花 風景 自分のため日々の出来事を記録する。
58の気の向くまま日記帳
読売新聞社
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58の気の向くまま日記帳
8人で大手町にある読売新聞社の見学に行って来ました 2025.7.14
台風が来るというので欠席の方もいましたが雨も降らずに良かったです
↓ 3階
(明治)1874年創刊 読売新聞は新聞にルビをふることで、読みやすい新聞を
誕生させた。
1875年 当時新聞は売り子が手に持って売り歩いていたが
より多くの新聞を売るために、担ぎ棒の先に鈴を付け「チリンチリン箱」を考案した
↓ この部屋で説明を聞いてから、中を見学しました 写真はだめ!!
コボちゃんの漫画も40年位になるんじゃない 長いですね
↓ ランチに行く途中
↓ 三菱1号館のレストラン1階Cafe1894でランチ
Cafe1894は元銀行だった所をレストランにしました。
↓ スープ
↓ 暖かいパンが入っています
パン
飲み物で 2800円
庭園
↓ サルスベリ
↓ ミスト 涼しいです
↓ 3月に このビルに行った 今回は当たりまえ展を見学しました
↓ 当たり前 と思うものに、ボール1個入れる
私は黄色に入れました
↓ 銀座4丁目 和光の時計台
最後に銀座の木村屋のパンを買って帰りました 美味しい!
アンデルセン公園
新しくなった風車を見に6人で行って来ました 2025.4.26
西ゲートから入り 北ゲートから出る
芝生広場
↓ ハート形のトピアリー 高さ約 2.5m
トピアリー とは、常緑樹や低木を刈り込んで作成される西洋庭園における造形物,
ワイヤーで円形やハート形などのフレームをつくり、つる植物を這わせたもの
↓ メネシアの赤い花 ゴマノハグサ科
↓ ジギタリス オオバコ科
和名:キツネノテブクロ(狐の手袋)
↓ ジギタリスの模様
↓ 花の城レストハウス
授乳室、休憩所を兼ね備えた施設。
建物内にはプレイルームがあり、滑り台やブロック遊びなどが楽しめます。
↓ 正面
↓ 幸せを呼ぶ鐘
↓ キッズガーデン
↓ ミニチュアガーデン
↓風車の中にミニの風車が飾ってありました
↓ ミニ風車の後ろ
↓ 噴水
ハンカチの花 白いのは袍 花は袍の中にある黒っぽい丸
↓ 丸いのは花
↓ 企業花壇
↓ 全部 ブリキ で出来ている。
↓ 反対側から
↓ 全部ブリキ
↓ ワンパク城
ダイナミックに滑り降りるローラースライダー など
↓ 西ゲート方面に向かっています
↓ 岡本太郎の「平和を呼ぶ」像
船橋市の平和都市宣言記念として昭和63年10月に建立
↓ 風車の動画
雪印メグミルク野田工場
友達6人で梅郷駅にある雪印メグミルク野田工場に行って来ました
駅から工場まで歩いて20分位です 2025.2.21
見学場所の野田工場に着きました
↓ まだ時間前です
自動化工場で、牛乳をはじめ、ジュース類やコーヒー・フルーツヨーグルトなどを生産
紙パックやフルーツヨーグルト製品が作られる様子を見学出来る
↓話が始まって、最初に試飲です 牛乳
↓ ヨーグルト 撮る前に食べてしまいました 果肉入りです
↓ ビデオを見ながら説明を受けました そのあと工場見学です
↓ 帰りも歩いて梅郷駅に戻って来ました
お土産にかみカップのジュース(200m)と おいしいメガミルク牛乳の形をした、
消しゴムをいただきました
③ 渋沢資料館
王子駅 飛鳥山公園内にある渋沢資料館 2024.9.14
↓ 渋沢栄一
安政5年(1858)従妹の千代(1843~1882年)15歳と結婚して2男3女をもうけた(年齢は満年齢)
千代に先立たれると、翌1883年に15歳年下の兼子(1852~1934年)31歳と再婚、5男1女をもうけた
妾を含めて総勢17人の子供がいる。
日本初の総理大臣伊藤博文も女は箒で履いて捨てるほどいるなど。
渋沢栄一は天保11年2月13日生まれ(1840) 約身長151.5cm
食事は好き嫌いなく何でも食べる 甘いもの好き
酒は好きではないので飲まない 煙草はたしなんだが病気をしてからやめた。
趣味は特にないが読書は好き また書(しょ)を書くことは非常に多い
碁と将棋は好きだったが仕事が忙しく時間の無駄になるため我慢して明治20年ごろにやめた。
義太夫や芝居を好む
性格は温和で怒ると言う事を忘れたのでは無いか」と評されることもある。
昭和6年(1931)11月11日、91歳の生涯を閉じました。
千代夫人1882年42歳でコレラで突然亡くなる。その翌年、渋沢は後妻を迎えます
右端の平九郎は自分の子供なのになぜ、自分の養子にしたのでしょうか?
お妾さんの子供かしら?
曖依村荘跡(あいいそんそうあと)
飛鳥山公園の一角は、渋沢栄一が、明治12年(1879)から亡くなる昭和6年(1931)まで、
初めは別荘として後には本邸として住まいした「曖依村荘」跡です。
住居等主要部分は昭和20年(1945)4月の空襲で消失しましたが、
大正期の小建築として貴重な晩香盧と青淵(せいえん)文庫が、昔の面影を留める庭園の一部とともに、保存されています。
↓ 晩香盧(ばんこうろ)
晩香盧の名前はバンガローの音に当てはめ、渋沢自作の詩「菊花晩節香」から採ったといわれる。
VV
↓ 兜稲荷社跡
日本橋兜町の第一銀行内にあった洋風の珍しい社(やしろ)です。
明治30年(1897)第一銀行改築時に現在地に移築されが
1966年(昭和41)に破損が激しく、取り壊されたが、基壇(きだん)部分や燈籠等は現在まで残されている。
この社は為換座(かわせざ)として新築されたとき、向島の三囲(みめぐり)
神社から分霊を勧請(かんじょう)し、兜社(かぶとしゃ)と名付けられた。
その後兜社は為換座の建物と共に第一国立銀行に引き継がれた
↓ 茶席待合跡(ちゃせきまちあいあと)
腰を下ろすだけの簡素なものですが、気持ちを落ちつけ、茶席へ誘う重要な役割を担っていました。
↓ 青淵(せいえん)文庫
渋沢栄一の傘寿(80歳)と子爵昇格を祝い、竜門社が贈った文庫である。
鉄筋コンクリート造りの初期における技術と煉瓦を組み合わせた造り。
ステンドグラス、装飾タイルなどのデザイン。
↓ 像の滑り台
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