
↓ あずまや
↓ 茅葺屋根の松連庵
松連庵にお雛様やつるし雛飾りが沢山飾ってあった
↓ 心字池方面から松連庵
園内には牧水の長男・旅人氏設計の歌碑、松尾芭蕉の句碑もありました。
↓ 三檪庵(さんれきあん)の入り口
↓ 三檪庵 秋田杉の無垢材をふんだんに使った茶室
↓心字池方面から三檪庵
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